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K-DANの放浪記

2024年、思い立って13年ぶりにブログを再開します。

お気に入りのクラシック・シーン2

2011年06月02日 | 音楽

1, ビゼー・ 「アルルの女」第2組曲から「ファランドール」/パガニーニ・ ヴェニスの謝肉祭

  指揮・マリス・ヤンソンス 
 演奏・バイエルン放送交響楽団
 ワディム・レーピン(ヴァイオリン)
  1971年、シベリア最大の都市ノヴォシビルスク生まれ。5歳でヴァイオリンを始め、
  わずか半年後に最初の演奏会に出演する。ザハール・ブロンに師事し、
  7歳でオーケストラと共演する。11歳の時にヴィエニャフスキ・コンクールの全部門で
  金賞をとり、、モスクワとサンクト・ペテルブルクでのリサイタル・デビュー。
  1989年、17歳の時に誉れ高いブリュッセルのエリーザベト王妃国際コンクールで
  最年少優勝を果たし、国際的な活動を開始した。

 

2, パガニーニ・ ヴェニスの謝肉祭

   セルゲイ・ナカリャコフ(Sergei Nakariakov, 1977年 - )
 ロシアのニジニ・ノヴゴロド生まれのトランペット・フリューゲルホルン奏者。
 現在はイスラエルに移住している。
 幼少よりピアノを学んでいたが、6歳の時、交通事故のためにピアノを断念。
 その後、父親の指導のもとでトランペットを始める。10歳にしてオーケストラと初共演し、
 15歳でCDデビューと、早くからその才能を発揮した。
 当時日本のメディアでは吹奏楽専門誌「バンドジャーナル」がその甘いルックスから
 「トランペットの貴公子」として取り上げるなど、ブラスファンの特に若い女性を中心に
 徐々に知名度を上げていった。
 トランペットを手にしてわずか3年で、循環呼吸という高度なテクニックを取得。
 『常動曲』(ヨハン・シュトラウス2世)、『熊蜂の飛行』などではさらに高度な循環呼吸を用いての
 タンギングも鮮やかに披露している。
 日本での演奏も多く、1998年のNHK朝の連続テレビ小説『天うらら』のテーマ曲を演奏。
 2005年には大河ドラマ『義経』の紀行テーマの演奏が4月から3ヶ月間放送された。
 2001年9月には日本映画『大河の一滴』でスクリーンデビューも果たした。

 

シモンボリバル・ユース・オーケストラ

ベネズエラのカラカスを本拠地とするユース・オーケストラである。
「エル・システマ」を実践するFESNOJIVが1999年に設立。エル・システマは、
元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ等の提唱により1975年から始まった。
エル・システマ生徒の中には元ストリートチルドレンで麻薬の密売や強盗を
経験した者もいるが、こうした者を更生させたり、放課後に子どもたちを
音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしている。
FESNOJIVは、現在ベネズエラに200もの青少年オーケストラを運営している。
その中から選抜されたメンバーで組織したのがこのオーケストラである。
オーケストラのメンバーは中高生から20代後半の青少年からなる。

ノリノリのアンコール1

ノリノリのアンコール2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


お気に入りのクラシック・シーン1

2011年06月02日 | 音楽

1, ホルスト・ 組曲「惑星」から「木星」
      指揮・大植 英次 
      演奏・大阪フィルハーモニー交響楽団

大管弦楽のための組曲『惑星』(わくせい、The Planets)作品32は、
イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの作曲した代表的な管弦楽曲である。
この組曲は7つの楽章から成り、それぞれにローマ神話に登場する神々にも
相当する惑星の名が付けられている。第4曲「木星」は非常に人気があり、
特に有名である。
平原綾香の歌うJupiter(ジュピター)の原曲でもある。

2, ショスタコーヴィチ・ 交響曲第5番「革命」第4楽章

交響曲第5番 ニ短調 作品47は、ドミートリイ・ショスタコーヴィチが作曲した5番目の交響曲である。
ショスタコーヴィチの交響曲のなかでは均整の取れた構成をしており、
かつてはショスタコーヴィチの最高傑作として位置づけられることが多かった。
親しみやすい作風であることもあって、世界中のオーケストラのスタンダード・ナンバーとなっているが、
最近は他の交響曲の演奏頻度も高くなり、今まで代表作とされてきたことに疑問を呈する意見もある。
この交響曲第5番は革命20周年という「記念すべき」年に初演され、これは熱烈な歓迎を受けた。

3, ベートーヴェン・ エグモント序曲

    演奏・NHK交響楽団

実話に基づいたゲーテの戯曲「エグモント」のために書かれた
10の付随音楽のうちのひとつ。
“暗から明へ”というベートーヴェンの基本テーゼを土台に
“♪タタタ・タン”という「運命」にも通じる動機を
主軸に据えるなど、差し詰め“ミニチュア版「運命」”
といってもいいぐらいの、彼の作風のエッセンスが凝縮された作品です。
エグモント序曲はオーケストラの全奏とそれに続く弦楽器群による力強く
ゆったりとした序奏により始まりますが、オーボエとそれに続く管楽器による
暗い主題が現れ、のちの悲劇を予感させます。
テンポが早くなるとバイオリンとチェロに始まる弧を描くような動きが楽器と形を
変化させながら繰り返し提示されるとともに、序奏の名残も現れて悲劇的な英雄である
エグモントが表現されます。最後はピアニシモで静かになった後、
フォルテシモまで盛り上がり自殺するクレートヒェンと処刑される
エグモント伯爵の愛と正義を称える勝利の音楽として終わります。

 

ガーシュウィン・ ピアノ協奏曲第3楽章(ジャズ)
 指揮・小澤征爾 
 演奏・マーカス・ロバーツ・トリオ  NHK交響楽団
ジョージ・ガーシュウィン(1898年9月26日 - 1937年7月11日)は、アメリカの作曲家。
ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、「アメリカ音楽」を作り上げた作曲家として知られる。
この曲は1925年に指揮者ウォルター・ダムロッシュの委嘱により作曲された。
ジャズに影響され、狂詩曲として構成された旧作『ラプソディ・イン・ブルー』に比べると、
かなり伝統的な協奏曲に近づいている。
      

 

 


お気に入りのジャズメン5/ ウィントン・マルサリス(Wynton Learson Marsalis)

2011年06月02日 | 音楽

ウィントン・マルサリス(Wynton Learson Marsalis、1961年10月18日 - )は
ニューオーリンズ出身のトランペット奏者、作曲家。
父はピアニストのエリス・マルサリス、兄はサックス奏者のブランフォード・マルサリス、
弟にトロンボーン奏者のデルフィーヨ・マルサリス、ドラム奏者のジェイソン・マルサリス。
クラシック音楽やバスケットボールの大好きな少年だったが、最終的にジャズの道を選び、
1978年、ジュリアード音楽院へ入学。
1980年、わずか18歳でアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに加入し、
プロとしての活動を開始。1981年7月、ハービー・ハンコックのバンドの一員として
初来日を果たし、同年バンド・リーダーとしてデビュー。
伝統的なアコースティック・ジャズを継承する大型新人として話題となる。
その後、クラシック音楽の奏者としても活動開始。

1, "Autumn Leaves"

2, "CHEROKEE"

3, "Portrait of Louis Armstrong "

4, "Playing Happy Birthday "

 

 


お気に入りのジャズメン4/ リー・オスカー(Lee Oscar)

2011年06月01日 | 音楽

リー・オスカー (ブルースハープ)

デンマーク生まれのハーピスト。彼が設計したハーモニカは"リー・オスカー・モデル"として、
ミック・ジャガーやヒュ-イ・ルイスなどに愛用される名器としても有名である。
若くしてハーモニカ1本をポケットにアメリカへ渡ったオスカーは、
アニマルズを解散させたばかりのエリック・バートンと出会い意気投合。
黒人グループ、ナイトシフトのメンバーらと共にエリック・バートン&ウォーを結成する。
後にエリックは離脱するが、ウォーは単独グループとして存続。輝かしいキャリアを築くことになる。
オスカーの吹くハープの魅力といえば、ジャズに影響を受けた音使い。
彼のもつ北欧的叙情性がグループの音楽性を一風変わったものにしていたことは間違いないだろう。
彼は94年までウォーに在籍した。また、グループと並行してソロ活動にも精力的で、
スライ&ファミリーストーンのドラマー、グレック・エリコがプロデュースした初期3作を始め、
95年の『My Road, Our Road』など良質な作品を数多く発表。

1, 約束の地
2, Before The Rain
3, Lee Oskar 01
4, Lee Oskar 02




 

 

 


お気に入りのジャズメン3・バディ リッチ(Buddy Rich)

2011年06月01日 | 音楽

バディ・リッチ(Buddy Rich, 1917年9月30日 - 1987年4月2日)はアメリカ合衆国のジャズ・ドラマー。
非常に細かく刻んだ音符を速く、正確に、しかも長時間叩き続けるといういわゆる超絶技巧を得意とし、なおかつグルーブ感を損なわない彼の音にはレア・グルーヴのファンも多い。アメリカではビッグバンドジャズの新境地を開いた人物として多くのファンから尊敬されている。

1, West Side Story

2, Channel One Suite Part 1

3, Channel One Suite Part 2

4, Channel One Suite Part 3

 

 

 

 


お気に入りのジャズメン2・渡辺貞夫(6/2追加)

2011年06月01日 | 音楽

渡辺貞夫 (アルトサックス)

1933年、栃木県生まれ。高校卒業後、上京。アルトサックス・プレイヤーとして数多くのバンドのセッションを経て、1962年米国ボストンのバークリー音楽院に留学。
日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。L.A.で録音されたアルバム『カリフォルニア・シャワー』の大ヒットによりジャズが幅広い層に支持され、"ナベサダ"ブームが起こる。

 1, カリフォルニア・シャワー

2, Orange Express

3, SAMBA DE ORFEU

4, ランデブー


お気に入りのジャズメン1・TOKU

2011年05月31日 | 音楽

TOKU (ヴォーカル&フリューゲルホルン)

1973年2月20日生まれ、新潟県出身。
日本で唯一のヴォーカル&フリューゲルホルンプレイヤー。
高校・大学はロック、ポップスのコピーバンドをしていたが、
たまたま、大学の学園祭でマイルス・デイビスの“IF I WERE A BELL”
を吹いているのをジャズドラマーが聴いていてライブハウスでの
セッションに誘われる。何度かのセッションでジャズに深く興味を覚える。
大学2年の時にオレゴン州に語学留学。
その時のルームメイトがジャズピアニストだったことで一緒にバンド活動を開始。
大学卒業後、ライブハウスで唄っているところをアメリカのラジオ・パーソナリティーがスカウト、2000年1月アルバム“Everythig She Said”でSMEよりデビュー。
デビュー当初から注目を集め、その年の8月にはブルーノート東京に出演。
更にアルバムはアジア各国でもリリースされ11月には韓国ソウル大学の
建国大学内ニューミレニアムホールにて海外での初ライブを行った。(TOKU’s Siteより抜粋)

1, Sister Moon

2, Fly me to the Moon

3, My Funny Valentine