現代の町屋を提案する(有)インターハウス捷 伊藤捷治 住まいに係る話や・その時々の思いを綴っていきます

住まいに係る、色々な思いや、その時々に思った事を、取り留めもなく、綴ってみたい

技能五輪国際大会

2019年05月25日 18時34分55秒 | 日記

技能五輪国際大会

 

今年の8月22日(木)~27日(火)の期間で、第45回「技能五輪国際大会」(正式には

「国際技能競技大会」と呼ばれます)がロシア連邦のカザンで開催されます。

この事を知っているのは関係者以で、全国でどのくらいの数の人達でしょうか?

わたしも、2年に一回なので、もうそろそろなのかなと思って、検索して解かりました。

興味の有る方は「技能五輪国際大会」で検索すると、「中央職業能力開発協会」が出ますので、「技能五輪国際大会」をクリックすると、表示されますが、実に貧弱な扱いです、とても「43職種・49名」を送り出す国際大会のページとは思えません、「中央職業能力開発協会」は「国民に知られないように」、こっそりと運営しているのかと邪推したく成る様な扱いです。

それと、当然毎年、「技能五輪全国大会」が開催されていて、国際大会の前の年の大会は、国際大会の選考を兼ねているようです。

それなのに、これらの大会に関する記事をどのマスコミで目にすることはありません、スポーツや芸能やお笑いなどは、毎日これでもかと言いほど垂れ流しているのに。

日本の報道機関は口では、物造り日本と言いながら、本心では、日本の色々な職能の技術が向上して行く事を望んでいない、と言うよりむしろ衰退する事を望んでいるように思えるのですが。

これは、国も同じで、技能五輪にどれだけの関心を持っているのか、予算はどうなのか?

同じ五輪でも、オリンピックと比べてどうなのか? AIやITがいくら発達しても、物を造る人の技術や運用する人の技術、サービスをする人の技能がなくなれば、単なる「仮想現実」の世界で終わるのではないのだろうか?

AIやITが発達すれば便利になり、楽になり、良い事が沢山あるが、「電卓が出来て暗算が出来なくなり」、「携帯が出来て電話番号を覚えられなくなり」「カーナビが出来て地図を覚えられなくなった」のように、世の中便利になった分だけ、人はその能力を失っていっている。どこかで、留まらないと、機械装置がないと何も出来ない人間ばかりになると、恐ろしいですね。

「技能五輪国際大会」のページを添付しておきます、過去の成績では、近年日本の成績は見る影も有りません、物を考えそして手を動かし身体を動かして汗をかく、それを良しとする世の中でなければ、若い人達がやる気ならないのも仕方ないのかもしれませんね。


二十四節気の一つの「小満」

2019年05月20日 11時20分40秒 | 日記

5月21日は「小満(しょうまん)」です

 

5月21日は二十四節季の一つ「小満」です、「小満」は旧暦四月、巳の月の中気で、立夏から数えて15日目に当たり、新暦の5月21日頃で、天文学的には、太陽が黄経60度の点を通過する時をいいます。だから、「二十四節季」は太陽の運行を元にした「太陽暦」です。

万物がしだいに成長して天地に満ち始めると言う意味から「小満」と言われるようです。

また、「小満」は、気温もだいぶ高くなって、少し動くと汗ばむ頃と言う意味と言う説も。

麦の穂が成長し、田に苗を植える準備などを始める頃などと言われますが、5月初めには田植えが終わる等、近頃はかなり早くなっているようです。

ですが、先日仕事で出かけた近郊の田圃では、水を張っていたり、田植えをしていました、やはり暦は生きているんですね。

温暖化、温暖化と、温暖化が悪いように言われますが、年間の平均気温が2度下がると飢饉が起こるそうです、江戸時代は地球が寒冷化だったころで、何度も飢饉が起きています、温暖化と寒冷化とどちらが悪いのですかね!

それと、1000年前の平安時代も今と同じ位暖かかったらしく、桃山時代の木割では内法寸法(敷居天端から鴨居下端まで)は六尺(1820㎜)だったようです。

因みに、江戸時代は五尺七寸(1727㎜)くらいだった様です。

蛇足 温暖化のCO2原因説を発表した英国の学者たちが、1000年まえの温暖だったデーターを消す方法を打ち合わせていた、メールをハッカーにすっぱ抜かれて、メールを公開されて、説明をもとめられた学者たちが「データーを改竄して、温暖化CO2原因説を捏造した」と発表したのに、(毎日新聞も国際欄の隅の方に申し訳程度に書かれていた)経済の活性化のためか、世界中知らん顔をしているのは、良いのかな?

 

気分を変えて次の芒種までの七十二候

初候 「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」

    蚕が桑の葉を盛んに食べる様になるころ

次候 「紅花栄(べにばなさかう)」

    紅花が一面に咲くころ

末候 「麦秋至(むぎのときいたる)」

    麦が熟して黄金色になるころ

   ※郊外の麦畑は本当に黄金色で、まさに麦秋です

七十二候とは各二十四節季(ほぼ十五日間)をさらに細かく、三つに分けた時候に付けた名前で、ほぼ五日ごとの気候の変化を短い漢詩で表した、気候の告知板みたいな物のです。


建物に由来する言葉 -10

2019年05月11日 17時19分19秒 | 暮らし 建築に関わる事

 

建物(建築)に由来する言葉 ― 10

近頃、建物の色々な部分の名称や、建物に由来する言葉を知らない人が多くなったそうなので、思いつくままに、書いてみます。

今回は「欄間(らんま)」です。

「欄間」とは、日本家屋の部屋内外または部屋境の鴨居(かもい)又は内法長押(うちのりなげし)と天井との間の小壁に設ける採光および換気(通風)等を目的とした開口部のことを言います。(写真参照)

欄間は・採光・換気の目的の他に、部屋と部屋、部屋と縁側、縁側と外部とのあいだの連続性を感じさせるための、開口部に格子組みや透かしの技法を使った意匠性の高い装置です。

欄間はその形態(とり方)や種類は非常に多く、小壁に水平の開口を設けたもの、また、小壁に欄間敷居と欄間鴨居を設けたものが有り、それぞれに様々な意匠を凝らしています。

そして、設置する場所によって名称と意匠がかわります。

*「座敷と座敷の境」の小壁に設けたものを「間超欄間(まごしらんま)」または「間仕切欄間」と言い、ここに用いるものは「筬(おさ)欄間」「彫刻欄間」「透かし彫り欄間」「組子欄間」「板欄間」「釣襖」「竹の節欄間」およびそれらを組み合わせもの等で、たくさんの意匠が伝えられています(私の手持ちの本にも600を超える雛形があります)

*「座敷と縁側または廊下の境」の小壁に設けたものを「明り欄間」と言い、通常は紙貼りの小障子を引違にし、又は一本引き(これを掛鞘(かけざや)欄間と言う)にする、あるいは掛障子とする事もあります。

*「縁側と外部との境」の小壁に設けたものを、「縁側欄間」又は「縁先欄間」あるいは「鞘欄間(さやらんま)」と言い、昔は紙貼障子か板の無双窓にしていましたが、現在では、当然硝子障子を入れます。

*「床の間の書院(付け書院)」につける欄間を「書院欄間」と言います。

※「筬欄間」正式な座敷に限って用いられるもので、細い木を竪格子に組んだものです、現在では「千本格子」とも呼ばれます。 

※「彫刻欄間」伝統的な独特の欄間彫刻模様で、風景・植物・花鳥・人物などが両面に浮き出し彫りにされているものです。

※「透かし彫り欄間」透かし板欄間・透かし欄間とも言い、厚さ12㎜くらいの板に、遠州・丁子(ちょうじ)・七宝・瓢(ひさご)・唐花・踊り菊・藤花

  ・兎形などを透かしに切り抜いたものです。

※「組子欄間」緻密な組子で模様を組んだもので、模様には、菱組・桝組・麻の葉組・亀甲・七宝組・青海波・篭目組などなど、非常多くの意匠が有ります。

※「板欄間」板だけを入れたもの、板を組み入れたもの、透かし彫りが若干施されたもの、象嵌(ぞうがん)などが用いられたものなどがありまあす。

※「釣り襖」欄間の空間に襖を吊ったものです。

※「竹の節欄間」竹を図案化した柱に細い無目をかけわたし、原則的には筋違(すじかい)を2本ずつたすき入れたものを言います。

添付の写真は「旧伊藤伝右衛門」邸の欄間です(極一部ですが)


5月6日は「立夏」

2019年05月06日 11時49分33秒 | 日記

5月6日は「立夏」

今日5月6日は二十四節季の一つ「立夏」です。

旧暦四月、辰の月の節気で、新暦では5月5日か6日ごろです。天文学的には、太陽が黄経45度の点を通過する時をいいます。

ゴールデンウイークの終わりの頃で、山や野原に新しい緑が目立ち始め、山が新緑で華やかに笑っているように見える季節です。

「立夏」はいよいよ夏の「気配」が感じられる様になるころと言う事ですが、気候的には、まだまだ、「春」と言った感じが強い頃のはずです。

二十四節季はもともと古代中国の季節感を表す名称です、だからひょっとすると、当時の気候が温暖化の今と同じだったか?(大陸では、王朝が変わるごとに国?名が変わるので便宜上中国と言う名称を使いますが、中国と言う国名はまだ100年ちょっとです、だから、中国四千年の歴史と言うのは?)

それと、「春分」と「夏至」の期間を二分にした「日」を「立夏」と定めているので、実際の季節とずれても仕方がないかもしれませんね。

よくテレビなどで、「暦のうえでは、今日から夏です」とか言っていますが、暦のうえの夏は旧暦の四月~六月(今年は新暦5月5日~7月31日)で、「立夏」は夏のきざしが感じられるようになる頃と言う事になっています。

5月2日は八十八夜でした、八十八夜は「立春」はら数えて八十八日目に当たり、遅霜の時期でもあります。この八十八夜が旧暦の春(三月)に入るか、夏(四月)に入るかで、新茶の摘みごろが変わることもあるそうです。

小満(しょうまん)までの七十二候

初候 蛙始鳴(かわずはじめてなく)

   蛙が鳴き始めるころ

次候 蚯蚓出(きゅういんいず)

   みみずが土の中から出て来るころ

末項 竹笋生(たけのこしょうず)

   竹の子が出て来るころ

※ カエル(初候)ミミズ(次候)タケノコ(末項)と登場させて、初夏らしさを演出していますが、これには地域差が有り過ぎるようですね。 


5月5日は旧暦の四月一日

2019年05月04日 14時46分09秒 | 日記

5月5日は旧暦四月一日

明日5月5日は旧暦の四月一日です。

旧暦四月の和風月名は「卯月(うづき)」です。

月名の由来は「う」の花が咲くころなので「卯の花月」の略と言うのが定説です。「卯の花とは空木(うつぎ)(ユキノシタ科の落葉低木)の花の事で、五月、六月頃に白色の小さな花をびっしり咲かせます」

しかし、十二ヵ月のうちでただ一つの花の名、旧暦四月の月名になるほどの花なのか、いささか疑問だとする説もあります。このことから、旧暦四月〔卯月(ぼうげつ)〕頃咲くので卯の花であって、卯の花が咲くから卯月ではない、と言う説もあります。反卯の花説として、新井白石は、十二支の四番目の卯(う)を用い、ウヅキとしたと言う説をとっていますし、又、ウヅキとは種月(うえづき)だと言う主張や、これを補足するような、田に稲の苗を植える月、田植苗月(たうえなづき)である、と言う説もあります。

旧暦では四月から六月が夏で、四月は夏の始まりです、また、四月一日は衣替え(衣更とも書く)で、冬の「綿入れ」から「袷(あわせ)」に替える日になっていました、だから、四月一日は「綿入」れから「袷」に替えて、身も心も軽くなった事でしょう。

今年は連休前から冬に戻ったような感も有りましたが、やっと夏の気候になりますかね?

因みに、旧暦五月五日には、「袷」から「一重帷子(麻布)」に衣替えしていたようです、衣替えが2回ある方が、合理的なような気がします(特に学校が)。

現代では今の時期に綿入れとは考えられませんが、今年の連休前の寒さを考えると有りかな?

また、今の旧暦が再編成されたのは、江戸時代です、江戸時代は寒冷期で今よりかなり寒かったのではないかと思います、だから、度々米の不作に依る飢饉が起こっていますし、その他の作物の収穫量も増えなかったようで、その為か江戸時代は人口がほとんど変化ありません、そんなことを考えると、地球の温暖化とは、本当に悪いことですかね?

ついでに、温暖化で海水面が上昇は嘘です、江戸時代のほうが今より海水面はずっと高かった、門司の猿喰新田の塩抜き穴を見れば良くわかります。