最近読書よりもPerfumeのCDを聴くことが多く、読み終わるまでに時間がかかった。
家の中でのささやかな出来事に喜びを見出し、自身がちょっと輝くといった短編集。
インターネットオークションにはまる主婦。会社の倒産をきっかけに家事・育児を楽しむ若いお父さん。別居をきっかけに自宅を自分好みの家具で彩るサラリーマン。若い男と知り合うことで夜毎エッチな夢を見て経験したことのない絶頂感を楽しむ主婦等々。
僕自身も十分小説のネタになるなと感じさせる一冊だった。
桐野夏生『顔に降りかかる雨』読了。
江戸川乱歩賞受賞作。桐野作品にありがちな残酷描写を抑えた推理小説である。女探偵、村野ミロ最初の事件。最後の最後に真犯人を問い詰める描写はなかなかなもの。
作中登場するミロの父親(この人も元探偵)が言ったセリフに、なるほどと感心する言葉があった。“大事なのは変だと感じる感性と、何故だと考える想像力だ”。これは探偵に限らず、頭を働かせる上で大切なことだと思う。
うつがひどい時は、完全に思考が停止していた。その頃と比べると随分聡明になったと思う。あくまでも比較の上でだけどね。
重松清『卒業』読了。
四編の物語は母親、父親、親友の死をベースに描かれている。
“生き様”という言葉と対をなす言葉は“死に様”だろう。でも僕は同意語のように感じてしまう。病死、事故死、自殺、天寿の全う、それら全てに歩んだ人生が重ね合わされる。生きとし生ける者は何のために生きているのか。それは死ぬためである。どう抗おうとも、生まれた瞬間から生のベクトルは一直線で死に向かっている。
その過程から無念や悲しみ、果敢なさ、あるいは喜びがあるのだろう。
僕は自らの手で人生にピリオドを打とうとした。成し遂げていれば、それはさぞかし無様な“生き様”であり“死に様”であったろう。
重松清『ビタミンF』読了。
直木賞受賞作品。主人公の父親達は、丁度僕と同じくらいの世代。子供とのコミュニケーションに歯がゆさを感じている。
働いている時、あるメーカ-の営業マンが、中学生になった娘とのコミュニケーションがうまくいかない、スキンシップを図ろうものなら、「触るな!エロオヤジ!」と罵られると寂しそうに笑っていた。
息子が中学に進学する時、僕は、うつの真っただ中。中学生の心得や勉強、スポーツに関するアドバイスなど何一つしてやれなかった。悔やんでも悔やみきれない気持ちで一杯である。
僕にとっては切ない気持になる一冊だ。
奥田英朗『延長戦に入りました』読了。
雑誌「モノ・マガジン」に連載されていたスポーツエッセイ。野球、サッカー、剣道、プロレス等々、様々なスポーツが笑いを誘う視点で語られている。それにしても奥田英朗のスポーツへの関心度には、なみなみならぬものを感じる。自身も結構スポーツマンのようだ。
まいったなこりゃ、と思う記述が2点あった。
“鉄ゲタなるものを購入した輩は笑い者になるであろう”・・・僕は小学生の時、鉄ゲタを買いました。歩きづらいのなんの。持ち上げた右足の鉄ゲタで左足のすねをぶつけたりしていた。痛いの痛くないのって、痛いんだけどね。
“陸上800メートル走のランナーは日蔭者”・・・息子は800メートル走の選手だ。読ませたら気持ちが萎えるかな。