シカゴ通信

つれづれなるままに、シカゴでの生活を記録します

最近の私

2005-07-28 16:10:09 | Daily Life
シリコンバレーに来てから、10日経った。

San Joseには、Japantownがあるのだが、これは、戦前からの由緒ある場所で、かつ、今の場所とオリジナルの場所が同じところにある唯一の町だそうだ。(サンフランシスコやロスアンジェルスは、戦前と戦後で場所が変わっている)

毎日のように、昼食はJapantownで食べているのだが、昨日のお昼、Japanese American Museum(http://www.jamsj.org/)に行ってきた。

血と汗と涙、屈辱と復興の歴史が刻まれていた。

案内してくれた方は、日系2世のおじいちゃん。案内は英語だったのだが、このおじいちゃん、第2次世界大戦のときにアリゾナ州ポストンの強制収容所に入れられ、(http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/index_jp.html)たあと、途中でアメリカ軍に入隊、その後欧州戦線に送られて色々と勲章をもらったそうだ。

でも、戦争が終わって、San Joseに戻ってきても、日系人への差別は続いた。その中で皆で助け合いながら、奪われた土地を少しずつ取り戻しながら、San Jose Japantownは今まで続いている。

そんな苦難が刻まれている博物館。でも、San Joseに住んでいる日本人はあまり知らないようだ。それがとても残念に思える。


周りはちょっと寂しげな地区。浄土真宗のお寺があったり、Japantown地区の住宅の植木が、日本のように刈り込まれていたり、建築がどことなく日本の住宅ぽかったり。でも、古くから住んでいる日系人と、IT・バイオ関連のビジネスのためにこちらに来ている「日本人」が混ざっていて、なんだか不思議な感じ。


で、今日の夕方「バイオ・ナノテク融合」会議というものに顔を出してきた。まあこの会議そのものはほとんど内容がなかったのだが、そこで、日系三世のエンジニア(アプライドマテリアルの人)と出会った。

いろいろ話したのだが、彼の父親、祖父母とも、第2次世界大戦中に強制収容所に入れられていたそうだ。彼自身は、「自分にはそういう経験はないし、もう歴史だけどね」と言っていたけど。

で、すごく自分が気になっている質問をした。「日系人の眼から見て、戦後の日本はどう感じますか?」

いろいろと答えてくれたのだが、「年長者を敬う文化が消えているように思えるし、それはあまりよくないことだ」「若い世代に日本のよさが伝わっていっていないかもしれない」と言っていたことには、かなり考えさせられた。

Japantownの博物館はまた訪問するつもりだ。(正直あまり時間がなかったので)

その後、オフィスに戻って、日本の某大学とこちらの某ソフト技術者と進め始めたプロジェクトの打ち合わせ。で、帰宅したら11時だった。今日は朝7時半から働き始めたのでかなり疲れた。。。。。

(写真:Japantownの本願寺別院)