大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20140801 石巻川開き帰省 その2 ―2014年8月2日の石巻

2014-08-14 13:04:08 | 日記

川開きから一夜明け、この日も朝からカンカン照りの市内を撮影してきた。

(前夜呑み過ぎたにもかかわらず、なぜ6時に目覚めるのだろう。酔い醒ましのコーヒーとヨーグルトを求めて、いちばん近い千石町のコンビニ(サンクス)めがけて歩き、やがて住吉町へ。)

前日いろいろな人から復興状況について聞いていたが、この日も歩いていてその進捗をうかがわせるものが目に入った。

まず、北上川の護岸工事。現在は盛土の流出と浸食の防止のための鉄板打ち込み工事が行われているようです。

次に中央1丁目の河岸近くに建てられる災害復興住宅。正式には「復興公営住宅」というようです。佐藤外科と旧電報電話局との間に建てられています。河岸に近いということで、津波が来た際に耐えられるよう、設計上の工夫がなされると聞きました。(そういえば石巻電報電話局=NTTは統廃合があったようで、あの塔頂のでっかいパラボラアンテナも撤去されていました。)

そして門脇の川岸を歩いていると、仮に築かれた堤防の川側に5メートル程盛り土されているのが見えます。高さ5~7メートルの堤防を築く計画になっていますが、陸地側に堤防が出過ぎないように川側にせり出す形になっています。たしかにこれだと堤防が陸側に占める面積は少なくなりますが、川幅が狭まることになりますから、ちょっとその点が心配になります。

2014年8月2日の石巻 その1

*   *   *   *

南浜町のあたりを歩くと称法寺の本堂が依然修復の進まない状態でした。隣の建物は修復されて法事などが行えるようになっているそうです。

門脇小学校については、まず2015年4月をもって石巻小学校に統合されることが決まりました。142年の歴史に幕を下ろすことになったわけです。

門脇小学校HP  (「学校の沿革」をクリックすると沿革が見られます。)

これまで門脇中学校に間借りしていた形でしたが、2014年度の新入生が3名だったそうなので存続が難しかったようです。現在通学中の児童の中にも津波で肉親を失ったり保護者が職を失ったりと就学に支障をきたしている例が非常に多いとのこと。そういう子供達のケアがしっかりなされることを希望します。

また門脇小学校については震災遺構としての保存の是非が問題になっていましたが、このほど「震災伝承検討委員会」から「旧門脇小保存で合意」という報告がありました。しかし、この問題については意見が分かれており、その経緯については次の3つの記事である程度全体がうかがえると思います。

*   *   *   *

震災遺構候補、門脇小が最多 石巻市民アンケート【河北新報 20140325】

旧門脇小保存で合意 石巻市の震災遺構検討委【朝日新聞 20140725】 

門脇小の震災遺構化に住民組織反発【河北新報 20140731】

*   *   *   *

住民感情の問題、保存の技術上の問題、管理・維持費の問題といろいろあります。

私自身は遺構として残すことに賛成です。これだけの大災害を経験した、その教訓を世代を超えて伝えるために必要ですし、この場所はその力を持つ象徴的な場所だと思います。これは百年、千年の問題です。

一方で被災者や地元住民の「忘れたい」「つらい」という気持ちがあります。だから解体してほしいと。特に、多くの命が失われ廃墟となった場所の近くに住む人々にとって、惨事のあった場所は無気味であり、生活上の負担になってさえいるのだと思います。いつも負のイメージ、震災の影を感じながら過ごさなければならないのですから。

この感情については、やがて薄れていくものであり、百年千年の問題の前では小さい、という考え方もありますが、それはちょっと違うと思います。

私はそれよりも、被災者や地元住民が自ら「残すべきだ」と考えて残すべきだと思うのです。(内的必然性のない行為は長続きしないものです。)子孫を思い、後世この地に住む人々のことを思って、彼らの役に立つ場所として残すべきと考えた時に残すべきであろうと。そういう場所にするためには、記念公園化や追悼施設、防災研究施設なども併設されるとよいかもしれない。資源化して収益が得られるしくみを作り、この地が正(プラス)の場所になるスキームが必要でしょう。かなり大きな建物ですから、維持・管理はたいへんです。建物を維持するだけでは先は続かない。だから単に「残す」ではなく、「どう残すか」についての議論が必要です。

そうやって考えると、結論は急ぐべきではないと思います。残すにしても解体するにしても、これからそれを判断するための何かがまだ出てくるように思います。

*   *   *   *

門小の脇から日和山に登ると、神社のあたりが工事中であった。これは高台避難場所・避難路の整備工事。たしかに門脇から日和山へは車にしろ徒歩にしろ道路は少ないし狭い。避難できる広場も少ない。これらを整備するのでしょう。

日和山を解体予定の旧市役所庁舎を左手に見ながら下り、石巻小学校に寄ってみると、あの講堂が新しい体育館?(それとも講堂?)に変わっていた。遠目で細かいところまでは見ていない。

中央1丁目から広小路へ。英明くんの話によると阿部パーマ屋(中マサくん)の弟さんがイタリアンのお店をこの辺りでやっているらしく、だいぶ評判がいいらしい。角のコンクリート打ちっ放しの建物だろうか。確認はできなかった。

老正興さん跡地から実家を見つつ帰宅。軽く食事をとって10時過ぎに大文字屋を出発したのであった。

駅に向かう途中、サルコヤから立町のアーケードに入ると、「石巻テラス」なる集合住宅の建設看板が目立った。たぶんマンションだと思いますが、中央3丁目の平塚鮮魚店の裏手にできるようです。

2014年8月2日の石巻 その2

↓90分ほどあるのでBGMにどうぞ。
Journey Through The Secret Life of Plants by Stevie Wonder

 

付記1
 中瀬の北寄りに新しい橋ができる、仙石線の2015年全線開通が決まるなどの報もありましたね。

付記2
 老正興さんは震災後一時復活したはずですが閉店したようです。経緯はまたキクちゃんに聞いてみようと思います。

付記3
 日和山の鹿島御児神社は震災時に本堂土台に深刻な亀裂が入り解体が必要になっています。氏子さんの多くが被災したため資金が集まらず工事がままならない状況で、寄付を募っていますがいまだ着工には至っていない模様。寄付もできるHPはこちら→鹿島御児神社

 

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