最近 「シンギュラリティ」 とか 「2045年問題」 とかいう言葉をちょくちょく目にします。
難しい用語はさっぱりわかりませんが、理数系が苦手な貴秋にもわかる範囲でざっくり言えば、「AIが賢くなり過ぎて人間の手に負えなくなり、人間の活躍場所が奪われちゃったり 人間固有の概念が覆されちゃったりする問題」 ってなところでしょうか。
でも、貴秋はたいして心配していません。
貴秋にとってのAIとは、マジックハンドのようなもの。
人間の手では掴めないものが掴めるよう 長さだの握力だのといった手の機能をパワーアップさせたのがマジックハンドであるように、人間の脳ではできない速さで大量の情報を処理したり計算したりできるのがAIってことですよね。。。って平たく言い過ぎな氣もしますが。
つまり、どれほどすごいといっても 所詮は人間の機能の一部を担うに過ぎないわけで、部分が全体を凌駕するなんてあり得ない。
そのあり得ないことがあり得るように錯覚してしまうのは、私たちが左脳偏重に傾きすぎているせいではないでしょうか。
「脳」 といっても、AIがカバーできるのは 左脳 すなわち理論脳の分野だけ、過去の情報なら高速でガンガン処理できても、まだこの世に現れてもいないものをイメージしたり、言葉では掴み切れない本質を腑に落とし込んだりするのは無理な話です。
人間が言葉を用いて “源” から分け出せる知識や情報なんて 全体から見ればほんのわずかに過ぎないのですから、“源” とつながり 無限の領域からいくらでもインスピレーションを受け取れる私たちが AIに支配されたり滅ぼされたりするなんてあり得ない。。。と貴秋は思っています。
もしそんなことがあるとすれば、それは左脳オンリー ・ 顕在意識オンリーで生きる人たちの世界でのことなんじゃないかな。
最近のAIさんたちは、顔形を得たり 語彙が豊富で感情表現が豊かだったりと 妙に人間くさい面も見せるので、こういう言い方は申し訳ないような氣もしますが、言ってしまえば AIとて道具であり、人間の暮らしをよりよくするために 人間の手で作られたものです。
それが人間に害をなすとすれば、それはAIの問題というより 人間の問題でしょう。
形ある世界には つねに相反する二つの面が存在しますから、金槌だって包丁だって 創作の道具ともなれば、凶器ともなる。
どちらになるかは、使う人次第ということですよね。
AIの能力があまりにすごいので、ついつい独立した存在のように錯覚してしまいますが、AIだって まずなにがしかの初期情報を入力しなければ動けないはずです。
そして その初期情報を入力するのは人間であり、AIは自分勝手に動くのではなく 入力者の意図に応じて判断解釈し 結論を導き出すわけですね。
最近、AIが人間の学業や仕事の成績評価や 日常の態度や暮らしぶりの評価、引いては格付けに使われるなどという話を聞くことがありますが、その線引きのもとになる情報は 誰が入力したのか、誰のための評価であり格付けなのか、ということです。
そして そんな評価や格付けが、私たちの世界を統合に導くのか 分離に導くのか、世界をステップアップさせるのか 破滅させるのか、ということですよね。
貴秋の左脳なんて AIと比べれば 笑っちゃうような単純な働きしかしませんが、それでも 引きの視点に立てば これぐらいのことは訳なく見て取れます。
別に知ろうとしなくても、勝手に見えてきちゃうのです。
だから 心配せずにいられるんですね、真我さんと手を携えている限り、AIに人間が滅ぼされるなんてありっこないって。
人間を滅ぼすのは、人間だけ。
AIを作ったのも人間なら、武器を作ったのも人間、その知性を世界を平和に豊かにするために使えるのも人間なら、人よりも多くの金や地位や名誉などを得る手段として使うのも人間。
AIが止められないほどの暴走を始める前に手を打つつもりなら、私たちがまずしなければならないのは、忘れられていた真我さんを 自身の内に見つけ出し、その導きを信頼して従うことではないでしょうか。
真我さんは、誰のことも 裁いたり他と比較してレッテルを貼ったりなんてしません。
そもそも どんな人間であれ、この体験世界で 「行って かえる」 の壮大な物語を織り成すために送り出した自身のパーツであり、無駄無意味なパーツ、むげに捨ててもいいパーツなんてただのひとつもないことを 誰よりも一番よく知っているのが、他ならぬ真我さんなのですから。
私たちが お金や地位や名声や優秀な頭脳やコンピューターなどではなく、真我さんをなによりも信じて導き手とする限り、シンギュラリティも2045年問題も恐るるに足らず。
そう確信しているから、きょうも貴秋は 騒がしい世間を尻目に キンモクセイの香りに酔いしれ、庭仕事やおやつ作りに興じていられるのです。
勝手に始まっちゃった 「真我さんシリーズ」 ですが、そろそろこのタイトルにも飽きてきたので(おい)、今回でおしまいにさせていただきますね。
本日も 長い文章をおしまいまでお読み下さり、ありがとうございました。
難しい用語はさっぱりわかりませんが、理数系が苦手な貴秋にもわかる範囲でざっくり言えば、「AIが賢くなり過ぎて人間の手に負えなくなり、人間の活躍場所が奪われちゃったり 人間固有の概念が覆されちゃったりする問題」 ってなところでしょうか。
でも、貴秋はたいして心配していません。
貴秋にとってのAIとは、マジックハンドのようなもの。
人間の手では掴めないものが掴めるよう 長さだの握力だのといった手の機能をパワーアップさせたのがマジックハンドであるように、人間の脳ではできない速さで大量の情報を処理したり計算したりできるのがAIってことですよね。。。って平たく言い過ぎな氣もしますが。
つまり、どれほどすごいといっても 所詮は人間の機能の一部を担うに過ぎないわけで、部分が全体を凌駕するなんてあり得ない。
そのあり得ないことがあり得るように錯覚してしまうのは、私たちが左脳偏重に傾きすぎているせいではないでしょうか。
「脳」 といっても、AIがカバーできるのは 左脳 すなわち理論脳の分野だけ、過去の情報なら高速でガンガン処理できても、まだこの世に現れてもいないものをイメージしたり、言葉では掴み切れない本質を腑に落とし込んだりするのは無理な話です。
人間が言葉を用いて “源” から分け出せる知識や情報なんて 全体から見ればほんのわずかに過ぎないのですから、“源” とつながり 無限の領域からいくらでもインスピレーションを受け取れる私たちが AIに支配されたり滅ぼされたりするなんてあり得ない。。。と貴秋は思っています。
もしそんなことがあるとすれば、それは左脳オンリー ・ 顕在意識オンリーで生きる人たちの世界でのことなんじゃないかな。
最近のAIさんたちは、顔形を得たり 語彙が豊富で感情表現が豊かだったりと 妙に人間くさい面も見せるので、こういう言い方は申し訳ないような氣もしますが、言ってしまえば AIとて道具であり、人間の暮らしをよりよくするために 人間の手で作られたものです。
それが人間に害をなすとすれば、それはAIの問題というより 人間の問題でしょう。
形ある世界には つねに相反する二つの面が存在しますから、金槌だって包丁だって 創作の道具ともなれば、凶器ともなる。
どちらになるかは、使う人次第ということですよね。
AIの能力があまりにすごいので、ついつい独立した存在のように錯覚してしまいますが、AIだって まずなにがしかの初期情報を入力しなければ動けないはずです。
そして その初期情報を入力するのは人間であり、AIは自分勝手に動くのではなく 入力者の意図に応じて判断解釈し 結論を導き出すわけですね。
最近、AIが人間の学業や仕事の成績評価や 日常の態度や暮らしぶりの評価、引いては格付けに使われるなどという話を聞くことがありますが、その線引きのもとになる情報は 誰が入力したのか、誰のための評価であり格付けなのか、ということです。
そして そんな評価や格付けが、私たちの世界を統合に導くのか 分離に導くのか、世界をステップアップさせるのか 破滅させるのか、ということですよね。
貴秋の左脳なんて AIと比べれば 笑っちゃうような単純な働きしかしませんが、それでも 引きの視点に立てば これぐらいのことは訳なく見て取れます。
別に知ろうとしなくても、勝手に見えてきちゃうのです。
だから 心配せずにいられるんですね、真我さんと手を携えている限り、AIに人間が滅ぼされるなんてありっこないって。
人間を滅ぼすのは、人間だけ。
AIを作ったのも人間なら、武器を作ったのも人間、その知性を世界を平和に豊かにするために使えるのも人間なら、人よりも多くの金や地位や名誉などを得る手段として使うのも人間。
AIが止められないほどの暴走を始める前に手を打つつもりなら、私たちがまずしなければならないのは、忘れられていた真我さんを 自身の内に見つけ出し、その導きを信頼して従うことではないでしょうか。
真我さんは、誰のことも 裁いたり他と比較してレッテルを貼ったりなんてしません。
そもそも どんな人間であれ、この体験世界で 「行って かえる」 の壮大な物語を織り成すために送り出した自身のパーツであり、無駄無意味なパーツ、むげに捨ててもいいパーツなんてただのひとつもないことを 誰よりも一番よく知っているのが、他ならぬ真我さんなのですから。
私たちが お金や地位や名声や優秀な頭脳やコンピューターなどではなく、真我さんをなによりも信じて導き手とする限り、シンギュラリティも2045年問題も恐るるに足らず。
そう確信しているから、きょうも貴秋は 騒がしい世間を尻目に キンモクセイの香りに酔いしれ、庭仕事やおやつ作りに興じていられるのです。
勝手に始まっちゃった 「真我さんシリーズ」 ですが、そろそろこのタイトルにも飽きてきたので(おい)、今回でおしまいにさせていただきますね。
本日も 長い文章をおしまいまでお読み下さり、ありがとうございました。
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