さて、昨日は「立川談笑独演会、其の92」を聞きに国立劇場に出かけてきた。談笑の独演会に行くのは初めてだが、これだけ回数を重ねているのはたいしたものだ。しかも、確か3月か4月に発売されてやっと取ったチケットだ。
会場に着くと当然のように満員御礼、小生立川流の信奉者ではないが、従前の「今聞くべき噺家」を紹介した本でも絶賛されているのだからして・・・と期待していた。
開口一番の前座はなく、いきなり談笑が登場・・・なんだが、微妙な出囃子が聞こえてきた段階で場内はバカウケ(汗) 正直この瞬間からやな予感が・・・
どうやら噺ではなく、この出囃子のイタズラそのものでウケているのだが、これってほとんど身内の宴会芸の世界じゃないか?
時事ネタをマクラにふるのは、立川談志の得意なところだが、滑舌が悪いところに声が小さく聞き取りにくい。それでもウケてるって?
さて肝心の噺だが、一席目が風呂敷・・・だったんだが、得意(らしい)の改作で、サゲがありゃりゃ・・・という展開。狙ったかどうかわからんが、「紙入れ」のつかみこみという、噺家が寄席では絶対やってはいけないタブーを犯してくれた(怒)
そして雑さの消えない船徳を続けてやって中入り。
時間がまったりしていないのはいいが、なぜ場内あんなにひとつひとつのくすぐりでバカウケするのかとんとわからない。
落語として面白いというより、あえて失敗を笑いに持ち込むコントあたりのノリに近い。むしろ、談笑ならば何でもよいという同好会という感じだ。むむむ、これは失敗したかも・・・
中入り後はどうだろうと思ったが、着替えもなく、イメージ変わらないまま「野ざらし」に入る。立川流伝統の演り方から改作という意欲は見えたが、未消化な印象は残った。
さらに、時間があったため、そのまま「へっつい幽霊」に入った。これまた改作で、人情噺っぽいラストは、今日唯一キラッという光を感じた。
だが、これも仕込みがモタモタした感じで、せっかくのサゲが唐突感が強く出すぎた感じがした。中盤の展開にもうひと磨きしてほしい。
終わってみて、もちろん噺家は各自の趣味なので否定してはいけないが、少なくとも小生は二度と行かないだろうと思うにいたった。
最近出かけた会で、これだけピクリとも感じなかった会はなかった。ときに帰りの電車で感じたのは、「この独演会は何のためにやっているのかがわからない」であった。
正蔵のように毎回ネタおろしを公言して、チャレンジしているという感じはしない。この日もしゃべりながら何をやろうか考えているくらいだったから・・・
寄席に出ないから関係ないといえばそうだが、寄席のタブーをやっている談笑に拍手を送る気はさらさらない。これが彼の勉強会になっているかといえばおおいに疑問だ。
これだけチケットが売れるのは、熱狂的なファンがいるからだ。ファンはどんな出来でもウケてくれる。だが、それでは、その噺家は大きくならない・・・
談笑には、ぜひ寄席に出て勉強してほしいとあえて書きたい。って、書いてたら、また立川流のファンから叩かれるんだろうなあ(汗)
会場に着くと当然のように満員御礼、小生立川流の信奉者ではないが、従前の「今聞くべき噺家」を紹介した本でも絶賛されているのだからして・・・と期待していた。
開口一番の前座はなく、いきなり談笑が登場・・・なんだが、微妙な出囃子が聞こえてきた段階で場内はバカウケ(汗) 正直この瞬間からやな予感が・・・
どうやら噺ではなく、この出囃子のイタズラそのものでウケているのだが、これってほとんど身内の宴会芸の世界じゃないか?
時事ネタをマクラにふるのは、立川談志の得意なところだが、滑舌が悪いところに声が小さく聞き取りにくい。それでもウケてるって?
さて肝心の噺だが、一席目が風呂敷・・・だったんだが、得意(らしい)の改作で、サゲがありゃりゃ・・・という展開。狙ったかどうかわからんが、「紙入れ」のつかみこみという、噺家が寄席では絶対やってはいけないタブーを犯してくれた(怒)
そして雑さの消えない船徳を続けてやって中入り。
時間がまったりしていないのはいいが、なぜ場内あんなにひとつひとつのくすぐりでバカウケするのかとんとわからない。
落語として面白いというより、あえて失敗を笑いに持ち込むコントあたりのノリに近い。むしろ、談笑ならば何でもよいという同好会という感じだ。むむむ、これは失敗したかも・・・
中入り後はどうだろうと思ったが、着替えもなく、イメージ変わらないまま「野ざらし」に入る。立川流伝統の演り方から改作という意欲は見えたが、未消化な印象は残った。
さらに、時間があったため、そのまま「へっつい幽霊」に入った。これまた改作で、人情噺っぽいラストは、今日唯一キラッという光を感じた。
だが、これも仕込みがモタモタした感じで、せっかくのサゲが唐突感が強く出すぎた感じがした。中盤の展開にもうひと磨きしてほしい。
終わってみて、もちろん噺家は各自の趣味なので否定してはいけないが、少なくとも小生は二度と行かないだろうと思うにいたった。
最近出かけた会で、これだけピクリとも感じなかった会はなかった。ときに帰りの電車で感じたのは、「この独演会は何のためにやっているのかがわからない」であった。
正蔵のように毎回ネタおろしを公言して、チャレンジしているという感じはしない。この日もしゃべりながら何をやろうか考えているくらいだったから・・・
寄席に出ないから関係ないといえばそうだが、寄席のタブーをやっている談笑に拍手を送る気はさらさらない。これが彼の勉強会になっているかといえばおおいに疑問だ。
これだけチケットが売れるのは、熱狂的なファンがいるからだ。ファンはどんな出来でもウケてくれる。だが、それでは、その噺家は大きくならない・・・
談笑には、ぜひ寄席に出て勉強してほしいとあえて書きたい。って、書いてたら、また立川流のファンから叩かれるんだろうなあ(汗)
が、寄席のタブーをやっていることを独演会だからという理由で小生は許容できないのです。まあ小生も所詮古臭い噺家の端くれですからそのDNAから抜けられないのですが・・・
談笑師については、半年ほど前まではお江戸日本橋亭で月例独演会をやられており、手狭になってきたので国立に移りました。国立でも完売御礼が続いています(実際には空席もあったりしますけどね)。人気という点では今の落語家の中でも群を抜いているでしょう。国立を毎月、完売御礼にしている落語家はあまり見当たりません。国立に移ってからの談笑師は、私の周りでも評価が真っ二つに分かれています。もう談笑は終わったと言っている人もいます。
今の談笑師はさらにワンランク上の落語家を目指すための試行錯誤している時期と思っています。あと1年か2年ぐらい見守っていきたいと思ってます。
いずれにせよ、噺家は死ぬまでが勝負、今評価できるものではないかと。