息子と話していたり、一年前のFacebookの書き込みを見たりしてて思うんだけど、
皆さんにとって、人生最初の思い出ってなんですか。
小学校に入ってから位は結構色々鮮明に覚えているんだけど、
それ以前ってなると、なかなか記憶に残っていなかったりする。
例えば、僕の一番最初の思い出は今考えると、
幼稚園の卒園式のときに、先生を驚かせてやろうと思い、
友達の誰かとケムシをたくさん、桜の木から取ってきて、それを渡したこと。
ギャーって驚いていたのを思い出す。
これを人やモノに関連付けていくこともできる。
例えば父からの祖父母との思い出は?
最初に食べた記憶のあるものは?
最初の小学校の記憶は?とか。
子育てにおいて、3歳までの時間はとても大事って言うたりするけど、
結構覚えていない。
妻とそれについて話すことがあるんだけど、
赤ちゃんとか幼児の目。
それにはlookという単純に見るという行為と、
scanというその場の絵をまず頭に叩き込む行為がある気がするの。
例えば海。初めて海に行くと、子どもって大体、ここってなんだ?
って立ち止まってジーッと見ていたりする。
頭の中に、その場所の印象を浸透させているような。それがscanだ。
人の頭はそもそも、見るという行為において、脳の中の記憶を呼び戻して構成するそうだ。
似たような風景の記憶から、その様をキャッシュとして、更新するということだ。
そのキャッシュがなければ、インターネットと同じで表示するのに時間がかかる。
そう考えると、初めて○○したものってもっと記憶に残っていてもいいんじゃねぇのって
そう思うんだけど、
そうか。記憶ってのは重なりなんだなと気づく。
最初にscanしたものをlookしていくことで、情報を重ねていく。
最初にscanしたものを土台に、少しずつアップデート。
またはレイヤーを重ねていくものだから、
それは別名保存にはなりにくいのかもしれない。
なんとなくだけど、例えば思い返す両親の顔は実際よりも少し若い気がするのは、
scanの重なりが細かい時期だからなんだろうな。
子どもの頃の記憶は鮮明にないけど、
なんとなくここに来たことがある気がするって、そう思えるのは、
scanとlookの重なりがそれだけ多いからかもしれない。
一日一日の中で息子たちにとって、レイヤーのように僕や妻の表情が重なっていく。
怒っている日も、笑っている日もある。
逆に俺にとっても、息子の表情のレイヤーが溜まっていく。
思い浮かべる息子の表情は、笑っている。
息子にとって俺はどうだろうか?
そう考えると、
もうちょっと優しく、心穏やかでありたいって思うんだけど、
いたずら坊主なんだよなぁ(笑
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