どんな時も 全てが私の娘

2021-12-27 23:10:20 | 日記
またもや巻き爪になってしまったオト。
それと、ゲームのガチャで何回頑張っても欲しいものが出ないらしい。

「わたし、運ない…。

そう言って私を困らせるオト。


「この運のなさ、どこで運を使ってしまったんだろう…。」



何にも言ってあげれないなぁって思ってたら

「ねぇ、ママ。いつかこの運のなさが報われる時が来るんやろうか?」

と、質問され
答えに困りました。



なぜなら、私も今までの人生運がなかったしこれからも運を信じてはいないからです。

ギャンブル的なことで幸せを掴もうとすること自体が間違っているという固定概念から全く共感ができず…。

巻き爪に関しては『運動をしていないからでしょ』という思いがあって…

オトの悲しみに寄り添えずにいてました。

きっとオトは私に『大丈夫。きっと次に運が来るよ』とか、『いつか絶対報われる』って言って欲しかったんでしょうね。

「ん〜。きっと、オトが思ってもいないことで幸運はやってくるんじゃないかな」
なんて、
オトが求めていないような回答をし
重たい空気から逃れたいために
食器をいそいそと洗うことにしました。



オトはガチャに囚われている


そんな気持ちになって…私の心は暗く重くなりました。


そうかと思ったら、YouTubeを見て笑っていたりといつものオトに戻っていたりもします。

そうして、
オトの閉ざされた世界の中で起きる浮き沈みに私がひっぱられていることに気付くんです。


思考を変えて…
きっとオトは
今よりも少し上にいくために
1度 しずむだけ
沈んだ時の浮力て少しずつ
上に進んでいる。

同じようなことで
嘆き 沈んでいるように見えるけれども
同じ場所じゃない。

螺旋状に
確実に
上へ上へと
状況は前進しているはず。

そういう風に信じて待つ。




以前 夫に
「オト、ちょっと変わったよね。前よりも良くなったよね。」
なんて言ったことがありました。

夫は
「オトは前からあんな感じだし、今もこれからも変わらないよ。」
と言いました。

あの時、私は凄く夫に怒りました。

『以前より良くなった』と言って欲しかったからです。

でも、今あの時の事を思い出すと、
“夫は間違っていない”と思えています。

むしろ、私が『不登校になった娘』を否定していただけなんだということに気が付きます。

落ち込んでいるオト
人を怖がるオト
運がないというオト

それも大事な私のオトでした。
人は落ち込むのは当たり前で、しんどい事を口にするのも当たり前です。

しんどさを吐き出しながらも
楽しいことや、嬉しいことで気分を変えて
自分らしく生きているんだと
思ったらいいんだと
ようやく思えてきました。



今日のオトは
夫と夫の実家に行って来たようです。

お料理上手な義母と一緒にピザ作りをしてきてくれました。

家に帰ってからもコーンスープを作ってくれたので随分なご馳走様メニューになりました

今日が1番クリスマスみたいな晩ご飯になったねありがとう!