現代の町屋を提案する(有)インターハウス捷 伊藤捷治 住まいに係る話や・その時々の思いを綴っていきます

住まいに係る、色々な思いや、その時々に思った事を、取り留めもなく、綴ってみたい

KY邸の建設ー14

2016年10月24日 22時53分59秒 | 暮らし 建築に関わる事

 

KY邸の建設 - 14

 

巨大地震に対する備えの為に、「制振オイルダンパー」(製品名コラボパワー)を設置した。

壁量(耐震壁)は、建築基準法の必要壁量の、2階の桁行方向が「1.3倍強」その他、2階の梁間方向、1階の桁行・梁間方向とも「1.5倍」程度の壁量を確保しているので、耐震的には大丈夫だと思う。

しかし、万一大地震に繰り返し襲われ時に、筋違への過大な負担を軽減し、座屈により筋違が折れるのを避けるために、「制振オイルダンパー」を取り付けてみた。(筋違が折れるとその部分の耐力はゼロになる)制振ダンパーが筋違に加わる力を弱めてくれるだろう事を信じて、でもこの制振ダンパーがその力と効果を発揮する機会が無い事を願いなら。

写真は、「制振オイルダンパー」と現場に取り付けた様子。

グラフは、メーカーから来た、時刻歴応答解析による比較図、

これによると最大震度6強の地震の時に、桁行方向の揺れが5.5㎝から1.8㎝に・梁間方向の揺れが2.5㎝から1.5㎝に軽減される様だ、これが本当なら、筋違にかかる力がかなり小さくだろう。

蛇足

2階床は根太(45X75)を梁天端と同面にして構造用合板張にし、床の剛性の足しにした。(火打梁だけでも構造的には充分なほど入れたと思うのだが)(合板は耐用年数に信頼が持てないので、構造用には、使用したくない)

床板は極一部を除いて、すべて27㎜厚の杉の無垢材なので、床板の耐力的には合板は必要ないのだが、施工時の足場と安全の為に大工さんの要望で、1・2階とも床材の下地を兼ねて合板を使用した。(構造用合板でも構造用ではない、足場だ?)


今日は「霜降」

2016年10月23日 21時23分19秒 | 日記

 

    10月23日は二十四節気の一つ「霜降(そうこう)」です

  うっかりしていましたが今日は霜降でした。 

   10月23日は二十四節気の一つ「霜降」です、毎年、新暦10月23日頃です、天文学的には、太陽が黄経210度の点を通過する時を言い、秋の季節、最後の二十四節気です。

   秋の終わりで、霜が降りる頃と言う意味から「霜降」と言うようですが、この頃になると秋も深まってきて、所により霜を見る様になり、冬の到来が感じられる頃で、また、小雨が時々降り、楓や蔦の紅葉が始まる時期と言われます、しかし、やっと涼しくなってきましたが、このまま秋が進んで行くのですかね。

   よく異常気象といいますが、何年に一度だと異常気象なのでしょうか、5年・10年・30年・50年・100年、どれくらいに一度なら異常気象なのでしょうかね、つい最近、発表された学説では、気候の周期は10万年でそのうち9万年が氷河期で、残りの1万年が間氷期だそうです、現在は1万2千年前からの間氷期です。1千年前も今と同じ様な温暖期だったようです、(これについては、英国の学者達がこの温暖期のデーターを改竄して、CO2が地球温暖化の原因説を捏造したと、告白しています)江戸時代は逆に寒冷期だったようで、飢饉(冷害)が度々起こっていますし、寒冷化の影響か、肉食を抑制した影響か、身長が低くなり、内法高も173センチ(俗に五七)か、176センチ(五八)くらいで一番低い時期です、因みに桃山時代の内法は182センチ(六尺)が通例で、畳も本京間の様な大きな物(199*98.5)が用いられていたようです、現在の京町屋では内法は江戸時代と同じで、畳は191センチ*95.5センチです。

   気候の変動は、大きくは10万年、1万年、その他1000年、100年、50年、10年等で変化しているのだとおもいます。そして、大雨は400年周期だそうです。(今世紀が前の大雨の時から400年目だそうです)

   蛇足ですが、旧暦を見る限り今世紀に寒冷期にはならないようです(閏月が冬の時期に入らないので)ほんとうかなあ。

 

   *現在の京町屋は実測です(私の)


十三夜の月

2016年10月12日 21時26分02秒 | 日記

    10月13日は「十三夜」です

 

 明日、10月13日は旧暦九月十三日で「十三夜」です。(でも月齢の十三夜は次の日の十四日です)

 旧暦の毎月十三日の夜を「十三夜」と言いますが、旧暦九月十三日の夜は特別で、古くからこの夜に、月を鑑賞する風習があったようです。

 旧暦八月の十五夜(中秋の夕月)に対し「後(のち)の月」と言い、十五夜を芋名月と言うのに対し、豆名月とか栗名月といいます。十五夜と同じように供え物をして祝いますが、旬の大豆と栗が主役です。

 十三夜の月祭りは日本固有の風習で(この夜、月を祭り秋の収穫を感謝する行事ではなかったかと考えられます)、十五夜の様に中国から伝来したものでは無いようです。

 醍醐天皇の時代、延喜十九年(919年)の九月十三日に、観月の宴が催されたのが始めだとも言われますが、はっきりした事は解かっていません。

 また、旧暦八月十五夜の月見をして十三夜の月見をしない事を、片月見と言って嫌う風習があったようです。十五夜の月見をしたら、必ず、翌月の十三夜にも月見をして祝うものだとされていたようです。

  以下私感です。

 我々の先祖、江戸期までの人達は完全な物や完成した物では無く、僅かに崩した物や僅かに未完成なものに、美しさやものの哀れを、見たのではないかと思います。だから、完全

な形のものを、「野暮(洗練されていない)」と言い、少し崩したものを「粋(あか抜けている)」だと言ったのではないでしょうか、ただ、時と場所に応じてではありますが。

少し崩した物にするには、完全な形を把握しておく必要があります、きちりと、把握しないまま崩すと、それは、崩したのでは無く、たんに、崩れた物にしかならないと思います。

近頃の若者のストリート系のファッションと同じで、フォーマルウエアをきっちり着こなして、ストリートファッションの思想を理解してからでないと、粋な着こなし方は出来なくて、たんに乱雑な服装でしかないとおもいます。

 

服装はその時の自分の心ですから。


重陽の節句

2016年10月08日 20時19分06秒 | 日記

 

  10月9日は旧暦九月九日 重陽の節句

 

 明日10月9日は旧暦九月九日で五節句の最後、重陽の節句(菊の節句)です。

 易では奇数が陽で偶数が陰です、だから、中国では、一番大きな陽数の九が重なる、九月九日は、大変目出度い日とされ、邪気を払い長寿を願って、菊の花を飾り、酒を酌み交わして祝ったといわれます。

  日本へは平安期の初めに伝わったと言われ、宮中の儀礼となり「観菊の宴(重陽の宴)」が催されました。江戸時代には五節句の中で、最も公的な性質を備えた行事となり、武家の家ではこの日に、菊の花を酒にひたして飲み、祝ったと言います。

  因みに、五節句とは、一月七日の人日(じんじつ) 三月三日の上巳(じょうし)(雛祭り) 五月五日の端午(たんご) 七月七日の七夕(しちせき) 九月九日の重陽(ちょうよう)の五つです。

 重陽の節句は菊の節句です、新暦の9月9日では、一般的には菊の花はまだ咲いていないと思います。でも、旧暦の九月九日は新暦10月9日充分「菊」の季節です。


KY邸の建設 - 13

2016年10月07日 21時28分44秒 | 暮らし 建築に関わる事

KY邸の建設 - 13

足場を解体したばかりの時の外観です。

軒の出900㎜、ケラバの出600㎜、

この時期には、内部では大工さんが頑張っていた頃です。

石油製品を出来るだけ、使用しないようにしていますが、100%とはいきませんでした。でも、多いのは、一階床の断熱材だけです。

合板も、構造用には、使用していません(仕上の下地材としては使っていますが)


明日は寒露

2016年10月07日 21時06分07秒 | 日記

       10月8日は二十四節気の一つ「寒露」

 

   明日10月8日は二十四節気の一つ「寒露(かんろ)」です。

旧暦九月、戌の月の節気で、秋分の日から15日目に当たります。

毎年新暦の10月8日頃で、天文学的には太陽が横径195度の点を通過する時を言います。

   「寒露」とは、晩夏から初秋にかけて野草に宿る冷たい露の事をさし、秋の深まりを思わせる頃になるとは言われますが、今年はやっと朝や夕方が秋を思わせるようになりましたが、まだまだ秋が深まるとは言い難いですね。


KY邸の建設ー12

2016年10月04日 22時05分00秒 | 暮らし 建築に関わる事

KY邸の建設 - 12

しばらく投稿が途切れていましたが、やっと、納まり図をほぼ画きおわりました。

A3で34枚、枠材の加工番号で約100種類、大工さんの作業に追っかけられながらの

作図で、やっと少し気が楽に、でも、工事は追い込みです。

これから少し振り返って投稿します、また、工事が完了したら、「納まり図と写真」を幾つか投稿しようかとおもいます。

まずは、納まり図をちょこっと、