大黒屋に宿泊する前に小峰城に立ち寄った小生、改めて白河という処の重要性を認識した。となれば・・・で、思い立ちチェックアウト後に向かったのが「白河の関」だ。
読者の皆さまにもご案内のことと思うが、白河の関は東北と関東の境にある関所で、甲子園の優勝旗が白河の関を越えるかという話題が出る。
その第一号が仙台育英になったわけだが・・・その一方で、有名な松尾芭蕉の「奥の細道」の序文にも白河の関が出てくる。
さてナビを入れると、小峰城よりけっこう遠い、ってか国道4号線からもかなり離れているぞ。それなりに時間がかかり、現地に到着。
そこは白河神社という神社があるところだった。この神社、延喜式内社で、第13代成務天皇の勅命により建立されたという。なんと神話時代に近いぞ。
そしてこちら(左写真)が古関蹟の碑といい、松平定信が1800年にこの地を白河の関と認定したときに建立したものという。
神社の周囲は土塁の跡があり、関所というよりさながら山城のような佇まいだ。またカタクリの自生地にもなっていた。
さらに、白河の関にちなむ歌碑には平兼盛・能因法師・梶原景季と平安時代から鎌倉時代にかけての歌が並ぶ。能因法師は百人一首にも選ばれている歌人として名高いし、平兼盛も百人一首に選ばれている。ついでに言えば彼は、赤染衛門の事実上の父だ。
梶原景季といえば、鎌倉殿の十三人にも出ていたが、平泉攻めの時に立ち寄ったと。
さらには源義経も頼朝挙兵に呼応し、平泉から鎌倉に行く途中に立ち寄っていた。また、その他のいろいろな跡がたくさんあり、歴史をずいぶん感じてしまった。
ここは、みちのくの三大関(すなわち白河の関・勿来の関・鼠ヶ関)のひとつだ。白河の関は奥州街道にあり、勿来の関は常磐道にある。鼠ヶ関は山形だ。
勿来の関は2015年に訪問していて、前九年の役・後三年の役にゆかりの源義家の歌碑があったが、白河にも前九年の役の時に、ここに立ち寄ったことが記されていた。
歴史はつながっているなあ・・・と。ここから少し行くと栃木県に入るが、県境には小さな神社があり、そこも義経ゆかりのものだった。
そうそう、白河神社の祭神の中に住吉明神と玉津島明神がいらした。和歌三神のうちの二柱が祭られている。
なるほど松尾芭蕉にとっても聖地だったわけか・・・
こちらは車でないと行きにくいが、一度はお寄りになってもいいかと・・・
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