アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

天海大僧正訓言

2016-08-07 06:00:02 | つれづれ
先日、輪王寺に出掛けた小生であるが、三仏堂という本堂的な建物の中で見つけたのが、トップ写真の遺訓・・・ではなく訓言とある。

 仁過ぐれば 弱くなる
 義過ぐれば 堅くなる
 礼過ぐれば へつらいとなる
 智過ぐれば うそをつく
 信過ぐれば 損をする

 むむ、なんとも簡潔にしてかつ重厚な佇まいだ。人として仁義礼智信は尊ぶべきものであるが、そのいずれも過ぎれば、かえってという・・・
 こう見えて小生、仁は強すぎると思っている・・・確かに弱い・・・礼も強い。はたから見ればへつらいか・・・

 智だけは少ないが、信は強いがゆえに、だまされては損ばかりしてきた。それでもだますより、だまされる方がいいと過ごしてきた。
 そういえば、天海大僧正の遺訓というと、有名なのもある。こちらをご覧いただこう
   「気は長く 勤めはかたく 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ」というものだ。

 天海大僧正は108歳まで生きたとされている。当時はもちろん、現代でも稀な長命だが、その長命の秘訣がここにあるのかと。
 ちなみに天海=明智光秀という伝説もいまだに根強い都市伝説だ。さまざまな角度から分析した記事も少なくない。こんなのをご参考にされたい

 冷静に考えると、苛烈な戦国時代の武将として走り抜けていた明智光秀がそこまでストレスをためずに長生きするのは考えにくい。
 ただ、光秀が天海だったとすると、年齢的には矛盾がほぼないという。一方で、引用した記事によれば、光秀の娘婿の可能性もあり、仮に年齢を光秀のそれから引き継げば・・・とも考えられる。

 平成12年8月5日にTBSテレビ『世界・ふしぎ発見』「東照宮の謎-徳川埋蔵金伝説の謎を追え!」の中で光秀と天海の筆跡鑑定の結果が放映されたという。
 結論は「同一人物ではないが、親子のような近親者」というようなものであったというから、この線もあながち・・・だ。

 川越の喜多院は天海僧正ゆかりのお寺だが、家光の産まれた部屋が移築されているし、家光の乳母の春日局は明智光秀に近い人物だ。
 考えればきりがないが、少なくとも家光にとって天海は参謀以上の存在だったわけで、そんな天海が残したこの訓言・・・素直に読んでいいのかって気もしてしまう
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« マネークリップを購入してみ... | トップ | 塩舎八州で宴会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事