前回牛乳で作るアイスクリームのことを書きましたが、これとコーヒーゼリーの相性が抜群なことに氣づいてゴキゲンな貴秋です。
ゼリーといっても ゼラチンではなく寒天パウダーを使い、コーヒー液多めの配合にして柔らかく仕上げるのが好みですが、甘みは控えめにして、物足りない人にはグラニュー糖で作ったガムシロップを添え、牛乳をたっぷりかけて崩しながら食べるのが貴秋流。
で、ふと思いついて このゼリーに例のアイスを乗っけてみたら、溶けたアイスが牛乳の代わりになるので 「溶けちゃう前に食べなきゃ」 という焦りから解放され、また合間合間に口にするゼリーが アイスで冷え切った口の中をほどよく温めてくれて、とてもいい組み合わせなのです。
きのうはここに 残っていた缶詰の黄桃のスライスを添え、庭のアップルミントを飾りました♪
「自己満足で氣が引ける」 なんて言いながら このところ毎回こんな話を書いておりますが、白状すれば やっぱり楽しいし、こんな他愛ない話でも読んでくださる方があるのがうれしく幸せです。
それにしても、同じように日常のことを書いていても 和歌山時代とはなんて違うのでしょう。
あの頃は どんな楽しい時間も長くは続かなくて。。。っていうか、自分の中に 「いい時間は長くは続かない」 という思い込みがあったんでしょうね。
だから、「いまはこんなていたらくでも 先にはもっといい世界があるはず、よりよい未来が実現するまで なんとかいい氣分を保って時を稼ごう」 というスタンスで毎日を生きていて、純粋にいまという時間を楽しめてはいなかったのです。
何かに打ち込んでいても、それが済むとふっと退屈を覚えたり空しくなったり、避け続けていた不安や恐れにどっと襲われたり、といった具合で、来る日も来る日もそんな感情の浮き沈みの繰り返し。
鬱モードになると 何をする氣も起こらなくなるから、せっかく種を播いたり苗を植えたりしても そのあとほったらかしで、ふと氣づくと 枝葉がぼうぼうに茂って 全体に養分が行き渡らず実付きが悪かったり、天然酵母のパン種を仕込んでも、ここぞというところで氣力が失せて 発酵のベストタイミングを逃して失敗したり、青梅を買ってきたのに 落ち込んでいる間に黄色く熟れてしまって 予定のものを作り損なったりと がっかりすることも多く、そんなネガ氣分に引っ張られまいと いいことや楽しい時間にことさら意識を集中させてのブログ書きだったわけです。
書いていることにウソはないけど、実際は書かれていない負の時間のほうが長く優勢で、それに負けまいと懸命だった。
それがいまは 不安に脅かされることもなく、子どもの遊びのように 次から次へと “いまの一番” を渡り歩く毎日なのですから、変われば変わるものです。
発酵食や保存食作りでタイミングを逸することもなければ、毎日欠かさず手入れをするおかげで 野菜もたっぷり実を恵んでくれます。
この話のミソは、状況がよくなったから 氣分が安定したのではなく、不安や恐れを手放して氣分が安定したから 状況がよくなったのだというところ。
もう 未来にばかりフォーカスして いまをどうにかやり過ごす なんて生き方をする必要はない、いつだってそのとき選んだものが “いまの一番” なのだから、いまをただ楽しんでいれば 未来の悪かろうはずがない。
すっかり氣が楽になり、ひとかどの人間になろうとか 大きなことを成し遂げようとか そんな力みはどこかにいっちゃって、おいしいご飯やおやつを作って食べ、夏の空や花を愛で、セミの声に耳を傾け、秋蒔き野菜は何にしようとプランを練る、そんなささやかな積み重ねだけで十分ハッピーな人生です。
ゼリーといっても ゼラチンではなく寒天パウダーを使い、コーヒー液多めの配合にして柔らかく仕上げるのが好みですが、甘みは控えめにして、物足りない人にはグラニュー糖で作ったガムシロップを添え、牛乳をたっぷりかけて崩しながら食べるのが貴秋流。
で、ふと思いついて このゼリーに例のアイスを乗っけてみたら、溶けたアイスが牛乳の代わりになるので 「溶けちゃう前に食べなきゃ」 という焦りから解放され、また合間合間に口にするゼリーが アイスで冷え切った口の中をほどよく温めてくれて、とてもいい組み合わせなのです。
きのうはここに 残っていた缶詰の黄桃のスライスを添え、庭のアップルミントを飾りました♪
「自己満足で氣が引ける」 なんて言いながら このところ毎回こんな話を書いておりますが、白状すれば やっぱり楽しいし、こんな他愛ない話でも読んでくださる方があるのがうれしく幸せです。
それにしても、同じように日常のことを書いていても 和歌山時代とはなんて違うのでしょう。
あの頃は どんな楽しい時間も長くは続かなくて。。。っていうか、自分の中に 「いい時間は長くは続かない」 という思い込みがあったんでしょうね。
だから、「いまはこんなていたらくでも 先にはもっといい世界があるはず、よりよい未来が実現するまで なんとかいい氣分を保って時を稼ごう」 というスタンスで毎日を生きていて、純粋にいまという時間を楽しめてはいなかったのです。
何かに打ち込んでいても、それが済むとふっと退屈を覚えたり空しくなったり、避け続けていた不安や恐れにどっと襲われたり、といった具合で、来る日も来る日もそんな感情の浮き沈みの繰り返し。
鬱モードになると 何をする氣も起こらなくなるから、せっかく種を播いたり苗を植えたりしても そのあとほったらかしで、ふと氣づくと 枝葉がぼうぼうに茂って 全体に養分が行き渡らず実付きが悪かったり、天然酵母のパン種を仕込んでも、ここぞというところで氣力が失せて 発酵のベストタイミングを逃して失敗したり、青梅を買ってきたのに 落ち込んでいる間に黄色く熟れてしまって 予定のものを作り損なったりと がっかりすることも多く、そんなネガ氣分に引っ張られまいと いいことや楽しい時間にことさら意識を集中させてのブログ書きだったわけです。
書いていることにウソはないけど、実際は書かれていない負の時間のほうが長く優勢で、それに負けまいと懸命だった。
それがいまは 不安に脅かされることもなく、子どもの遊びのように 次から次へと “いまの一番” を渡り歩く毎日なのですから、変われば変わるものです。
発酵食や保存食作りでタイミングを逸することもなければ、毎日欠かさず手入れをするおかげで 野菜もたっぷり実を恵んでくれます。
この話のミソは、状況がよくなったから 氣分が安定したのではなく、不安や恐れを手放して氣分が安定したから 状況がよくなったのだというところ。
もう 未来にばかりフォーカスして いまをどうにかやり過ごす なんて生き方をする必要はない、いつだってそのとき選んだものが “いまの一番” なのだから、いまをただ楽しんでいれば 未来の悪かろうはずがない。
すっかり氣が楽になり、ひとかどの人間になろうとか 大きなことを成し遂げようとか そんな力みはどこかにいっちゃって、おいしいご飯やおやつを作って食べ、夏の空や花を愛で、セミの声に耳を傾け、秋蒔き野菜は何にしようとプランを練る、そんなささやかな積み重ねだけで十分ハッピーな人生です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます