和希の欲張りな人生♪

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伝えること

2016-03-11 10:35:36 | 日記

おはようございます。寒い朝ですね。あの日も寒かった。。。

5年前の今日、東日本を襲った大地震。ものすごく多くの被害がありました。
私は都内に勤めていて、オフィスビルの揺れに怖くなり、デスクの下で震え泣きしました。

そして交通手段を失い、電話の繋がらない子供の元へ、ただひたすらに歩いたのです。最後には痛い足を気力で引きづって。途中、電話で母に繋がり、メールで友に繋がり、子供たちをお願いできたので、単独で自宅に到着したのが6時間後。玄関には割れた鏡が散乱していました。

主人も少し後に帰宅。ニュースに映る光景を見て、私は背筋の寒気がおさまらず、ホットカーペットに背中を押さえ付けていたのを思い出します。

歩いている途中、小野寺くんから団員への安全確認もあった。

仙台には、社宅時代に共に過ごしたご家族もいた。

福島には、昔の同志もいた。

その時自分にできることを精一杯 考え、微力ながらもチャリティーに参加したり、文房具を送ってあげたり、節約したり。。。

今も募金箱を見かけると、ちゃんと届くのかなと思いながら、時々小銭を入れている。大した力ではないのだが、忘れない事が大事。

そして、話して伝えていく事もできる。特に演劇に関わる私は、芝居をもって、過去の災害や事件を伝えていく事ができる。経験した事ない事案まで。

数日前、SNSで繋がっている方からお勧めいただいた映画を2本、パソコンで観た。どちらもその空気が見事に広がり、クライマックスのシーンには号泣してしまう。

『父と暮せば』は広島原爆の話だった。


実は私、役者なりたての頃、今の事務所の養成所に在籍しながら、他所のミュージカルオーディションを受け、こんな作品に関わった事がある。


主人公 中沢啓治さんの妻を演じ歌い、手塚治虫アニメのリボンの騎士に扮して踊ったりもした。全身に火傷を覆った人になりきるシーンもあった。

その頃の私は作品の重みを深く理解せず、ただ表現する事を学んでいる意識しかなかった。今でも台詞や歌やフリは所々思い出せる。でも気持ちが思い出せない。全然 足りなかった。

映画を観て作品の余韻に浸りながら、そんな経験を思い出し、芝居についてつくづく思った。責任ある仕事だな、と。

経験してない事も、まるで本人かのように演じ伝える。見てる人の中には本物・当事者なんかもいらして、嘘はバレる。嘘は嘘だが、中途半端は許されない。失礼にもあたる。そう見えなきゃカッコ悪いし、伝わらない。

19年、演劇に関わってきても、私はまだまだ×100万なのです。

ていうか終わりなき追求を強いられる世界に思います。

セブンガールズ。こちらも戦争にまつわるお話。浅はかには演じられない。現在の優しさとも苦しみとも全然違う。体のラインすら、時代を物語る。もう日常からそこに向かっていかないと、と思っても今の世の中、本当に恵まれている。
例えば砂糖や小麦粉が入ってない食品を探すのにも 一苦労。食べる物がなくて困るなんて事もない。あらゆる仕事もある。薬もある。なんて、ありがたいんだろう。

きっと戦争映画を観て、そう感じる人は多いでしょう。

それだけを伝えたい訳ではありませんが、映画を観て、余韻を感じ、何か力になれたり心を動かせたらいいなと思うばかりです。

ひたすら勉強して、作品に貢献します。
それが私にできること☆








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