日々是好日?かささぎなくらし

筑紫平野→新潟平野→関東平野と旅を続けるかささぎが,「よく暮らす」に焦点を当てて 鳴いてみる。らしい。

書き言葉 と 話し言葉

2005-09-22 13:08:17 | おもうこと
※拙記事:書き言葉 話し言葉(2005/09/16) への 一つの解答


書き言葉 と 話し言葉 の違いは何か?
    

書き言葉…書いている言葉。書かれたコトバによってあらわされているもの。
話し言葉…話している言葉。話されたコトバによってあらわされているもの。




書き言葉とは 或る意図によって二次元上に書いた書かれた言葉 である。

書くとき書かれるとき,
書き手の目の前に読み手が実在するかしないかは,書き手にとって問題ではない。

書き手は,
紙面や画面の向こうに 存在の確かな(或いは不確かな)読み手を想定しつつ,言葉を残すこともあるだろうし,
紙面や画面の向こうの遠い時間軸に 存在を確かにしておきたい在るはずの自分だけにあてて,言葉を残すこともあるだろう。

どちらにしても書き手主体。書き手が全て で言葉を残す。


一方
話し言葉とは 或る意図によって三次元上に放った放たれた言葉 である。

話すとき話されるとき,
話し手の目の前に聞き手が実在するかしないかは,話し手にとって大きな問題となる。

話し手は,
眼前や脳裏の近い時間軸に 存在を確かにしておきたい在るはずの自分にあてて,言葉を放つこともあるだろうが,
眼前や脳裏に 存在の不確かな聞き手を想定しながら言葉を放つことはない。
そこには 
存在の確かな聞き手が居る。確かな相手が存在するはずだ。

そして話し手は主体であるにも関わらず,話し手は全てにはならない。

主体であったはずの話し手は,聞き手(の反応)を眼前にリアルタイムに確かめるとき,
客体として立場を入れ換える。

眼前にある聞き手という存在が,存在する聞き手の反応が,
話し手の意図にあるはずの話し言葉を,主体であるはずの話し手へとフィードバックさせる。
話し手の話し言葉は,聞き手という客体によって,話し手本人へとフィードバックする。

話し手が,フィードバックされた話し言葉を再度受け取るとき,
主体であったはずの話し手は客体となる。

聞き手が在るから,話し手の放つ話し言葉は 生命を持つのだ。
言葉は,話し手から聞き手を経由して話し手へと戻る。

この時間的な経過を必ず辿るので,話し手が全てで言葉を残すことにはならない。




同一時間軸に存在するのは書き手(同一時間軸に読み手の実在は不明確)という,二者以下関係※ でつかう(つかわれる)書き言葉。
同一時間軸に存在する話し手と聞き手という,二者関係 でつかう(つかわれる)話し言葉。

これが違いの元だ。この違いが まさしく次元の分かれ目になる。





※精神分析医の小此木啓吾氏は,その著書『ケータイ・ネット人間の精神分析~少年も大人も引きこもりの時代~』で
「1.5者関係」という言葉を使っていた。

彼は「ケータイ・ネットの利用で,1.5者関係による孤独感のない孤独が存在する」と書いてもいる。
これについては 2001/04当たりの読書メモ等を探してから,また言及することにしたい。

ケータイ・ネット人間の精神分析』小此木啓吾

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは。 (Ken)
2005-09-22 15:56:19
以前、話し言葉と書き言葉の違いについて、レトリックという観点から考察した記事があります。

http://blog.goo.ne.jp/kanimaster/e/bb1ff0bc0404c6fdf81e4f2a7cba0818

参考になるかどうかわかりませんが、よかったらお読みください。

(続きを書こうかと思っています。)
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かきことばはなしことば (かささぎ)
2005-09-24 17:20:53
Kenさん今日は^^ 載せて下さったリンク記事を再度拝見して確認しました。有難うございます^^

 (ところで「修辞」についての記事,私も仕立てようとして草稿のままもう数週間・・・で,勢いでこちらを先に仕上げたと言う感じです。放置はあまり頂けませんよねぇ^^;)



結局「話し言葉」と「書き言葉」の違いは,目の前に相手が居るか居ないか,時間を追えるか否か なのではと考えました。

Kenさんが「会話というのは、読み返すことが可能な文章と違って、直前に発せられた言葉しか相手に伝わっていないことが多く、言葉尻だけに反応してしまう場合がある」と書かれていた,まさにこの部分ですね。ここが,核心だと私は考えたのです。



会話で比喩をよくつかいます,私。受験講座で一般的に話を展開しても,高校生位の若い人は語彙が基本的に足らないので着いてこられない。だから,「あーたとえばねぇ…スポーツなんかでも同じようなことないかな?あなたがこう言って…」なんて,

相手のわかる話に引き寄せることは頻繁にあります。で,会話ですから,相手が何に興味を持っているかを,事前に理解しておくかその場の反応で推測していくかしないと,適当な例が見当たらないのですよね。適当な例がないと理解が苦しくなって,相手(受験生)にとってはそれこそ「聞かなければ良かった^^;」となるおそれがあるので,細心の注意を払っている(つもりな)のです。



時間と相手・・・これが違いの元ですね^^
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