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ケイの闘病や介護録

病気の記録や家族の介護の記録など

障がい福祉サービス利用開始 5

2022年03月04日 | 兄の介護

私が夫の家に嫁いだ時は

兄は障がい福祉サービスを何も利用していませんでした。

それどころか申請して良い物も全くしていない状態。

夫も母も知らなかったそうです。

1、障がい者本人の通院等で必要とする車の税金免除

  その車を買い替える場合の税金も免除

  これは夫の車が対象になります

2、介護者家族に対して支給される介護手当

 

障がい福祉も介護保険もそうですが

申請主義と言って、自ら申請しないと何もしてくれません。

必要な人に情報が届いていないのが現実です。

当時対象となった 1・2 をすぐに申請し受理されました。

そして、家族とだけしか関わりのない兄を

生活介護(介護保険で言うデイサービス)に通う事を私から提案しましたが

「家族で介護が出来ているのに・・・」と却下

しかし、必要になった時にすぐに利用開始できるようにと

障害支援区分の認定だけは受けてもらいました。

これが後に役立つのですが。(^^;

 

何もサービスを利用せず6年が過ぎた時

母の大腸がんが発覚。手術が必要になりました。

私は日中、勤めに出ているし夫も自営だけど手が離せない時間帯があり

兄の生活介護の利用が急遽必要になりました。

母の入院までにサービス利用が開始され

兄は家族の心配をよそに楽しそうに通うようになりました。

 

母の手術の日、兄は一泊のショートステイを利用しました。

生活介護と同じ施設でしたので問題なく泊まる事ができました。

 

母の入院は2週間の予定でした。

術後、経過もよく体力回復の為に廊下を歩いたりしていましたが

状態が急変し他界しました。

大きな脳動脈瘤があり、それが破れて出血していたのです。

動脈瘤があった事は本人も家族も全く知りませんでした。

先生曰く「これだけ大きな動脈瘤は普通、どこかの神経を圧迫し異常が出て来てわかるのだけど、

何も影響しない場所だったから大きく育っていたみたいだ」との事。

今まで無症状だった事や破裂しないで元気でいた事が不思議なくらいだったのです。

母が突然意識混濁状態になり、この先どうなるのか分からない状況になり

兄にはまたショートステイを利用してもらいました。

今度はいつ帰れるか分からないロングでの利用です。

兄には「お母さんの具合が悪いから」とだけ伝えましたが

本人も不安だったのでしょう

てんかんの発作を繰り返すようになり兄も入院となりました。

兄の病院と母の病院が同じだったことは唯一の救いでした。


私が同居時の兄 4

2022年03月03日 | 兄の介護

私と夫は再婚同士です。

17年前、母71才・兄49才・夫45才の家族に、私47才が加わりました。

私が嫁いだ時、兄はトイレ・食事・更衣動作等は見守ればほぼ自分で行えていました。

しかし、正しい判断ができず危険が伴う為

介助や誘導が必要で、一人にしておけない状態でした。

母は常に兄のそばにいました。月に一度の兄の受診も母が付き添っていました。

薬が良くなったのか、その頃はてんかんの発作が起こっても短時間横になるくらいで

ドタンと倒れることもその頃にはなくなっていました。

家族4人で日曜日には近場ですがよく車で出かけました。

公園に花を見に行ったり、買い物やラーメンを食べに行ったり

兄はラーメンが大好きでしたから (*^_^*)

時々、攻撃的になる事はありましたが

母も私も即、夫にSOSを出して収まりました。

兄は夫には絶対に手を出しませんし大人しくなります。(^^;

後からわかった事ですが兄のてんかんは「側頭葉てんかん」で

突然イライラし攻撃的になり人格や人相まで変わったようになるのは

結局てんかんが原因だったのです。


私が同居するまでの事 3

2022年03月03日 | 兄の介護

兄の小学生時代、てんかんの発作で倒れることはあったけれど

学校にも結構通え、珠算教室にも行けるくらいだったそう。

兄が小学4年生、夫が小学1年生の時に父が脳出血で突然他界。

兄の発作が徐々に増え、感情の起伏も激しくなり攻撃的になる事があった。

中学生の頃にはそれが原因で何度も入院を繰り返し

病院からのすすめで障がい者の施設にやむなく入所をする。

しかし突然の環境の変化についていけず、

食事が摂れなくなりやせ細った兄は帰って来た。

その後、薬がよくなったのか病院を替わったことがよかったのか

その後は1~2回入院したが攻撃性も少し落ちついてきた。

夫が成人し兄の精神状態が悪化しても、かなり抑えることができた事も

入院を回避できた理由と思われる。

長年、兄が在宅生活を続けることができたのは

父の代から自営で、夫と母が常にそばにいて介護を続けた賜物だと思います。

 

 

 

 

 

 

 


兄の障がいについて 2

2022年03月02日 | 兄の介護

亡き兄の障がいの状態について説明します。

兄は出産時、産婆さんによる自宅出産でした。

昭和31年、この時代この辺りは皆がこのような出産だったそうです。

難産で脳に傷がつき、首がすわるのも遅かったと母が言っていました。

てんかん発作も起こすようになり、所かまわず意識を失いバッタリと倒れる。

兄の頭には沢山の傷がありました。

てんかんが元で精神遅滞・機能性精神疾患もありました。

療育手帳・障がい者手帳ともに一番重い認定です。

歩行やトイレに行くことや食べる事などは見守りがあれば殆ど自分で出来ました。

成人をすぎ中年になると行動が何とかできても、

正しい判断ができず危険が伴う為

日常生活でも見守りや介助・誘導が必要でした。


障がい者福祉と介護保険の狭間 1

2022年03月01日 | 兄の介護

兄は2020年4月に64歳で他界しました。

障がい福祉サービスを利用しながら在宅生活を送っていましたが

誤嚥性肺炎を繰り返すようになり体力が低下し

在宅生活が困難になり施設入所を検討しました。

しかし、受け入れ先が見つからず大変な思いをしました。

結果として、介護保険に切り替え介護保険サービスの施設に入所しました。

介護保険サービスは65歳以上が対象ですが

40歳以上であれば病気によって介護保険サービスを利用できます。

兄の場合、その対象になりました。

先日、新聞で障がい者のグループホームでの高齢化問題が記事になっており

私達が体験したお話をする事で何方かのお役に立てればと思い記事にする事にしました。

文中の兄は、夫の兄で私の義兄になります。

ブログ記事にする事で何方かのお役にたつならと夫も同意してくれました。