入院していた叔父が他界しました。
昨年の年末に野菜を持っていったとき、
と言うので、約束どおり、正月に親父を連れて年始の挨拶に行きました。久しぶりに全員集まったこともあって、盛り上がりました。一人っ子の従妹に
と説教する親父の話を聞いて涙ぐむ叔父が印象的でした。お酒もいい調子で飲んで酔っ払っていたので、涙もろくなっていただけかもしれませんが…
帰り際、日頃は
と坂の上から声を掛けてくれるだけなのですが、今回は両脇を叔母に支えてもらいながら、千鳥足で車の後ろまでやってきて
と親父を連れてきたことのお礼を言われました。照れくさくもあり、なんとも言えない違和感を感じながらも、いつもどおり、
と答えて叔父の家を後にしました。これが叔父との最期の会話になってしまいました。
親父が自慢する「消極的減農薬農法(単に手が回らなくて、農薬を撒くことができないだけ)」の畑でとれた下仁田葱を焼き、酒の肴にして野良仕事談義をしている叔父の姿が忘れられません。
あの世でぶち酒が好きじゃった祖父ちゃんが待っちょるけぇ、肝臓の数値はもう気にせんでもええんじゃけぇ、一緒に好きなだけ酒を飲みぃね。じゃあね。
昨年の年末に野菜を持っていったとき、
「正月、お父さんを連れてきなさい」
と言うので、約束どおり、正月に親父を連れて年始の挨拶に行きました。久しぶりに全員集まったこともあって、盛り上がりました。一人っ子の従妹に
「なんだかんだ言っても、本当は孫が見たいんだから…」
と説教する親父の話を聞いて涙ぐむ叔父が印象的でした。お酒もいい調子で飲んで酔っ払っていたので、涙もろくなっていただけかもしれませんが…
帰り際、日頃は
「また、おいで」
と坂の上から声を掛けてくれるだけなのですが、今回は両脇を叔母に支えてもらいながら、千鳥足で車の後ろまでやってきて
「ともくん、約束を守ってくれてありがとう。
約束を守ってく守ってくれてありがとう。」
約束を守ってく守ってくれてありがとう。」
と親父を連れてきたことのお礼を言われました。照れくさくもあり、なんとも言えない違和感を感じながらも、いつもどおり、
「また、来るけぇ。ご馳走様でした。」
と答えて叔父の家を後にしました。これが叔父との最期の会話になってしまいました。
親父が自慢する「消極的減農薬農法(単に手が回らなくて、農薬を撒くことができないだけ)」の畑でとれた下仁田葱を焼き、酒の肴にして野良仕事談義をしている叔父の姿が忘れられません。
あの世でぶち酒が好きじゃった祖父ちゃんが待っちょるけぇ、肝臓の数値はもう気にせんでもええんじゃけぇ、一緒に好きなだけ酒を飲みぃね。じゃあね。