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ぼくに、友達はいないのよ。

2012年03月05日 23時55分50秒 | 雑記

日常的に公言していることなので、別にかまわないのですが、

僕に友達はいません。


何故か友達が多そうに見られますが、
ビックリするくらい僕に友達はいません。
ハッキリ言うと0です。


例えば、幼馴染で幼稚園・保育園時代からの連れは一人もいないし、
同じように小学校・中学校のときの連れもいません。

高校時代・大学時代からの付き合いの人はかろうじています。
今でも連れ添ってくれているその人たちを、僕は「仲間」と呼んでいます。
そして、年の近い人だけが仲間ではなく、仕事だからとかではなく、
そういう自分と親しくしてくれている人を仲間だと思っています。

友達と仲間は僕の中で明確に違います。
仲間とは、「志を共にしている人」です。
または、「これから志を共にするかもしれない人」です。
仲間とはRPG「ドラゴンクエスト」のパーティだといつも説明します。
なんらかの目的の元に集まって、お互いに自己研鑽している集団だと思っています。


ドラクエ3のパーティ、ね。


話変わって。


子どものころ、僕は父親に思っていました。

「母親は実家が熊本だからまだしも、父親にはなぜ友達と遊ぶことが少ないんだろう」

聞くと、親父も若い頃は町内会の野球大会に出たり、
徹マンをしていたこともあったそうです。

ただ、大人になると、家庭を持つと、友達と遊ばなくなるのかな。

友達と遊ばない理由、家庭をもたない僕にはまだわかりませんが、
もしかしたらその理由は「仲間じゃないから」かもしれないと今は思います。
つまり、向かいたい方向性や未来が見えないからではないかと。
それってつまらないんじゃないかなって思うのです。


僕は結婚式には呼ばれても滅多に行きません。
二次会だって滅多に行きません。
結婚式には10度ほど呼ばれて1回だけです。
二次会は2回だけです。
でも、行った結婚式・二次会は、どちらもすげー楽しかった。
それはきっと、仲間の幸せを見れる場だったからだと思います。


そんな僕にも過去に友達がいたことがあります。
それは高校時代の友達でした。

彼とは高校では1度しか同じクラスにならなかったし、大学も違ったし。
だけど、高校時代にはちゃんと遊んだ記憶があって、
大学時代もことあるごとに会っていて。
なーんとなく続いていた友達でした。こんな友達は一人しかいないのです。

そんな彼をある日、バレルズという市民活動団体に誘いました。

彼は半ば意味もわからない中、入ってくれました。
バレルズは当初7人。
彼にとってメンバーのほとんどが知らない人の中、
彼は驚くべきコミュニケーション力で、僕の仲間と仲良くなってくれました。

地域の魅力を探す中で、地域の伝統的な祭りにも参加するようになりました。


バレルズで活動し始めて1年目の夏。
僕の彼女が中心になって僕を驚かせる誕生日パーティを
津市のキャンプ場で開いてくれたことがありました。

僕はそもそも誕生日を祝ってもらうことに慣れてなくて、
とても嬉しくて感動して泣いてしまったことを覚えています。

キャンプ場で隠れている僕の仲間たち。
本当はちゃんと隠れて祝うつもりだったろうに、僕が早く着きすぎてね。
隠れようとして、でも隠れられなくて、あいつらはもういいやってなって。

そして、その友達が言いました、
「勝田氏、誕生日おめでとー!」

明らかに違和感のある僕の友達。
だって、そいつ以外、みんな違うつながりで集まっているんだから。
なのに、そいつはまるでずっと昔からの仲間かのようにそこにいるんです。


誕生日会の、その時の写真。

誕生日パーティの翌日、僕はそいつと一緒に松阪へ帰ってきました。
帰りに僕はバイク屋に寄って、コーヒーか何かを飲みながら、
前日を振り返っていました。

そしたら、ふいにその友達は言いました。


「勝田さんが
『人に楽しませてもらうことよりも、
 人を楽しませることの方が楽しい。』
 って言ってた意味が分かったよ。
 バレルズに入って、勝田さんの誕生日会のために集まって、
 皆と仲良くなれて、皆をつなげてくれて、感謝してる」


俺はこの瞬間、こいつは友達から仲間になりやがったって思いました。
ただでさえ少ない僕の友達は0になり、
そいつは仲間になったのです。

仲間は、一生楽しい。
だって、目標があるんだもん。
目標なんてなんだっていい。
ただ、何か、一緒に分かち合えるものがいいじゃないの。人間なんだからさ。


そんな僕の元友達が、この5月に結婚式をします。
スピーチか余興をしてほしいといわれ、結果的に余興となりました。

スピーチエピソードなんてこれ以外にも色々あるんだけれど、
まぁ、スピーチをするならこんな話かなって思って書いたわけです。


愛されることと同じくらい、愛することが幸せなら、
愛するその人に出会えたことに感謝すべきだと思う。

なぜならお前は、
愛される幸せは、生まれたその時から両親からもらったとしても、
人を愛する幸せは、生まれたその時から、持ち合わせていなかったんだから。

男ならば、愛せよ嫁を!
男ならば、命をかけて守れよ嫁を!

おめでとう。
俺たちは仲間だぜ。また遊ぼう。
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