kazzdokkのひとりごと

酒呑みの翁の日常の出来事

鬼平を行く

2013年05月04日 | Weblog

鬼平とは、江戸時代の火付盗賊改方の長官を務めていた、長谷川平蔵宣似の通称である。

爺は、池波正太郎が描いた長谷川平蔵の人情味溢れる言動が好きで、小説鬼平犯科帳を愛読している。
小説の中では、本宅は目白台にあり、役宅が清水門外となっているが、実際は都営新宿線菊川駅近くに本宅跡があるという説もあるので、着流し姿に雪駄履きで、鬼平のゆかりの地を散策してみることにした。

東京の下町である菊川駅は少し寂しい感じの駅であり、ゴールデンウィーク後半の最中だからか人通りも閑散としていた。
駅の裏手に長谷川平蔵の屋敷跡があり、な・な・なんと、その屋敷には、後に遠山の金さんが居住したという。何とも面白いめぐり合わせですな。





次は役宅のあった清水門界隈へ行ってみることにしよう。
ゆうゆうと流れる大川を観光客を乗せた近代的な船が上っていく。



水天宮の前を通ったので、孫が無事に生まれましたと、お礼参りをしようと思ったのだが、建て替えをするために御霊は既に移動しているので、建物の見学だけならOKとのことであった。
確かに神殿の戸は閉まっていたが、ここまで来たのだからとりあえず手を合わせてお礼をしていくことにした。
近々、孫を連れて御霊の居る仮社殿に行きますからね。



日本橋川沿いを歩いていくとトーゼン日本橋があり、そこには言わずと知れた日本国の道路元標が存在する。いつも思うのだが、日本橋の上に架かる首都高はどうにかならんものだろうか。別に思い入れがあるわけではないが、言わば日本のへそでしょ、ここは。あ、へそは隠した方が良いのかな。



皇居近くまで来ると、平将門を祀った将門塚がある。
平安時代に東国の豪族達を支配し、新皇と名乗って帝に対抗したが、結果は。
銭形平次で有名な神田明神も平将門が祀られているようだ。



皇居を北の丸公園の方へ向かうと、清水門がある。現在改装中であり、門全体に白いシートが覆われていたのは残念だが、この辺りに鬼平の役宅があり、そこに平蔵を筆頭に与力や同心たちが詰めて、盗賊どもをひっ捕らえるため仕事をしていたと思うと、それだけで鬼平の世界へと入り込んでいける。



菊川駅から歩き始めて約3時間。雪駄履きなので靴を履いている時より余計に疲れが溜まる。本宅から役宅まで片道3時間、しかも歩くしか方法がなかった鬼平は、かなりの頻度で役宅で寝起きをしたのだろう。

四谷駅を通過し、閑静な住宅地を歩いていくと、本日の最終目的地の戒行寺がある。
ここが長谷川平蔵の墓所である。
おじさんがひとり、爺と同じくデジカメを持って境内を散策していたが、きっと長谷川平蔵のファンなのだろう。



八十八夜を過ぎ、立夏の前日の5月4日は、夏もそこまで来ており、日差しもかなり強かった。
とりあえず鬼平の墓参りという目的を果たしたので、近所の公園の桜の木の木陰でビールをウグウグと呑む。プハー、美味い!!死んではいないけど生き返る。



時間も13時を過ぎている。
小腹も空いたので七福神という蕎麦屋に立ち寄り、まずは板わさをあてに日本酒を呑みながら、デジカメで撮った写真をチェックし、今日歩いたコースを振り返ってみる。
ちと短時間で歩き過ぎた気がしないでもない。大川・人形町界隈。日本橋~銀座。皇居周辺をもう少しゆるりと時間をかけて散策してみるのも良いだろう。

〆に蕎麦をズズッとすすり、小さな七福神に見送られ、鬼平ゆかりの地散策は仕舞いとなった。
少し疲れたものの楽しい1日となったが、ひとつだけやり残したことがある。
酒呑みの翁としては、四谷駅前しんみち通りにある「鬼平」という居酒屋でいっぱい呑めなかったことが無念でならぬ。







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