うちの息子も1歳5ヶ月。
成長とは早いものです。もう普通に立って歩いています。
一回り年上の仲間に「赤ちゃんの時間ってあっという間だよ」って言われてて。
んなことないだろって思ってたんだけど、本当だね。そして豊かな時間。
毎日が幸せなんだよね。
お前が泣いているときに、思い出すことがあるよ。
俺にとっちゃどうでもいいようなことで泣くとき、
そんなにないけれど、お前のわがままが通らなくて泣いているときに、思うことがある。
それは我が母のことだ。
熊本から一人松阪にやってきた母は、知り合いがいない中で俺をどう育てていたのだろう。
なかなか俺が寝付かない夜や飯を食わないとき、熱を出した夜。
近くに一番頼れる両親はおらず、時代的にも子育てを男性と協力することを許されなかっただろう。
今のようにショッピングセンターにオムツ交換スペースがあるわけでなく、便利な紙おむつもない。
生活的には児童手当や子育てに関する補助は今ほど整っておらず、
もしかしたら、一昔前のお母さんたちは、今のお母さんたちを、うらやましく思っているのかもしれない。
俺は、お前と同じように、無意味と思われるようなことで泣いて。
こっちの機嫌や気持ちも気にせずに、きっと泣いていたんだろうな。
俺は、うちの母親には正直、妻に優しく接することができないと思っていた。
自分がされていない恩恵を、人に返すということは途方もない気持ちの余裕も必要だ。
いくら、孫はかわいいといっても、どういう気持ちで妻と接するのだろう。
俺の子どもの面倒を見たり、かわいがってくれるのだろうか。
心配というと大きすぎるけど、そういう気持ちがよぎっていたことは確かだった。
俺の無意味なモヤモヤをよそに、うちのおかんは妻に優しく、息子に丁寧に接している。
さも嬉しそうに、接している。ちょっと驚きだったのだ。
そんな話を妻にすると、こういった。
「前に、お母さんが言ってたよ。
私がしてほしかったことを、してあげたいって」
そうか、そう思えるのか。
熊本から一人松阪にやってきたおかんは、
高校を卒業してこの方、多くのものを自分で用意するように俺や妹に促した。
例えば車の免許、バイク、車、大学の電車の定期に教科書代。
僕は全部自分で支払ってきた。
当たり前なのだが、今では普通だが。
当時は、それらを親に出してもらっている人が多かった。
おかんは言った。
「お父さんは出してあげるって言うだろうけれど、
自分でほしいものは自分でお金を貯めて買いなさい」
そう、教えられた考えに、おかん自身の実践も含めて僕は納得していたし、
それを妻にも当てはめるんだろうと、勝手に思っていた。そうではなかったんだな。
おかんが、俺の息子に笑っている。
きっと、俺を育てるときに、自分がそうしてほしかったことだったんだろう。
自分に問う。
お前にできるのか、と。
自分の若い頃よりも、より豊かな時代へ、子どもたちを導けるのかと。
社会は少しずつ良くなっている。良くしていかなくてはならない。
俺もおかんを見習って、少しでも良い社会を目指そう。
それはきっといつか、息子や妻を守る盾になってくれるはずだ。
俺は俺のやるべきことを必ず全うする。
今よりも豊かな時代を、次世代に必ず引き継ぐんだ。
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