語りつぐ沖縄平和の会

沖縄でガマや基地の案内をしています。
一緒に平和を考えませんか。

平和行進を元気に歩こう

2011年04月29日 | おしゃべり


 私たちは、沖縄平和運動センター(社民党・社大党・自治労・沖教組・高教組などの労働団体で構成)が、沖縄平和運動センターの方針に沿って、憲法擁護・反戦・反基地を基本に、戦跡や米軍基地を案内する平和ガイドです。

 私たちは、毎年各平和センター加盟団体の一員として、平和行進に参加していますが、今年は、おそろいの「語りつぐ沖縄Tシャツ」を着て参加することにしています。

 平和行進時には、みんな、所属する労働組合がありますので、そのグループの中の一員としての歩くことになりますが、それでも、朝の出発式には、みんなで宜野湾市役所に集合し、一つの塊として参加したいと思います。

 このブログを見ている人の多くは、平和行進に参加すると思いますが、見かけましたら、お声かけをよろしくお願いします。
 皆さまの激励の一言が、また、頑張ろうとの思いに繋がります。

 活動を継続するのは、とても難しい事です。
 仕事に家庭、親の介護と、いろいろな事情で継続できなることがあります。また、団体交渉などの組合用務で平和活動ができない状況になることも有ります。

 それでも、平和あっての福祉、平和あっての労働、平和あってこそやりたいことができることを考えて、活動の一番の柱にしていこうと思います。

 全国の仲間と、会えるのも楽しみです。今年も元気に歩きましょう。
 (最近子供を誘っても、一緒に歩かなくなりちょっぴりさびしい思いをしています。 まさし)


 ↓ 沖縄平和運動センターのホームページより転載 ↓



「語りつぐ」闘い

2011年04月28日 | 平和への思い
みなさん こんばんは
今日、ある映像監督さんと「語りつぐ沖縄平和の会」と「平和ガイド」について取材を受けました。
取材を受けているのは私なのですが、改めて”語りついで行く”という名前のすばらしさに感激しました。沖縄戦を語りついで行く、先人たちの証言を、思いを語りついで行く・・・・・。語りつぐ人が、また語りついで行く若者がいなくなったら、この国は過去を忘れて、いや、沖縄戦を忘れて、また来た道、戦争へ巻き込まれて行くかもしれない。
 私たちの子供たちを二度とあの汚辱にまみれた戦場に送るわけにはいきません。
 みなさん、改めて「語りついで行く」ことを続けましょう。今日は、そんな思いを書いて見ました。
                      (byふみよ)

本土記者たちの思い

2011年04月26日 | 平和への思い
みんさん、こんばんは 
先日の日曜日、ある本土新聞の記者さんを交えて糸数壕に入る機会がありました。

ミニ平和ツアーがあることを知って「是非参加させてほしい、同行していいですか」との

ことで、糸数壕、平和のいしじ、平和祈念資料館、荒崎海岸まで行きました。

その道すがら、記者さんからの色々な質問があり、「真剣に学びたいんだな」と感じるほ

ど、熱心に学習されていました。

私はあらためて、本土の方々にも「沖縄を学びたい、応援したい」という方がいると感じ

ることができました。

平和ガイドのみなさん、発信することは大事です。一人でも多くの方々へ、真剣に真心を

こめて語りましょう。間違ってないかという心配はいりません。それぞれの言葉で良いと

思います。細かな数字は本を読めばわかります。平和ガイドは、沖縄の人たちの思いを、

沖縄の人の言葉で伝えるガイドでもあると思います。

皆さん、がんばっていきましょう。

                 (byふみよ)

歴史修正主義との戦い

2011年04月24日 | 平和への思い
 2000年代、強い小泉首相やそのあとを受け誕生した安倍首相、そうした自公政権が圧倒的多数を握る政治状況の中、軍国主義を復活させようとする自民党の政治家たちの機嫌を取ろうとして、さまざまな事象が起き、また、「新しい歴史教科書を作る会」などの歴史修正主義運動が強くなりました。

 歴史修正主義者らは、慶良間諸島で起こった集団自決に軍命はなかったとし、2005年に元隊長と遺族の名誉棄損訴訟(「集団自決」訴訟)を起こしました。この裁判を根拠とし、文科省は2007年には高校歴史教科書から軍命削除の根拠としました。
 
 米軍が、沖縄本島に上陸する前に起こった、慶良間諸島での集団自決(集団死)、愛する我が子を自らの手で殺さざるをえなかった状況、生き残った人も記憶を封印し、だれにも語ることはしなかった。できなかった。

 悲しい記憶を呼び覚まし、沖縄戦の真実を法廷で認めさせ、実態を本土に伝えていくため、「集団自決」の体験者をはじめ、平和に心を寄せる人々の努力が重ねられ、新たな、学術的研究も展開されました。

 「集団自決」と「集団死」、戦争で物的証拠がなくなり、生存者の証言だけが証拠となります。日本軍が巧妙に、住民の中に入り込み、住民をマインドコントロールをする、方言をしゃべる人は敵のスパイとみなし虐殺した日本兵、日本兵がガマから沖縄人を追い出し、あるいは、投稿しようとした沖縄人を後ろから鉄砲を打った日本兵。

 歴史修正主義者は、沖縄戦でなくなった日本兵を英雄とし、琉球の民族は、その英雄を必死に支え、足手まといにならないように、自らの意思で死を選んだとしたかった。

 日本兵が沖縄人から食料を奪ったのか、沖縄人が進んで日本兵に食料を差し上げたのか。

 同じ出来事でも、美化しようとする人たちは、別な言い方をします。

 私たちは、沖縄戦の真実を、ありのまま、語りつぐことを使命として活動しています。

 ときのリーダーが、「みんなで死ぬことを勧める」のか、「みんなで生きること」を進めるのか、世界中のあちらこちらで、今も起こっています。

 私たちは、絆を大切にしながら、「生きる」ことを、語り続けようと思います。

核と人間は共存できない

2011年04月23日 | 平和への思い
みなさん今晩は、遅い時間ですが、すみません

昔、何かの本で読みました。「核と人間は共存できない。」と。

おそらく、広島、長崎の原爆被害者の方が言った一言だったと思いますが、なぜかふと

思い出しました。

その言葉を残した方は、きっともうご存命ではないと思いますが、その私たちの先輩が

実体験として感じて語った言葉は、まさに「真理」であったろうと思います。

私たち「語りつぐ沖縄平和の会」は、その沖縄戦を体験して、証言してくださった方

の、”思いを””言葉を””心を”「語りついで行こう」という趣旨で取り組む、平和

ガイドの会です。

今夜も、それを考えながら眠りに就こうと思います。

                          (byふみよ)

   


公務中米兵事故の不起訴への抗議

2011年04月21日 | 平和への思い
みなさんこんばんは

今朝からラジオや新聞で、米兵が帰宅時に起こした死亡事故について那覇地検が不起

訴にしたと報道されています。本当に帰宅時なのか、アルコールはのんでいなかったの

か、大変疑問がのこる事件だと報道されています。

不起訴ということは”無実”ということではないでしょうか。亡くなった方のご家族に

とっては”不起訴”は許しがたいことであったと思います。

沖縄県民として納得できないことではないでしょうか。

一人ひとりが、わが身になって考えてほしいと思います。

いつかまた将来、繰り返されることなのです・・・・。

復帰39年、私たちが、先輩方が怒り続けた復帰前の出来事が未だに繰り返されている

のではないでしょうか。

歴史は繰り返されるのでしょうか。良いことなら繰り返してもいいけれど、忌まわしい

事件事故は繰り返してはいけません。みなさん、共に考えましょう、怒りましょう。

                    (byふみよ)

自治労の全国動員

2011年04月19日 | 脱原発、震災復興
私の所属する労働組合(自治労)は、3月30日に決定された「自治労復興支援活動計画」に基づき、4月10日から、全国から被災地へ支援に駆けつけました。沖縄県本部は、毎週5人ずつ、自治労全体では、247人が第一陣として被災地に入りました。被災地の岩手、宮城、福島の各現地では主に避難所の運営業務や行政支援業務、支援物資の仕分け業務、医療支援業務などのほかに、瓦礫の撤去や地震対策など各会場ごとに臨機応変の対応が求められます。当面、6月までの活動が決まっています。

 支援者は、拠点の宿泊所からバスに乗り3~4時間バスに揺られ、寝袋持参で被災地に入り24時間交代で避難所の支援を行っています。
 被災地の自治体職員は、これまで避難所のボランティアをしていましたが、本来業務に戻らざる得ない状況の中で、そこの引継ぎを自治労の支援者に行い、支援活動を継続しています。

 復旧から復興へと各被災地でのニーズは、刻一刻と変わっていくと思います。
 継続した支援を、仲間同士のきずなで、乗り越えられたらいいと思います。

 

平和行進を歩こう

2011年04月17日 | お知らせ

  
           平和運動センターのホームページより転載しました。


 今年も、5月15日の復帰記念日が近づいてきました。

 沖縄平和運動センターでは、毎年、「核抜き、本土並み」を求めた本土復帰とは何だったのか、沖縄に米軍基地の75%を押し付けて平気な日本国民に、沖縄差別の現状、基地の撤去や地位協定の見直し、沖縄戦の歴史教科書問題などを訴えてきました。

 今年の「5・15平和行進」は、例年の3日間から1日に短縮し、県外からの団体参加受け入れを見送ることを決めた。県外の労働組合が東日本大震災の被災地支援を行っていることに配慮しました。

 コースは、上のチラシのとおりです。主なスローガンは、「普天間飛行場の県外・国外移転と名護市辺野古への新基地建設反対」
 平和運動センターの活動でもある、反核・反原発を求め、福島第1原発での一連の事故について考える機会も設けるとしています。

 私たち「語りつぐ会」でも、当日、おそろいのTシャツをつけ、参加することにしています。
 見かけましたら、皆様、ぜひ声をかけてくださいね。

 また、平和行進に合わせて、沖縄に平和学習に来る皆様の、ガマや戦跡の案内を行っています。現在、日教組の皆様の案内が決まっています。 東京の社青同の皆様からは問い合わせが来ています。

 半日単位でのガイドも行っていますので、気軽にご連絡くださいね。  


社民党沖縄県連大会で力強い協力を得ました。

2011年04月16日 | 平和への思い
 みなさん、こんばんは

 今日は沖縄平和運動センターとの関連で社民党大会に参加してきました。

 沖縄平和運動センターの平和ガイド養成講座を卒業された皆さんで、この

語りつぐ沖縄平和の会は構成されています。戦争を知らない若い世代が、

戦争を知らない子供たちに沖縄戦をどう伝えていくか、その研究と理念で会

は動いています。様々な負の遺産である沖縄の戦跡を巡り、学んで、次代を

担う子供たちに「語りついで行く」その、使命を私たちは忘れてはいけませ

ん。更に、疎開船、対馬丸の遭難など、まだ沖縄戦は終わっていない!と強

く訴えて行かなければなりません。

 今日の社民党大会での平和への取り組みに感動し、私も平和センターの平

和ガイド養成事業の支持を訴えました。仲村未央書記長からも力強いエール

をもらいました。本当に仲村書記長の発言に勇気づけられ、大会終了後には

会の活動資金造成カンパの「基地・戦跡ガイドブック」を多くの参加者に買

っていただきました。

 今後も、若い世代の平和学習のお手伝いとして、語りつぐ沖縄平和の会は

平和ガイド派遣に頑張って行きます。今日は本当にありがとうございました。

 また、「基地・戦跡ガイドブック」を購入希望の方は、会までお電話をお

願いします。郵送可(送料別)でご協力頂いております。

                         (BYふみよ)

荒崎海岸を清掃しようよ

2011年04月15日 | お知らせ


 糸豊環境美化センターでバスを降りてから、20分程度歩いたところにある糸満市の荒崎海岸、ひめゆり部隊の終焉の地、「語りつぐ会」では、ここを案内できるように、常に、研修テーマにしています。

 沖縄戦のときに、陸軍病院壕などで看護活動に当たっていた「ひめゆり学徒隊」は、1945年6月18日、解散命令が出され、壕から出た学徒は、一人また一人と命を落とし、米兵の銃撃の乱射を受ける中、荒崎海岸に追い詰められた10人が、手りゅう弾で集団自決を行いました。

 同場所では終戦直後に遺骨収集がおこなわれ、「散華の碑」も建立されました。

 語りつぐ会では、その荒崎海岸を、慰霊の日の前に一度みんなで清掃活動を行うことにしました。
 具体的な日時が決まりましたら、ブログで参加を呼び掛けたいと思います。
 


大震災 職員派遣

2011年04月13日 | 脱原発、震災復興
3月11日に起こった東北大震災から、一か月がたちました。

 この間、那覇市は、消防職員の緊急救助支援派遣14人、上下水道局の給水派遣4人と職員を派遣しましたが、自治労全国動員の一環で、今度の土曜日から約1週間環境現業職員4人を派遣することになりました。私も手を挙げたのですが、作業内容から現業職員が選ばれました。少し残念です。私の分も、頑張ってもらいたいと思います。

 派遣先は、宮城県石巻市の避難所で、24時間交代で、がれきの撤去やその他いろいろな仕事があり、その時々の避難所のニーズにより仕事の内容も変わるようです。作業服とヘルメット、寝袋等を担いで出発です。現地は、いつ地震があるかわからない状態ですが、自治労や連合など全国の労働組合の被災地支援が、この4月から始まっています。市長会からの要請に基づく自治体職員派遣は、まだまだ時間がかかりそうですが、それまでは、私たち労働組合ががんばらないといけません。

 いま、私が出来ること、私たちが出来ること、それを考えながら、工夫をしていければなと思います。
 「がんばろう、生きている私たち、がんばろう、東北、みんなで力あわせて」

普天間返還合意から15年

2011年04月12日 | 平和への思い
 みなさん こんばんは 

 普天間返還合意から今日で15年となりました。
 
 15年前、そう私も労働組合活動でバリバリの頃でしたね。思えば

早いようで、遅いようで・・・・。

 ただ、確かなのは「基地はいらない」という思いです。その思いだけは

15年間変わりませんでした。

 沖縄に新しい基地はいらないし、日本のどこにも要らないのです。

 沖縄県民の私たちがずっと味わってきた「基地被害」は日本のどこにも

あってはいけません。

 米国のものは米国に帰ってもらいましょう。

 みなさん、粘り強く基地のない沖縄をめざしてがんばりましょう。


                     (byふみよ)

沖縄は夏到来!!

2011年04月10日 | おしゃべり
みなさん、おはようございます

今日の沖縄は、気温26℃すごーく暑いです。

 県外の方もご覧になっていると思いますが、沖縄はもう夏到来です。
やっと梯梧(県花)の花が咲きはじめました。
今年は例年よりすこし開花が遅い感じがします。

 先週各ビーチにおいて海びらきが行われていました。
ただ今年の海びらきは、東北関東大震災に関連し、被災して亡くなられた方々に対しての哀悼の意を表す場面も多くありました。

 それは特に海と共に暮らしている沖縄の人々も、震災を受けた方々と同じ胸中で悲しみ、苦しんでいる姿なのです。
 一日も早く震災で受けた傷を癒し、いつか沖縄の海へ来ていただきたいと願うばかりです。


 ところで、今年の平和行進(5月15日)は1日だけの開催となりました。
 平和行進は大震災に鑑み3日行進を1日に縮め、本土の方々へは自主参加のみを呼びかけるそうです。
 
 今年の平和行進も、暑い中での行進となりますが、皆さん頑張っていきましょうね。


                    (by ふみよ) 

沖縄で平和学習を考えている皆様へ

2011年04月09日 | お知らせ
 沖縄平和運動センターは、憲法擁護・反戦・反基地を基本に、結成当初から県内平和運動を
引っ張ってきました。米軍の事件・事故への抗議集会や、歴史教科書の修正への抗議行動など
常に、県民運動の先頭で頑張っています。

 そうした沖縄を平和学習の場として利用する、労働団体や修学旅行が増えており、沖縄の実
情を正しく伝える平和ガイドの育成することが、活動家の育成と平和を希求する心を広げるた
めに、平和運動センターの方針に基づく平和ガイドを養成する取り組みを、行うことになりま
した。

 私たちは、そのガイド養成講座の卒業生で、定期的なフォロー研修と派遣要請にこたえるた
めに、自主的に「語りつぐ会」をつくり、活動をしています。

 今年度の「語りつぐ会」の役員については、次のとおりです。

 会長   下地  史彦
 副会長  上江洲 由直
 事務局長 新垣 文代 (080-6491-8686)
      FAX 098-992-1900

 沖縄で平和学習を考えている皆様、コース設定から案内まで相談に乗ります。

 何かありましたら、ご連絡ください。

5・15沖縄平和行進

2011年04月08日 | お知らせ
 
 毎年5月15日の復帰記念日の前後3日間の日程で催している、沖縄平和運動センターの5・15平和行進、毎年多くの県民と本土の仲間が参加いただいていおります。今年は、東日本大震災の影響で、5月15日のみの開催とすることになりました。例年参加している全国の平和・労働団体が、被災地支援に集中していることに配慮したとのことです。

 この間、中央の平和フォーラムをとおして県外から約1500人の参加を含め、県内外約3千人で実施され、本土参加者が沖縄の基地重圧の実情を共有し、「基地のない平和な島」の実現にむけ、沖縄県民と本土の方々の絆を含め、反戦平和の国民運動の一助になっていました。

 5・15平和行進の沖縄単独・縮小開催ではあるが、全国からの自主参加には制限を設けないとのことですので、沖縄県民はもちろんのこと、本土の方々の自主参加をぜひお願いしたいと思いますし、「語りつぐ会」も、ガマの案内などを含め、平和ガイドの必要があれば、協力していきたいと思います。

 平和行進の今年のスローガンは、「普天間基地を県外へ!辺野古新基地建設ナンセンス!1兆円を東北復興へ!」として開催されます。

 東北震災の救援活動に、自衛隊や米軍が活躍をし、それをもって自衛隊基地や米軍基地があったほうが良いという人がいます。だからこそ、軍隊ではなく災害救助隊に組織を変えたほうが私は良いと思います。

 こうした災害救助のために、米軍基地があったほうが良いと思うなら、沖縄に米軍基地を集中するのではなく、本土各地に分散移転することを、本土の方々は本気に考えてみたらどうでしょうか。

 そうしたことも含め、歩きながら考える平和行進に、今年も参加します。 (まさし)