kazzdokkのひとりごと

酒呑みの翁の日常の出来事

神田明神

2010年10月11日 | Weblog

池波正太郎著の「江戸切絵図散歩」を片手に散歩に出かけた。
今回は神楽坂の毘沙門天から神田明神までを歩いてみることにした。

神楽坂には三年間勤務したが、ひとつだけやり残したことがある。それは、ここ毘沙門天から道を隔てた石畳の路地にある酒呑みの聖地「伊勢藤」で酒を呑まなかったことだ。
聞くところによると、店に入るや黙っていても一汁四菜(1,500円)が酒肴として出され、酒は伊勢神宮の御神酒である「白鷹上撰(500円)」の燗か冷のどちらかしかなく、大きな声で話をするとご主人に注意されるらしい。
店の外観も良い感じなので、一度だけでもいいから「伊勢藤」で酒と雰囲気を味わってみたい。







神楽坂を下ると牛込橋があり、早稲田通りを真っ直ぐ行くと皇居の田安門に突き当たるが、左に折れ外堀通り沿いを歩いて行く。



現在工事中の小石川橋の向かいには小石川後楽園があり、ここは徳川御三家の1つである水戸藩が造った庭園であり、現後楽園遊園地界隈も水戸屋敷だったようだ。





水道橋を少し歩くと「神田上水掛樋跡」があり、この辺りから神田川(外濠)に木製の樋を架け、神田・日本橋方面に給水していたと記されている。



更に歩を進め御茶ノ水橋まで行くと、船が悠々と聖橋の下を通過している。
その聖橋の袂に生類哀れみの令を定めた徳川五代将軍綱吉が建てた「湯島聖堂」がある。綱吉は一般的に政治的評価は低いが、学問にはとても熱心だったらしい。





湯島聖堂からほど近い所に「神田明神」がある。
鳥居をくぐり緩やかな坂を上っていくと拝殿があり、お宮参りに来ている家族の姿も見受けられた。





神田明神と言えば、明神下の台所町に住んでいた「銭形平次」が思い浮かぶ。
拝殿の右側には銭形平次の石碑があり、その脇には小さいながらも、がらっ八こと八五郎の碑もある。



 

また、境内の隅には銭形平次の顔出し看板があり、得意の寛永通宝の投げ銭をして江戸の町を守っている。
おやじは賽銭箱に銭を投げ込み家族の健康を祈願してから明神男坂を下り、本日の江戸切絵図散歩を終え家路につく。


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