菅原道真といえば、学問の神様として名高い。確か富山では、各家庭に天神様として菅原道真の掛け軸があるという。
というところで、先日松江に行ったとき見つけたポスターだが・・思わず焦ってしまった。
「菅原道真公、かつがれて四百年」・・・へえ、菅原道真ってだまされたまんまんだったんだ・・・って、読んでしまった小生はビョーキだろうか(苦笑)
というところで、先日松江に行ったとき見つけたポスターだが・・思わず焦ってしまった。
「菅原道真公、かつがれて四百年」・・・へえ、菅原道真ってだまされたまんまんだったんだ・・・って、読んでしまった小生はビョーキだろうか(苦笑)
一つは旧宍道町の区域になる菅原天満宮で、菅原道眞が承和十二年(西暦845年)6月25日この出雲国菅原の里で生まれた由緒ある地……といいつつ、現在の奈良市菅原町周辺で生まれたとされる説があったり、菅大臣神社(京都市下京区)説、菅原院天満宮(京都市上京区)説、吉祥院天満宮(京都市南区)説もあるため……どこで生まれたのかはタイムマシンに乗って確かめにいかないとダメなようです。
白潟天満宮の由緒は、保元年間(1156年ごろ)、平景清が出雲に赴任し、お城を島根県能義郡の富田山に築こうとした時、眼病にかかり日を追って重くなったんだそうです。
菅神に一心に祈っていたところ、夢の中でお告げがあり、まもなく全快しました。
菅神へのお礼のために城内に鎮守として社殿を建立し、以後、富田城内に長くまつられてきました。
それから慶長年間(1600年ごろ)に、城を松江に移し松江城を建設した堀尾吉晴が、天満宮をこの白潟の地に奉還しました。
以後、歴代松江藩主の尊崇を受け、庶民の間でも学問の神様として広く信仰されてきまし
た。
ということで400年の時間に一致するようです>白潟天満宮。