大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20160731 石巻川開き祭り帰省01 ―石巻は今年も熱かった!!(いろんな意味で)―

2016-08-05 11:32:37 | 日記

7月30日から8月3日にかけて、石巻に帰省した。

7月30日に自宅を立ち、仙台に9時過ぎに到着。当夜は当地に宿泊し、7月31日早朝、始発で石巻に到着した。

仙台での宿の予約はまたしても直前になってしまった。昨年は比較的すぐに見つかったが今年は10軒ほど問い合わせてようやく見つかった。後でわかったことだが、石巻でミスチルらが催すアートフェスのために数万人が全国から結集していたため、仙台あたりのホテルが軒並み満室状態だったらしい。

6時半に石巻駅着、大文字屋へは7時着。シャッターが閉まっていたので、朝っぱらから電話でたたき起こしてしまった。

なぜ7月31日早朝着のスケジュールかというと、昨年より川開き祭りの全行事の取材を計画していたからである。

川開き祭りのHPを見ればわかるが、祭りのスケジュールにはあまり一般人には馴染みのない行事が組まれている。これは川開き祭りのそもそもの起源や目的・趣旨に関わるものなので、花火やパレードだけではない、これら行事についても一通り取材しておきたいと思ったのである。

その行事というのは以下の通りである。

 〇川開き祭典(31日8:00,住吉公園)
 ■漁港祭・大漁安全祈願祭(31日9:00,石巻 魚市場)
 〇川村孫兵衛翁報恩祭(31日10:00,日和山公園)
 ■川村孫兵衛翁墓前供養祭(31日16:30,普誓寺:中浦2丁目)
 〇縄張神社祭(31日17:30,縄張神社:千石町)
 〇東日本大震災供養祭(まちなかマルシェ:中央2丁目)
 〇川村孫兵衛翁報恩供養祭(〃)
 〇川施餓鬼供養祭(〃)
 〇流燈(5,000個)(北上川)

 〇孫兵衛船競漕(予選レース)(北上川)
 〇ミニ孫兵衛船競漕(予選レース)(北上川)

 〇供養花火(中瀬)
 ■川清め式(煙火本部・中瀬)
 〇花火大会(中瀬)

これまで未取材であったのが■マークの行事で、これに加えて「縄張神社奉納大綱引き大会」(31日11:00,立町大通り)も未見だったので、今年チャレンジすることにしていた。

*   *   *   *

魚市場には徒歩で向かった。バスもあることは分かっていたが、かつて自転車で泳ぎに行ったことがあるので距離はある程度つかめていた。実際歩いて感じたのは震災の被害の跡がかなり見えなくなっていたことだ。特に、湊小がきれいになっていたのは見た時にはとても喜ばしい気持ちになった。

大門崎までは50分ほどで着いた。大文字屋を出たのは7時半。途中あたりを確認しながら歩くので、時間がかかる。牧山の登り口が見える。かつて何度か登ったこの山に、いつかまた登ってみようと思うが、この日はまず魚市場が目的地なので、あの見慣れた歩道橋をくぐって渡波方面に向かった。

百メートルほど進んだところの信号を右に曲がるとあとは真っ直ぐ行くだけだ。津波の直前の状況は知らないが、現在は整地されて道路も整備され、民家や水産業の工場、大型パチンコ店などが建っている。津波の爪跡を見つけるのは難しい。

この日は折しも梅雨明けで、直射日光が突き刺さる陽気で、関東と変わらぬ暑さであった。午前中から半袖&ハーフパンツで歩き回っていると、かなり体が火照ってくる。

信号から10分程歩くと魚市場で、東西に全長数百メートルに渡るその威容はもちろん、この日の快晴で、臨む海も広大で輝やいていた。

8時半には着いていたので、行事の場所の細かい確認をした。

行事は大漁と安全を祈願するととともに石巻の水産業発展を祈念するもの。漁港岸壁側と、少し陸側にある弁天堂(守護神の弁天様を祀ってある)とで、それぞれ神事が行われた。漁港側では浅野亨氏(石巻川開祭実行委員会 会長・石巻商工会議所会頭)と河村建夫氏(衆議院議員・山口第3区)の挨拶があり、町の将来や産業振興への抱負と課題が述べられた。

これらはいわば「儀式」であるが(動画で見ても退屈なものだが)、だからといって中身がないものではない。祭り事=政であるその部分を知ることは、祭りの意味の中心部分を知ることでもある。

ただ、昨年もこの種の神事を見たが、みなさんガチガチに緊張というより、祭りの雰囲気も手伝ってか、真剣ではあるがそこそこリラックスしながらの参列に見えた。

神事はそれぞれ20分程度かかった。

ウミネコの声がいたずらっぽくあたりに響いていた。

*   *   *   *

帰路は大門崎からバスを利用。一日に数えるほどしか便がないので、事前に時間を調べておいた。今はネットでいろいろ調べられるので便利だ。

次に向かったのが「綱引き大会」である。

そもそも「縄張神社奉納」の綱引き大会であるが、「縄張神社祭」という行事が17時30分から神社で行われるのだが、それに先立って綱引き大会が行われる。縄張神社の由来は、川村孫兵衛翁が縄を測量に使い、それを奉納したことによる。

綱引き大会でも神事は行われ、市長、主催者の挨拶、審判のルール説明の後、競技がスタート。学校や会社でチームを組んでの参加が多いようだ。どこが優勝したかは定かではないが、3本勝負でなかなか勝負のつかない熱戦もあり、結構な盛り上がりである。孫兵衛船競漕と同様、見るにしろ参加するにしろ、もっと多くの人が楽しめるイベントだと思った。

*   *   *   *

一度大文字屋に戻って一休み。恵美ちゃんが用意しておいてくれたという鰻重と肝吸でパワー充填。この日はこの後、普誓寺で行われる「川村孫兵衛翁報恩供養祭」に行く予定である。

その前に平塚くんの家に寄っていこうかと思っていると、兄から母に電話があり、母をお風呂に連れて行く話をしている。私も外出すると言うと、どこへ行くんだという話になって、普誓寺へ行った後、ミスチルが来るというアートフェスの様子うかがいに雲雀野に行くというと、車に乗せていくと行ってきかない。この手のことはいつものことで、話すだけ時間のムダなので、わかったわかったと言って連れて行ってもらうことに。

3時過ぎに石小裏で待ち合わせて合流。普誓寺には車で行くと行事予定より1時間以上早く到着しそうだったので、それならということで先に雲雀野に行くことに。

アートフェスなるものがそもそも何なのか、よく知りもせず、たんに「ミスチル」という名前だけで、興味本位で行くのだが、この催しがあると知って、ネットでちょっと調べただけでも、2日間で4万人が集まる。あの雲雀野に(かつて野球をして遊んだり、トレーニング場所だったりした)、という感慨もあったし、イベントの雰囲気をまずは感じて、それからそれがどんなものであるかを調べてみようと思っていた。

と、行ってみると、そこは、私が思っていた雲雀野海岸(海底の浸食が激しく泳ぐと危険と言われ、十条製紙の排水の泡が波打ち際にモコモコ打ち寄せていたあの海)ではなく、雲雀野埠頭という、釜工業港寄りの海に大きくせり出したもの凄く広いエリアだということが分かった。しかも舗装されていないので、車だが行けども行けども前に進んだ感じがしない。すると、遠くの方に、砂漠に忽然と現れたがごとくステージやらテントやらが見えた。

その日の魚市場からの帰り道、内海橋のあたりで、「港はどっちですか。雲雀野ってどっちですか」と巡査に訊いている二人組の若者(徒歩)を見かけて、その時は「あー、ミスチル見に来たんだな」と思ったが、今にして思えば彼らが会場に辿り着けたかどうか心配である。あまりに遠すぎる。(後で調べたら、会場へは石巻駅からもシャトルバスが出ていた。片道500円らしいが、さすがにバスだろ、と思った。)

会場は警備が厳重で、制服の警備員から、Tシャツ・短パンのスタッフ警備員まで、かなり神経質な目で見ている。私としては、ちょっと演奏音や歓声が遠巻きに聞こえればいいかぐらいに思っていたが、どうもそれも無理そうなほど遠く、しかも警備も厳重である。そういうわけで、辺りを車で走らせて引き返したわけだが、途中演奏音や歌声が聞こえるところもあって、ちょっと来た甲斐があったと思ったわけである。

因みに、というか、これが本来は本題なわけだが、アートフェスとは正式には、

REBORN ART FESTIVAL / ap bank fes 2016

という。2017年に行われる REBORN ART FESTIVAL は、東日本大震災から5年を経た石巻・牡鹿の人々と様々なジャンルのアーティストが協働することで、過疎地域と都市の循環を生み出し、地域振興・復興につなげるイベントとのこと。この日のイベントはその前年祭というべきもの。

アートといってもジャンルは様々で、「食」もその一つで、実際会場では石巻・牡鹿の水産物等を使った料理を、地元及び日本各地のシェフが料理し提供するブースをはじめ、会場のあらゆる施設にその趣旨の創意が凝らされているという。

それこそ因みだが、大文字屋の店先では毎年川開きにお得意さんの料理屋さんが露店を出して料理を売っているのだが、今年はこのアートフェスに出店している。話によると、店主が若い頃から音楽好きで、その関係もあるのだろうが、限られた店しか参加できない中の出店とは腕が認められたということであろう。

普誓寺には3時40分頃着く。行事まで1時間近くあったので周りを見て歩く。普誓寺は中浦という海に近い平地の地区にあるので、震災時はたいへんだったろうと思うが、実際本堂はまだ修理の必要な状態らしくブルーシートがかけてあった。お墓も限られた区画に集められている状態のようだ。

この寺には川村孫兵衛翁の墓があり、供養祭が行われる。墓は本堂から少し離れた場所に特設されている。今年は川村孫兵衛翁が出た山口県萩市と姉妹都市協定が交わされたこともあって、川村孫兵衛の子孫にあたる方が招かれ、交流を深めた。

動画で分かる通り、行事中には読経、焼香の途中に住職より「御詠歌。」の言葉があり、傍らに詰めていた8名ほどのご婦人方が一斉に詠歌を歌い始める。それは5分間ほどであったが、何とも心鎮められる感銘深いものであった。

行事終了後に失礼を顧みず関係者に伺うと、御婦人方に訊いた方が早いだろうと話をつけてくれた。リーダー格の御夫人のお話によると、普誓寺の前住職が「かにかま講」なるものを行っていた際の文面を歌詞とし、それに住職が節をつけ、供養の際に御詠歌として歌うようにしたのだという。

供養する人ごとに歌詞はちがい、孫兵衛翁の場合、次の通りである。(歌詞を印刷をした紙を分けていただいたものに拠る。)

◆   ◆   ◆   ◆

帰命頂禮 孫兵衛翁 伊達の御家に 身を寄せて

          拍速 1/43 しとやかに

(頭)
きみょうちょうらい まごべえおう

      い
だてのォ お えにみをよせて

拍数三十二拍 約四十五秒


願いをたてて奮い起ち 盡す誠心五十年

雲に連なる日高見の 弓■の泉より流れたる

心は深く掘る川に 船を通さん我が願い

馬子山を巡り踏査して 物見の松に縄を張る

元和の九年民草と 労苦を共になしとげる

三十五反の帆を揚げて 行くよォ仙台石巻

護る御寺や普誓寺の 堂前のォ桜木をも尊しや

輝く今日のォ御栄えは 町のォ恩人孫兵衛翁

忘れてならじ土地の人 町のォ恩人孫兵衛翁

(捨鈴ナシ) (礼)

◆   ◆   ◆   ◆

(この日は尺の関係で「馬子山~」と「元和~」の2行は割愛とのこと。)

声を合わせ、調子を合わせ、決まった時間の中に収めて歌うのはかなり難しそうである。御夫人の話によれば週1回「御詠歌講」という名目で集まり練習している。最近は週1はきついので2週に一遍練習している。メンバーは檀家・宗派を問わず参加しているとのこと。

御詠歌そのものは仏の徳を称える五七五七七の和歌だが、それを歌うのは正式な仏事ではなく、習俗に属するらしい。御夫人も最近メンバーが高齢化して成り手が不足気味だと話していた。

御夫人方の御詠歌の何に打たれたのか私自身にもよく分からない。仏教の無の教えが歌い手たちの無心や無私と重なって心に響いたのかもしれない、などと考えてみる。そしておそらく自分自身の中にもそれは沁みこんでいるであろうことも。いずれにしても今回の帰省で最も心に残った出会いであったことは確かである。

遠く雲雀野から巨大PAの音楽がかすかに響いていた。

*   *   *   *

この日は結局普誓寺から大街道、泉町を通り、住吉町の流灯、中央の震災供養を見て回ったのだった。

 

 

 

 

20160731 石巻川開き祭り 帰省01

(左下角をクリックするとスライドショーがスタート、右下角をクリックすると画面が拡大されます。)

 

20160731 石巻川開き祭り 01


付記1 …日本酒を買いに酒店に入るとクマモン印の焼酎が並んでいた。彼の地も震災に襲われた。一日も早い復旧・復興を願う。

付記2 …最近つぶやいた曲

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