一回目は関東軍軍人として昭和3年の張作霖爆殺事件の実行者として、二回目は「満洲武装開拓団の父」として昭和史に名を残した方です。雑誌名の「弥栄」は佳木斯(ジャムス)の弥栄村において作られました武装移住団の名前と同一でございます。
昭和12年に退役兵を集め編成された急造されました歩兵第102連隊の大隊長に任命され、抗州湾に上陸後、昭和12年11月14日、上海の南西にて左胸に被弾。部下に鉛筆とノートを出させ「うれしさや秋晴れの野に部下と共」と辞世の句をしたためて絶命されたとのことであります。なお、12月13日 、同連隊は南京城中華門の突破に成功しております。この方は誠心誠意の熱情あふれた模範的な帝国陸軍軍人で、部下に慕われた方であったそうでございます。
deathbed poem : It's very happy with my men in the battle field under a clear autumn sky.