さりげなく日常  陶芸教室・あそび庵

やきものに心奪われ、山歩きに心癒し、欲に心盗まれぬよう、自戒を込めて、日々の暮らしを綴ります。

チベットの民

2007-06-19 | Weblog
その昔、漢との戦いの地に

今、異国の民が無数の跡を刻む

にもかかわらず

人々は日々のくらしを黙々と刻む


幸いは物のゆたかさにあらず

大地に根をおろす安心の思い

ここに平和な日常があることを

こころの広がりとして

今日もまた喧騒に暮らす
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備忘録 2

2007-06-15 | Weblog
その地は、チベット族・回族の居住地。
漢民族との戦いの跡。
今は、隔てる川に橋がかかり、日々の平和なくらしがある。

彼らのゆるぎない暮らしは、慣習と信仰に裏付けられているようだ。

私がかつて、この身からそぎおとしていった慣習は、この地では
大地に根ざすすべとなる。

失った慣習の代償としての「個」は、一体どこに向かうのか?
そろそろ、赤裸の身に「伝統」をまとう時なのかもしれない。

アミューズの皆さん、留守宅をまもってくれた家族に感謝。
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九さい溝

2007-06-14 | Weblog

人あふるる昼も

星あふるる夜も

かわらずその流れは 岩を滑り

碧く揚子江にながれ下る


葉にまとう蛍卵に



しんしんとした蛍光の舞を想い

その神秘にこころはずませ

いまこの星に在ることを歓びとす

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備忘録 1

2007-06-13 | Weblog
上海から奥へ乗り継ぐこと2便。
海抜3500m640気圧へ降り立つ。
息が切れる。

九さい溝の門口は、圧倒されるほどの人の波。
中国語の喧騒に、後悔の念がよぎる。
人の背を観ながら、歩く・あるく・・・

ほどなく道をはずれ、人の波がまばらになり、そしていなくなった。
予想通り、山は脇に道があった。

碧色の流れを追いつつの散策は、一介の生き物としての感謝に変わる。
地球のうつくしい造形は、人知れずまだ残されて、
誇ることなく、日々の営みを繰り返しているのだろう。
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