二週間前、ふるさと鯖江へお盆の墓参りにいきました。
その折、ふるさとの街を兄弟達と車中から見て回りました。でもその時以来、なんかゆっくり昔住んでた町内とか遊んだ場所を歩いてみたいと強く感じていました。漸く二日前に再度一人で訪れました。
昭和20年代から30年代にかけて暮らしていた家がまだ有ります、人気も無くひっそりと誰が住んでいるのか?
その当時はすごく貧しくて間借りの生活の連続、借家の生活を転々と同じ町内を手押しリヤカーで四回も引越し、その後も二十歳代までに三回も引越ししたり、結構波乱万丈家歴があります。その当時近所の人からまた引越し?といわれた言葉が今もって恥ずかしく記憶に残っています。ですから家に関しては執着心強いです。
転勤も含めると家歴は過去11回は転々としていましたが今は不満の気持ちが嘘のように消えうせて全然無く、親にものすごく暖かく包まれていたありがたい感謝の気持ちだけが強く残っています。おかしいなあー、あれだけ貧しかったのに。
人間て嫌な思いでは欠落してそれが美化されたり良い思い出だけが残るように遺伝子に組み込まれているのかもね。そうでないとやってけないのかも?
今ふるさとを巡るときおかしなことにその当時はものすごく生活感が濃かったような気がしています。
絶えず友人知人、人ごみの中で育ったような気持ちです。
でも先日は訪れた時、旧町内は何処にも人影もなく、閑散とした町内、空き家とか取り壊されて空き地とか立て替えられたりとかスカスカな思いにとらわれました。毎日遊んでいたあの当時の賑わいが嘘のようになくなり、言葉にして呟いている自分がいます、『おーい、みんな、何処へいってしまったのー?』本当にその言葉を口にしました・
卒業した保育園は無くなり、木造中学校は取り壊し移転、かろうじて小学校は前面改装して存続です。
無断立ち入り禁止の立て札のある小学校のグランド、(いや校庭といったほうがいいですね)、に無断で立ち入り、今人影の無い校庭を第三の目でみていたらあの当時の、全校朝礼(児童数約1600人、ヒェーッ!)とか大運動会(家族総出ですから数千人、オオーッ!)とかのざわめきが、あの大きな歓声が耳の奥深いところで遠くに聞こえたのはきのせいかしら?
目にするもの全てが変わって行った中でふと気づいた校庭の片隅にある黒サビで光っている鉄棒、支柱は何度塗りかさねられたのかしらん。文字通りまさしく鉄の意志で凛としてたっていました。低学年の時は飛びついても届かなかった高さのあの鉄棒、今では軽く手を上げれば握れる高さなのに。変わらないものの存続性のやさしがそこにはありました。
おおよそ50年ぶりにぶら下がって逆上がりをしたら悲しいのでもなくさびしいのでもなくうれしいのでもないのに何故か涙が出ました。
齢(よわい)を重ねるときこんな奇妙な体験がまた一つできるものです。
その折、ふるさとの街を兄弟達と車中から見て回りました。でもその時以来、なんかゆっくり昔住んでた町内とか遊んだ場所を歩いてみたいと強く感じていました。漸く二日前に再度一人で訪れました。
昭和20年代から30年代にかけて暮らしていた家がまだ有ります、人気も無くひっそりと誰が住んでいるのか?
その当時はすごく貧しくて間借りの生活の連続、借家の生活を転々と同じ町内を手押しリヤカーで四回も引越し、その後も二十歳代までに三回も引越ししたり、結構波乱万丈家歴があります。その当時近所の人からまた引越し?といわれた言葉が今もって恥ずかしく記憶に残っています。ですから家に関しては執着心強いです。
転勤も含めると家歴は過去11回は転々としていましたが今は不満の気持ちが嘘のように消えうせて全然無く、親にものすごく暖かく包まれていたありがたい感謝の気持ちだけが強く残っています。おかしいなあー、あれだけ貧しかったのに。
人間て嫌な思いでは欠落してそれが美化されたり良い思い出だけが残るように遺伝子に組み込まれているのかもね。そうでないとやってけないのかも?
今ふるさとを巡るときおかしなことにその当時はものすごく生活感が濃かったような気がしています。
絶えず友人知人、人ごみの中で育ったような気持ちです。
でも先日は訪れた時、旧町内は何処にも人影もなく、閑散とした町内、空き家とか取り壊されて空き地とか立て替えられたりとかスカスカな思いにとらわれました。毎日遊んでいたあの当時の賑わいが嘘のようになくなり、言葉にして呟いている自分がいます、『おーい、みんな、何処へいってしまったのー?』本当にその言葉を口にしました・
卒業した保育園は無くなり、木造中学校は取り壊し移転、かろうじて小学校は前面改装して存続です。
無断立ち入り禁止の立て札のある小学校のグランド、(いや校庭といったほうがいいですね)、に無断で立ち入り、今人影の無い校庭を第三の目でみていたらあの当時の、全校朝礼(児童数約1600人、ヒェーッ!)とか大運動会(家族総出ですから数千人、オオーッ!)とかのざわめきが、あの大きな歓声が耳の奥深いところで遠くに聞こえたのはきのせいかしら?
目にするもの全てが変わって行った中でふと気づいた校庭の片隅にある黒サビで光っている鉄棒、支柱は何度塗りかさねられたのかしらん。文字通りまさしく鉄の意志で凛としてたっていました。低学年の時は飛びついても届かなかった高さのあの鉄棒、今では軽く手を上げれば握れる高さなのに。変わらないものの存続性のやさしがそこにはありました。
おおよそ50年ぶりにぶら下がって逆上がりをしたら悲しいのでもなくさびしいのでもなくうれしいのでもないのに何故か涙が出ました。
齢(よわい)を重ねるときこんな奇妙な体験がまた一つできるものです。