最近 「承認欲求」 という言葉がよく目につきます。
力が入り過ぎたインスタグラムや、反発でもいいから反応欲しさの刺激的なコメントに対して使われているのを ちょいちょい見かけます。
おととい放送された NHKBSの 「バッド ・ インフルエンサー インスタ詐欺の顛末」 という番組は、末期ガンと脳腫瘍を 手術や化学療法に頼らず 健康な食事と代替療法で克服したとしてSNSで有名になった女性の嘘が暴かれていく様子を映し出したドキュメンタリーですが、ここまで大がかりな偽りでなくとも、受けを期待して盛り氣味でがんばっていた記事や写真の投稿が次第に重荷になったなどという話は よく聞こえてきますよね。
私たちの誰もが、大なり小なり 「他者から認められたい」 という願いを持っています。
貴秋はいい子で優等生でしたから、もちろん人一倍褒められよう認められようと躍起になっていました。
ではなぜ私たちは、そんなに他者から認められたいのでしょう?
とにかく認められようと頑張っていたころの記憶をたどると、他者にいい点をもらっている自分を外からチェックし、「お 高得点ついてる、いいね~」 とにんまりして 自分で自分に○をつけている姿が浮かび上がってきます。
自身をジャッジしてるんですね、得点が多いか少ないかで。
少なければ 当然○はつけられず、落ち込んで自信がなくなる、そして次はもっとがんばろうとする。
他者の目を通し、他者の評価を支えにして初めて そんな自分にほっとできる。。。。これって 他者からどうのこうの以前に、まず自分で自分を認めてられていないんですね。
条件付きでジャッジするときは、「自分を外から見ている自分」 と 「見られている自分」 に分かれており、評価してくる相手が自分だろうが他人だろうが、自身の幸福は つねに外部の条件に左右されることになります。
つまり、「条件付きの愛」 ですね。
対して 無条件に認めるとは、いま ・ ここに在る自分を 内からただ心地よく感じることであり、どんな分離とも無縁です。
何をしていようと どんな状況にあろうと、内側から氣分よく感じているときは、背筋が自然にすぅーっと伸び、からだから余分な力が抜けて、口元にはおのずと笑みが浮かびます。
そんなとき 自覚していようといまいと、私たちは自分がただ自分であることを そっくり受け入れ、祝福し、幸せをかみ締めているのです。
自身の幸福や充足を 外から判断せず、内から感じることができる、これが 「自分軸」 というもの。
そしてそんな幸福感が、自分を取り巻き守ってくれている豊かな自然や平和な環境、縁ある人々への感謝に 自然とつながっていきます。
あの 「バッド ・ インフルエンサー」 の女性も、恵まれない生い立ちを抱え、他者からエネルギーをもらおうと懸命だったようです。
たしかに、外から暖かいエネルギーを浴びた当座は 自分に力がついたように感じ、ほっとしていい氣分に浸れます。
が、それはあのマッチ売りの少女が擦るマッチのように 灯しても灯しても すぐ消えてしまう。
自分の内から湧き上がるエネルギーは、無限です。
それを感じるのに 条件はいらない、ただ遮っているものを手放すだけでいい。
もしいま あのベル ・ ギブソンという女性に会ったとしたら、できることなら この一件から感じた痛みや不安やもろもろのネガティブな感情をまっすぐ感じることから始めたらどうでしょうと勧めたい氣持ちです。
それは、この事件と関って傷ついたすべての人にもいえること。
どんな最悪と思えることでも それが起きたことに意味がある、その最悪と逃げずに向き合うことで 痛みを力に変え、地獄を天国に創り替えることだってできるのです。
力が入り過ぎたインスタグラムや、反発でもいいから反応欲しさの刺激的なコメントに対して使われているのを ちょいちょい見かけます。
おととい放送された NHKBSの 「バッド ・ インフルエンサー インスタ詐欺の顛末」 という番組は、末期ガンと脳腫瘍を 手術や化学療法に頼らず 健康な食事と代替療法で克服したとしてSNSで有名になった女性の嘘が暴かれていく様子を映し出したドキュメンタリーですが、ここまで大がかりな偽りでなくとも、受けを期待して盛り氣味でがんばっていた記事や写真の投稿が次第に重荷になったなどという話は よく聞こえてきますよね。
私たちの誰もが、大なり小なり 「他者から認められたい」 という願いを持っています。
貴秋はいい子で優等生でしたから、もちろん人一倍褒められよう認められようと躍起になっていました。
ではなぜ私たちは、そんなに他者から認められたいのでしょう?
とにかく認められようと頑張っていたころの記憶をたどると、他者にいい点をもらっている自分を外からチェックし、「お 高得点ついてる、いいね~」 とにんまりして 自分で自分に○をつけている姿が浮かび上がってきます。
自身をジャッジしてるんですね、得点が多いか少ないかで。
少なければ 当然○はつけられず、落ち込んで自信がなくなる、そして次はもっとがんばろうとする。
他者の目を通し、他者の評価を支えにして初めて そんな自分にほっとできる。。。。これって 他者からどうのこうの以前に、まず自分で自分を認めてられていないんですね。
条件付きでジャッジするときは、「自分を外から見ている自分」 と 「見られている自分」 に分かれており、評価してくる相手が自分だろうが他人だろうが、自身の幸福は つねに外部の条件に左右されることになります。
つまり、「条件付きの愛」 ですね。
対して 無条件に認めるとは、いま ・ ここに在る自分を 内からただ心地よく感じることであり、どんな分離とも無縁です。
何をしていようと どんな状況にあろうと、内側から氣分よく感じているときは、背筋が自然にすぅーっと伸び、からだから余分な力が抜けて、口元にはおのずと笑みが浮かびます。
そんなとき 自覚していようといまいと、私たちは自分がただ自分であることを そっくり受け入れ、祝福し、幸せをかみ締めているのです。
自身の幸福や充足を 外から判断せず、内から感じることができる、これが 「自分軸」 というもの。
そしてそんな幸福感が、自分を取り巻き守ってくれている豊かな自然や平和な環境、縁ある人々への感謝に 自然とつながっていきます。
あの 「バッド ・ インフルエンサー」 の女性も、恵まれない生い立ちを抱え、他者からエネルギーをもらおうと懸命だったようです。
たしかに、外から暖かいエネルギーを浴びた当座は 自分に力がついたように感じ、ほっとしていい氣分に浸れます。
が、それはあのマッチ売りの少女が擦るマッチのように 灯しても灯しても すぐ消えてしまう。
自分の内から湧き上がるエネルギーは、無限です。
それを感じるのに 条件はいらない、ただ遮っているものを手放すだけでいい。
もしいま あのベル ・ ギブソンという女性に会ったとしたら、できることなら この一件から感じた痛みや不安やもろもろのネガティブな感情をまっすぐ感じることから始めたらどうでしょうと勧めたい氣持ちです。
それは、この事件と関って傷ついたすべての人にもいえること。
どんな最悪と思えることでも それが起きたことに意味がある、その最悪と逃げずに向き合うことで 痛みを力に変え、地獄を天国に創り替えることだってできるのです。
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