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いつも笑顔でいるために

2005年3月、悪性リンパ腫と診断されました。
ココはいわゆる童話『王様の耳はロバの耳』の『穴』のような場所。

役員決め。

2009-04-16 22:22:32 | 日々の生活
今日は入学後最初の『保護者会』。
何だか、こういうのがあると『親なんだなぁ・・・』って妙に実感がわいてくるんだよねぇ・・・
普段はそんなこと欠片も感じることなく闘っているけど

今日の保護者会は1・2年生の保護者対象。
3・4年生、5・6年生と日にちを分けて設けられているんだけど、昨日の夜、同じマンションに住む、たーちゃんが小学校に行くようになってからお友達になったたっくんのママがメールくれて、一緒に行くことになってたんだ。
そういうのって、ちょっとうれしいね

保護者会では先生達の紹介と、これから学校生活で使うことになる『絵の具セット』『鍵盤ハーモニカ』についての話、子供達の指導に関するアレコレ・・・などについて説明を受けたよ。

そしてその後はクラス毎に分かれて、担任の先生とクラス会をして、その後PTA役員決め。

先生は同世代かな・・・って思えるような元気な女の人で、今まで上級生のクラスの担任だったけど、今年初めて一年生の担任になった先生。
右も左も分からない、まだ幼稚園児に毛が生えたくらいの新一年生を担当するには、丁度いい感じの先生だったよ

教室で机を話にして保護者が座って、先生から今までの一年生の様子を聞いた後、保護者の自己紹介。
ぐるっと見渡しても、知っている顔が3割以上・・・という、『あの保育園にして良かった』と思える状況だったんだけど、この歳で『子供のことも交えた自己紹介』って緊張するねぇ・・・

たーちゃんは今は慣らし的に学童保育は4時30分のお迎えにしてるんだけど(定時になると5時お迎え)、実家にも寄らず、帰ってきてご飯食べてお風呂入って少しホッと一息つきながらチャレンジ一年生をするとすぐに7時過ぎ。
朝6時起きになったたーちゃんは、だんだんおててがポカポカし始めて、7時半には上のまぶたと下のまぶたが仲良しになっちゃう

自己紹介の時に、

『まだ新生活に慣れていないみたいで、7時半になるともう眠くなって、お布団に入ると5分も経たないで寝ちゃいます

って話したら、周りからどよめきが・・・
後で聞いた話だと、そのどよめきの内容は、

『うちじゃあり得ない・・・、いいなぁ・・・』

っていうものだったんだって
たーちゃんは寝付きは元々いい方で、よく眠るタイプ。
新生児の時はおっぱいタイム&おむつ替えの時しか起きていなかったし、乳児期は隣で添い寝しながらおっぱいあげるとそのまますぐコロンと寝ちゃってた。
保育園時代は疲れていたし、やっぱり7時半から8時過ぎには寝かすようにしていたから、その延長できてたせいか、未だに7時台に寝かせちゃうことも可能という・・・

今は7時台に寝ても朝6時に起きるのは辛そうで、8時過ぎに寝ちゃうと完璧に6時には起きられないの。
寝ボスケは遺伝するのかなぁ・・・?

安静妊婦の時も抗がん剤治療の時も、『安静に』って言われたら思う存分お布団と仲良くして眠りこけてた母親から産まれると、そういう子に育つのかもしれない

そんな自己紹介の後は、いよいよPTA役員決め。
前から色々リサーチ入れてたんだ。
私自身、役員はやってみたい方。
学校との接点ができるし、先生との関係も密になるだろうし、何より、知り合いが増えるということは、たーちゃんのことを知ってくれる人が増えるということだから。

保育園の時、最後の年だけだったけど(体調が良かったのも幸いしてたし)、一年だけ父母会役員をしたでしょ?
父母会役員をするまでは、何となく自信が無くて知り合いも少なくて、ちょっと寂しかったんだよね。
大病をすると、少し自信が持てなくなるのかなぁ・・・なんて思いながら過ごしてきていたから、勇気を振り絞って一歩『役員』という形で外に出てみると、自分が考えていたほど自信失わなくても良かったんだって思えたし、かずパパや母だけではない、『他の誰か』と話すことを楽しく思えたの。

そんなこともあって、今日の役員決めまでに、現役員さんと話す機会があった時(お友達ママが役員をしていたんだけど、本部役員にお友達がいたから紹介してくれたんだ)、色々話してみたの。
たまたま同じマンションの人で、話していた時には同じマンションだって知らなかったんだけど、帰ってきてエントランスでばったり会った時には、ちょっとびっくりだったよ

でも、その役員さんに、いくつかある役員の仕事詳細と私の現状(病気のことも実家のことも)を話して、私ができそうな役員の仕事はあるかどうか聞いてみたのね。
『行事』は短期集中型だけど、校区内ウオークラリー主催者になるから、夏の炎天下出歩かなきゃいけないし、『選考』は本部役員を選んだりするけどまだそれほど人を知っているわけじゃないし、『文化』はベルマークの計算とかするから私向きじゃないし・・・

『学年』委員。
みんなが倦厭する仕事。
何でかって言うと、PTA便りの発行で忙しかったり、月に一度以上学校へ出向かなきゃいけない・・・って言われているから。

でも。
一番私がやりたかった『学校と密な関係』になれる仕事であることに間違いはなくて、しかもこの役員だけ、『各クラス2名ずつ』。
他の役員が各クラス一名しかいないのに対して、『学年委員』だけは2人いて、しかも学年毎の活動だから他の学年の人との上下関係がない。

活動自体の話を聞くと、他の役員と違って、あまり動かないんだよね。
どちらかというと、『クラスのママを動かす仕事』って感じ?

現役員さんと色々話をして、私が出した結論は、『病気理由で役員を諦める』のではなく、『学年委員をやりたい』だったんだ。


そんなわけで、役員決めになって一番人気の『行事』が先に埋まり、しばらく沈黙があったんだけど、つい、私の右手が挙がっちゃって、『学年役員』に立候補しちゃったよ

大抵、『各クラス2人ずつ』っていうのって、仲いいママ友同士だったりするじゃん?
そういうの、少し考えたりもしたんだけど、どうせ後々仲良くなるクラスのママ達なら、初めて同士でやっても同じだよね、って思うんだ。

私が立候補して、またどよめきがあって
そのどよめきの後からは、次々に手が挙がるようになったから、少し刺激したのかなぁ・・・?

私とペアを組んでくれることになったママは、学童がたーちゃんと同じお友達のママ。
私との面識はないんだけど、とても優しそうな人でちょっとホッとした。
一年だもん、やっぱり苦手意識のあるタイプと組むと、ちょっと辛いもんね


帰り、たっくんのママが私が立候補した時のどよめきを聞いてて、

『二回どよめいてたよね悪い意味じゃなく

って言ってたんだけど、一番大変だって言われている『学年役員』に立候補するのって無謀だったのかな・・・なんて、少し不安になってみたり

でもね。
『大変だから』って言っている人は、今年初めて『小学生ママ』になる人たちなんだ。
私の場合、病気理由でたーちゃんを学童に通わせてもらえてるし、体調さえ悪くなければ、一番やりたい『たーちゃんの通う学校で影ながらたーちゃんを守る』っていう仕事が学年委員だっただけで、やる仕事自体はそれほど苦じゃない物ばかりだから(むしろ楽しそう♪)、立候補したことについてウジウジ考えるのは止めようと思うよ

次は来週土曜日、PTA総会がある。
その時に、『学年委員』の他のクラスのママ達と初めて顔を合わすんだ。
どんな人たちだろう?
仲良くなれるといいなぁ・・・。
今はクラスが違っても、来年以降クラス替え(毎年あるんだ)で同じクラスになるかもしれないし、やっぱり、『縦』の繋がりも大事だけど、『横』の繋がりで知り合いが増えるっていい事だもんね

とっても早寝で寝付きがよくてみんなを驚かせたたーちゃんのママ。
ちょっぴり人と違う病気(経歴)持ちだけど、放射線科のKI先生が、

『今は治療していないんだから、『癌患者』じゃないのよ。好きな事していいんだよ?自信持って

って背中押してくれていたのを思い出して、がんばってみようと思うよ
楽しみながらやれば、一年なんてあっという間。
気が付けば『たーちゃん二年生』なんてタイトルのブログ書いてて、『学年役員またやります』みたいに書いてるかもしれない

それくらい、楽しめるかどうかは自分次第だってことで

ちょっぴり遅くなったけど、今日はたーちゃん4時30分に学童お迎え。
先週金曜日、『お腹が痛い』って言って早退した学童だけど、当時の緊張はどこへやら、ここ数日、ずっと4時お迎えだったのについて、

『ねぇ、ママ?お迎え、5時にしてもらえないの?たーちゃんね、学童でお友達といっぱ~い遊びたいの学童、楽しいんだ~

って言うようになったよ。

学校は3分の1が同じ保育園卒園児(しかも仲の良かったお友達が集まってる)、学童は3学年だけどやっぱり3分の2くらいが同じ保育園卒園児。
1つ上の学年のお友達しか記憶にないけど、それでも楽しんで通ってくれているからありがたいよね。

学校も学童も大好きで、でもママも大好きで。
まだまだ隣同士枕をくっつけて眠っているけど、夜中ふと目を覚ますと同じ布団を掛けていたりするたーちゃん。
背中をモミモミしながら寝てるたーちゃんだけど、ストレスから来る歯ぎしりをする時もあって。
歯ぎしりするときとしないときがあるから、日によってストレスが違うのかなぁ・・・って思うけど、がんばって『自分の居場所』を作っている最中なんだね。

ママもがんばろう。
たーちゃんを見習って。


遅くなったけど・・・明けましておめでとう♪

2009-01-12 14:25:07 | 日々の生活
明けましておめでとうございます。

たーちゃんの運動会前日以来、ずっと忙しいのと体調不良を繰り返してて、なかなかブログを更新できずにいる間に、新しい年が来てしまいました~

一生懸命生きてきている私。
気が付けば、私の『お肉』達も一生懸命育ってしまい
そろそろ本気でダイエットせねば・・・
今年の目標は、『目指せ、くびれボディ』
大丈夫か、私・・・??

ということで、たーちゃんの運動会~大晦日までのブログは、とりあえず新年のご挨拶の後、順次更新していこうと思っています。

じゃないとブログ、いつまで経っても『現在』にならないし進まないという事に気が付きましたっ!

先月中は色々あったけど、今は少し元気にしてます。
明日は私のお誕生日です。
でも、まだ四捨五入したら30才
まだまだ若い・・・のかなぁ・・・?

私を取り巻く環境と私自身の体調を考えると、とてもとても30代だなんて思えません。
そうねぇ・・・。
気分的には50代後半くらい?
やっぱり、抗がん剤とかすると細胞レベルで少なからずくたってくるのかもしれないね。
でも、今年も気合いで生きようと思うよ。
再発しなかった一昨年・去年と同様、今年も再発なしでがんばりたいなぁ・・・。

今年はたーちゃんが小学生になります。
ランドセルも購入して、後は届くのを待つばかりだし、机に関しては、実家に置いてある私の使っていたヤマハの机を持ってくるかどうか検討中。
ヤマハの家具って、意外とシンプルでいいんだよね~。
だけど、ちょっぴり古い(私が幼稚園の頃から使ってたからね)ので、買うなら買ってもいいのかな、なんて思いながら、気に入ったデザインの物が無くて
どうしてシンプルで使い勝手のいい物って、無いんだろう・・・?

2月半ばには、入学説明会があります。
説明会って、どんな服装で行けばいいんだろうねぇ?
サイズ変動が激しくて、まともなスーツ(高い物ね)なんて買ってないしなぁ・・・。
父母会役員になってから何着かそれなりの服を買ってはいるけど、そんなのでもいいのかな?
何だか、色んな事に対してドキドキです

さて、今日はこれからヤマハだ~。
年明け最初のお教室だけど、今更『明けましておめでとう』なんて挨拶するの、何だか照れくさいね

今度の5月で幼児科が終わる。
次はジュニアなんだろうけど、たーちゃん、ちゃんとがんばっていけるかなぁ・・・?

今年もまた、やりたいこととやらなきゃいけないことがたくさん溢れています。
がんばって一個一個片付けていこうと思うので、応援してね~。


今日は父母会。明日は運動会。

2008-10-18 23:11:54 | 日々の生活
明日はたーちゃんの運動会。
保育園生活最後の運動会だけど、今年は最後の年にして父母会役員をさせてもらっているので、父母会のお仕事もあります。

父母会のお仕事。
『父母会競技』というものがあって、

・三輪車に乗ってパン食い競争
・大玉転がし用の大玉をペアで手をつないで運ぶ大玉はこび

なんだけどね、それぞれに父母会役員が旗を持ったり景品を配ったり・・・と、それなりに結構忙しかったりするんだ。

それから、父母会行事のメインとも言える、『豚汁作り』。
運動会会場の片隅で作り、お昼時に販売するんだけど、美味しい分、準備は前の日からちょっぴり大変

今年は保育園の園舎の建て替えを控えてて何となく落ち着かないらしく、園長先生から

『今年は中止してもいいよ』

という提案があったそうなんだけど、去年(だっけ?)園長先生達に『豚汁専用鍋』を買ってもらったそうで、それを有効活用するためにも・・・と、今年も中止することなく、豚汁作り決行することになり。

今日は朝9時半に保育園近くの公会堂に父母会役員で来られる人だけ集まって、明日の豚汁作り用の具材を分け、最終打ち合わせをしたんだ。

昨日、副会長であるお友達ママに体調のことを話したんだけど、その話を会長に回してくれて、私の担当は、

『当日朝早くじゃなくて、子供と一緒の時間に来ればいいネギ係』

に決定。
ネギを渡しながら、会長さんが一言。

『ネギ、去年担当したけど、涙出てかなり辛いから、半分手伝うよ

ネギ切るのなんてたいしたことない、って思ってはいても、敵(ネギ)は30本近く。
会長さん、ただでさえゴボウのさきがけ担当(ゴボウ20本くらい(一番大変かも))で大変なのに、

『朝早く起きるの慣れてて大丈夫だから

って、ホントに半分受け取ってくれて、しかもぶつ切りじゃなく、みじん切りにする分を受け持ってくれたんだ。

なかなか言うタイミングが無くて言えなかった『体調』『病名』のこと。
思っていた、

『避けられるかのような気の遣われ方』

ではなくて、何だかとても温かい受け入れられ方をしたような気がする。
迷惑はかけちゃうけどね・・・

考えていたよりも父母会の集まりが早く終わって、帰ってからは明日のお弁当の下ごしらえ。

明日はたーちゃんの最後の運動会ということもあり、かずパパのご両親も来てくれるし、ゆかりんパパ家族もきてくれる。
実家の母も、よっちゃんを寝かしつけてきてくれるって言っているから、お弁当張り切らなきゃ・・・

メニュー?
たーちゃんのリクエストにお応えして、

・煮込みハンバーグ
・卵焼き
・マカロニサラダ
・ウィンナーとキュウリを交互に楊枝に刺したもの(通称『ウィンナー胡瓜』)

を入れて、他にいくつかプラスするつもり。
ご飯はおむすびで。

・・・明日おむすびいくつ作ればいいんだろう・・・?
一応母もおむすびは作ってきてくれるって言っているので(5合炊き一回分しか炊く時間無いから)、15個くらいできればいいのかな?

疲れない程度にがんばろう


カミングアウト。

2008-10-17 23:37:33 | 日々の生活
明後日はたーちゃんの運動会。
前回の父母会で、『父母会競技の担当決め』をしたんだけど、私の担当は、

・パン食い競争のパンロープ持ち
・大玉運びの旗持ち(折り返し地点で)

他に父母会全員で、

・『豚汁作り』として、朝8時に会場となる小学校の校庭に集合
・運動会終了後の片付け、道具運び

があり。
どう考えても『体力的に無理』・・・と判断して、今までずっと話す機会が無く話せずにいた『病気のこと』を、父母会役員の副会長であり、子供同士が同じクラスで、しかも同じマンションに住むお友達ママに電話で話したんだ。

やっぱりすごくびっくりしていたけど、今現在生きている私と元気そうにしている姿を見てるから、驚きながらも受け入れてくれたって感じだったよ。
おじいちゃんが病院の先生をしていたっていうこともあったから、それほど病気に対しての抵抗感はないかもしれないしねぇ・・・。
・・・どうだろう?

無理するとなかなか回復しないことも話したんだけど、自分ができそうな範囲で考えて行動するように心がけているから、引き受けている仕事とか、無理しているわけじゃないけど、その他の余力は乏しい、っていうことも話しておいたんだ。

もしかしたらね、この話は、小学校に入ってからも、いずれ役を引き受けたりする時には話さなきゃいけないかもしれないから、こういうのにも慣れなきゃね・・・。

話さなかったら?
やっぱり無理すると思う。

運動会という行事で、たぶん私は去年同様、写真撮りに走り回ると思うんだけど、終わってからはぱったり倒れて回復を待つって感じなんだよね。

そのことも話したんだけど(『あんなに元気そうなのに』って思われるかなぁって)、

『子供のための行動なんだから、それは大丈夫だよ。ただ、それで体力をかなり使うし、父母会役員の仕事もあるわけだから、片付けとかはできる人がすればいいんだし、無理しなくていいと思うよ。その辺は、会長に伝えておくから、大丈夫。』

って言ってくれた。

たーちゃんが保育園に入って、割とすぐ、

『あれ?同じマンションに住んでるんだ?』

って感じで、最初は顔見知り、それからちょっとして話すようになって、町内会の行事に参加した時、子供と祖父母で参加してたから一緒に過ごして、進級してから父母会費を集金にきた時、子供がうちに上がり込んできて、申し訳なさそうにしていた彼女を部屋に招き入れて色々話をすることができて・・・、それからまた一年。
その間に、少しまた話せるようになって、今年は私も父母会に入って、さらに話せるようになり。

やっと病気のことを話したんだ。
『話した』というよりも、『話しても大丈夫かもしれない』っていう気持ちになれた。

今日話している間に、

『もっと早くに言ってくれればよかったのに・・・』

って言われたんだけど、今ならヘンなふうに受け取りはしなくても、少し前の、今より話をしなかった頃だったら、

『ヘンに気を遣われたり、避けられたりするのだけは嫌』

って思ってて、話せなかったからねぇ・・・。

病気が病気なだけに、人に話す時は慎重になる。
かずパパとか、家族の前では、

『××に話した時にね~、思ってたより大げさなりアクションされてさ~。』

なんて笑い話的に話したりもすることがあるけど、そういうリアクションを見ると、やっぱり辛かったりするんだよね。
だから、『笑い話』にするし、誰かに話す時には、

『まぁ、こうして今は生きてるから~

なんて、自分でも『バカじゃないの?』って思いたくなるくらい、明るく話してしまうこともあり。

かといって、かなり沈んで話すのも何だかねぇ・・・?

沈んで話すには治療後から時が経ちすぎてて、笑って話すにはまだ『過去』にはなってなくて。

何だか、今の『経過観察中』っていう期間は、微妙なんだよね。

『何かあったらいつでも言ってね

って言ってくれたけど、それは心強い言葉でもあり、どう思ったか不安にさせる言葉でもあり・・・。

やっぱり、『病気のことを伝える』って、難しいんだね。

でも、話してよかったのかもしれない。
話さなかったら、きっとこのまま『無理』し続けちゃうから。

『ま、いっか。2日くらい倒れてれば回復するだろうから。』

って。

夜遅くまで話しちゃってごめんね。
驚かせてごめん。
でも。
受け止めてくれて、ありがとう。


仲直り?

2008-10-12 20:03:15 | 日々の生活
いつまでも怒っていたって変わるものじゃないので、

『パパのこと許してあげて?』

って心配そうに言うたーちゃんのために、なんとかいつもと変わらない態度で接することにしました。

たぶんね、また同じようなことが起きて、同じように怒り、同じ文句を言って、同じようにたーちゃんに心配かける時が、わりとすぐ来るんだろうなぁ・・・って思うよ
いつも心配かけてごめんね、たーちゃん。


でも。
仲直りすると少し気持ちが楽になるのは確か。
ケンカしちゃうと、やっぱりストレスになるし辛い気持ちのままでいるから怒りっぽくなっちゃう。

そう考えると、やっぱりケンカはよくないね。

『ケンカするほど仲がいい』っていうけど、ケンカしている間は仲なんか良くないじゃん?
相手の嫌な面を思いっきりたくさん見ちゃう分、自分の嫌な面も相手に見せてるんだなぁ・・・なんて思うと、仲直りする時バツが悪いけど、でも、言いたいこと言わないと伝わらないし、理解されることはないと思うんだよね。

実際、かずパパは私とケンカした後(っていうか一方的に色々言われた後)、それなりに何かしらを変えようとその時は努力してくれているようだし。

『その時は』だから、また時間が経つと元に戻っちゃうんだけどね

でも、大事にしないとなぁ・・・と思うよ。
本気で別れたいわけでも、失いたいわけでもないんだもん。

子供が生まれてからできた、『子供一人分』の距離。
何かの番組で、昔、『たまにはママとパパにも手をつながせてあげようよ』と子供に言っていたことがあったっけ。

手・・・ねぇ・・・。
最近、つないでないなぁ・・・。

保育園の父母会役員をやるようになってから、それなりに顔見知りやお友達が増えて、近所で遭遇することもあるし、たーちゃんの習い事関係での知り合いも増えてきたから、デパートとかに出かけても会うことあるし。

この間なんか、たーちゃんの洋服を見にデパートへ行っていた時、園長夫人に会っちゃったしね

近所に知り合いが増えてくると、手なんかつないでいられない

でも、手をつなぐことは、大事なことかもしれない。
隣にいても感じる『距離』。
でも、手をつなぐとその『距離』はなくなる。
夜ふと、たーちゃんが『男の子』で生まれた以上、どうしても訪れる『完璧なる自立』のことを考えて、すごく切なくなることがある。
男の子は、実家から出ちゃうと(結婚したり)、帰ってこない人の方が多いもんね。

そういう時、スピスピと、赤ちゃんの頃から変わることのない寝顔を見ながら、たーちゃんの手をきゅっと握ると、少し、切なさがまた遠くなる。

そうだよね。
だって、これから入学、反抗期、思春期・・・そういう長い間、まだまだ一緒にいられるんだもん。

だけど、その『手』の温もりで、少し元気になれる。

それと同じ。
ケンカすることが多い時は、何となくかずパパとの『ふれあい』が少なくなっている時の気がするんだ。
触れあう時間が多く取れる時には、ケンカなんかしないもん。

何だか、かずパパが新入社員になった時、思うように時間が取れなくて、ホントに別れそうになった時に似てるんだよね。

やっぱり、『時間』『ふれあい』は大切なのかもしれない。
もう少し、今より『話す時間』『触れあえる時間』が持てるといいのかもしれないねぇ・・・。


ロバの耳・・・愚痴らせて。

2008-10-09 19:51:06 | 日々の生活
今日のは愚痴です。

今日ははっきり言って、お腹痛いし体調悪いです。
なのに、またヤツは怒らせる。
って言うか、

『××しておいてくれる?』

って、体調悪いから、仕事休みなら365日休み無く家事・育児をしている私の代わりに一日くらいやってくれてもいいようなことをいくつか頼んだのね。
それに対して、

『いいよ』
『分かったよ』

っていう返事をしていたヤツ。

そして、今日はたーちゃんがスイミングの日。
お腹痛いけど、がんばって連れて行きました。
『お友達が居るから』というのは口実で、姿が見えない所での行動が、まだ信用しきれないから。

自転車置き場まで来て、たーちゃんのヘルメットを持ってくるのを忘れたことに気が付き、家に取りに帰る余力がないからヤツに電話すると、すごくめんどくさそうな間をおいた後、

『いいよ・・・』

と。
そして、しばらくして

『どこにいるの?』

って電話で言うから、

『自転車置いておいてくれた所にいるよ』

と言うと、

『これ以上出ると、鍵持ってないから入れなくなる』

と言うではないですか。

オートロックの物件に住んでいる者がその台詞を吐いたときには、当然、『玄関の鍵』も締まっていないことになる。

このご時世に、あり得る?

まぁ、『危機感』『家族を守る気持ち』っていうのが薄いヤツだから当然のことなのかもしれないけど、

『ちょっとの距離だから』

って言うのは、エレベーターを降りてエントランスを出るまでの距離のことを言えるの?

私が鍵をかけずに玄関から外に出るときは、エレベーターの所(玄関から見えるし5mくらいしか離れていない)に誰かをお見送りに行ったりするときくらい。

それとはわけが違うじゃん?
光市。
あれは、『ちょっとの距離』、友達を見送るために『玄関のドアが見えない所』まで行って、その間に犯人が上がり込んでて殺害されたんだよね。

その『距離』よりはるかに長い距離、玄関の鍵を開けたまま平気で移動していたヤツ。

それだけで信じられないんだけどね。
ね?
あり得ないでしょ?

で。

『お腹痛くて大変だから、スイミングから帰ってきたらまたエントランスの所に自転車置いておいたら、自転車置き場に持っていってくれる?』

っていうお願いも玄関を出る前にした時、

『いいよ。オレが後で置いてくるから』

なんて、その話だけを聞くと、

『優しいダンナさんだね~』

ってみんなが言うだろうね。

でも。

帰ってきてからいつも通り自分だけぐったりと寝ていたヤツ。

頼んでおいたことの半分はしていなくて、『後で』というのはいつの事やら?

普通頼まれたら、相手が帰ってくる前にこなしておいて気分よく迎え入れてあげようとか思わない?

思わないんだな、ヤツは。


そして、7時半現在。
お風呂に入ろうとしているので、その前に(外に出るならお風呂はいる前の方がいいかな、と思って)

『もう一つお願いしておいたこと忘れちゃってる?』

って聞くと、すっかり忘れてる。

『同じ事何度も言わないで』的事をよくいわれるので、自分で思い出すのを待っていたけど、全然思い出さない。

ただでさえ、玄関の鍵の件・他の頼み事の件でイライラしてるのに、人が話してるのにフラフラ他の部屋へ行くし、めんどくさそうに返事をするし、

『なんなの、一体?』

なんて投げやりな台詞を吐かれたから、いい加減限界。

『頼み事忘れてるじゃん?』

って言ってたら、

『何でお願い事が命令になるわけ?』

って吐き捨ててお風呂に入られちゃった。

なんなの?

『やれ』

なんて言ってない。

大変だからやっておいてくれる?って話してたのに。
『鍵』の件については、何度も同じようなこと(私たちが寝ているのに開けっ放しで寝ちゃったり)繰り返してるから怒ったのに。

母にはこんなばかみたいな事愚痴れないし、

『ダンナさんが居るだけいいよ。私なんて・・・』

って繋がっちゃうから、愚痴れないでしょ?
そうすると、結局そういう『ヤツの本性』を知らないから、『いいダンナさん』で通っちゃう。

むかつくよね。

男なんてそんなもんなのかな?
だとしたら、もう要らない。
現状伴ってなくても、好き勝手な事言うしね。

あああむかつく。
家庭内ストライキしてやる。

洗濯?
すれば、自分で。

ご飯?
作れば、自分で。

掃除?
汚いね、その部屋。

イライラしやすい時だっていうの、分かってるのに頼まれたことをちゃんとしようという努力をしないし、イライラするようなことしかしてないくせにそれを指摘されると逆ギレするってどういうこと?

最低。


やっと更新できました~

2008-10-04 09:33:31 | 日々の生活
7月末からずっと止まったままの私のブログ。
忙しさと体調崩したりの繰り返しで、ここにきてやっと更新することができたよ

いつもね、更新できない間に限って、面白いことや楽しいこと、辛いこともあったりして、

『そうだ、ブログに吐き出そう』

なんて思ったりするのに、結局更新できなかった間のものより日にちが先のものになっちゃったりするから、何だか中途半端で書けなかったりするんだよねぇ・・・

まめに更新できるように、なんかいい方法、無いのかなぁ・・・?


伯父、無事に空へ・・・

2008-09-30 20:13:46 | 日々の生活
9月始め、緩和医療病棟へ入った伯父。
9月27日に亡くなりました。

最期はとても穏やかに、眠るように息を引き取ったそうです。

伯父の息子2人(私の従兄弟)には、

『色々してくれたみたいで、本当にありがとう。』

って言われました。

私たち(母と私)がやきもきしながらも見守っていただけだった2週間、伯父は苦しみ抜いてしまったけど、私たちが動き出してからすぐ、痛みを取り除くことができて、穏やかに過ごせた伯父。

伯父夫婦を見ていると、『愛』について考えさせられてしまうことも多かったけど、今となっては、それも『想い出』になってしまったんだよね。


同じ『ガン』という一言でくくると私も同じ『ガン』を患っている患者。

その患者さんが亡くなったという話を聞くと、どうしても自分と重ねてしまって辛くなるけど、それは健康な人には絶対理解されない。
訃報を聞いてから焦る気持ち、動揺する気持ち。

そういうのを押し隠して、今日、告別式に参列してきたよ。

昨日はお通夜だったんだけど、たーちゃんが38度以上の熱出しちゃってるし、冷たい雨の降る夜7時から9時までって言うから、帰ってくると10時過ぎるし・・・というので、今日だけの参加にさせてもらったんだ。


こういう儀式は、祖父・父に続いて3度目。
ここ5年の間に近い身内が亡くなるのは3度目だから、やっぱり堪えるんだよね。

普段あまり言わない兄でも、

『こういうのはやっぱりいい物じゃないよな』

ってポソッといってたもん。

父達の時には、火葬する所に父達が入ってからすぐにそのまま他の部屋へ移ってたし、二重扉になってて、ガラス越しに見ることはできても、声も音も全然漏れてこない作りだったのね。

でも、伯母の住む地域の火葬場では、火葬を始めてからお坊さんがお経を読み、参列者がお焼香をして、それから他の部屋へ移動するっていうものだったんだけど(もしかしたら宗派が違うせい?)、お経読んでいるときからずっと、バーナーの音がゴーゴーと響き渡ってて、想像力豊かで感受性豊か()な私としては、棺の中の状態が手に取るように伝わってきちゃって、早くその場を立ち去りたかったよ・・・


まぁ、色々あったけど、無事に伯父を見送りました。
たーちゃんもかずパパも参列できなかった(忌引きを取ってもらったけど、たーちゃんが家にいるからそのおつき合いでかずパパは参列できませんでした~)けど、四十九日には参列するもんね。

11月。
寒い季節になるから、今は黒い毛糸でたーちゃん用のベストを編んでます。

帰ってきたのは4時過ぎだったけど、やっぱり疲れました。
何かを吸い取られた気がするのは、私だけ・・・?


伯父、緩和医療病棟へ。

2008-09-09 19:59:47 | 日々の生活
2年ほど前、末期の状態で発見された食道癌を患っていた伯父。

手術をして、二年近くの余命をもらった。
手術しなかったら1ヶ月は持たなかった状態だから、やっぱり医療ってすごいよね。

術後、何度か実家に顔を出してくれたとき、私もよく遭遇したんだけど、その都度、

『死ぬのは覚悟はできてる。でも、痛いのだけはどうしてもいやなんだよね。だから、最後はよろしく頼むね。』

と、私と母に言ってたんだ。

『嫁は信用できないから。どうせそうなった時でも、何をどうしていいか分からなくて、何もできないだろうしね。』

と。

そんな伯父だったけど、今年8月中旬、いよいよ最後の入院をすることになり、伯父の家の近所にある、『緩和ケア病棟』を持つ、最近建て直して綺麗な病院に入院したんだ。

でも、入れたのは『外科』病棟。
当然、『緩和医療』なんてしてくれるわけもなく、『外科』で出せる限界の痛み止めしか使えず、日増しに痛みもひどくなり、息子親子が顔を出した8月末には、

『それどころじゃない!』

ってすごい剣幕で怒鳴り散らし、痛みに耐えていたらしい。

伯父が最も恐れていた状態を、2週間以上、伯母はそのままにしておいたんだ。

そんな話を9月始めに母から伝え聞き、緩和医療を受けられない一般病棟に入っている伯父を

『放っておけば?伯母がちゃんとするでしょ?息子達だって居るんだから。』

と言う人たちを無視して、昨日(9月9日)、伯父の居る病院と、そこから少し離れた緩和ケアを行っているホスピスに連絡を取り、話をしてみた。

ホスピスには、伯母が一応連絡していたみたいなんだけど、

『まだ入れませんよね?』

なんて言い方をしている伯母。
これじゃ、緊急性なんて伝わりはしない。

病院へ連絡をして、医療相談室の人と話してみたら、

『そこまで苦しんでいるなんて話は、患者様ご家族の方からはありませんでしたので・・・』

って感じのことを何度も言われた。

これから迎える最期。
痛み無く過ごすためには、少し大げさに伝えて、なんとしてでも緩和ケア病棟へ入れてもらえないと、結局痛みを感じて苦しむことになるのに。

でも。
ありのままを伝えてみた。

『緩和ケアを希望して最後の入院をしたのに、どうして一般病棟に入院になったのか?』

『一般病棟に入院していても、緩和ケア病棟の医師が少しでも見に来てくれて、投薬の指示だけは出してもらえているのか?』

『家族に怒鳴り散らさなきゃいけないくらい苦しんでいるのに、『緩和ケア病棟あり』と謳っているクセして、どうして苦しめておくのか?』

『伯父は遺言を文書として書いてはいないけど、私たちに『痛みだけは嫌だ。』と言っていたことは、遺言として十分じゃないのか?』

なんて。
ほかにもいろいろ。

『連絡したのは伯母には内緒だけど、『命』として考えたとき、あんなに苦しい思いをさせておくのは、伯父の遺志に反してるから』

ってことも言ったっけ。

まぁ、電話したときには、上にも書いたけど、伯母には内緒で私の意思だけで行動してたから、あんまり言えなかったっていうのもあるけど、それでも十分、伯父が痛みで伝えられない気持ちを代弁できたかな・・・なんて思ってみたりはしていたんだ。

その話が伯母に伝わり、伯母が話していたことを母が教えてくれたけど、

『緩和ケア病棟は、誰か死なないと入れないって、何度も言われちゃったわよ。』

って、あっけらかんと言ってたんだって。

伯母に関しては、誰しもが『?』って思うようなことが多いから仕方ないのかもしれないけど、そういう風に言われる緩和ケア病棟の入院患者さん達も気の毒だし、あれだけ苦しんでいるのに、

『可哀相だ。どうしていいのか分からないけど、可哀相だ。』

とだけしか言われず、長い入院生活の一日のうち、たった1時間くらいしか顔を見せず、

『居ても何を話すわけでもないし、苦しんでるのを見るだけだからあんまり行きたくないのよね』

なんて言われている伯父も何だか気の毒だ。


・・・っていうことがあったんだけど、私が病院にプッシュした翌日の今日、あれほど伯母は『入れない』と言われていた緩和ケア病棟に、あっさり入ることができたんだ。

何だか、『病院マジック』っていうのを肌で感じたんだけどね

でも。
無事に緩和ケア病棟に入ることができて、適切な処置(緩和ケアね)を受けることができた伯父は、すごく穏やかな笑顔をして

『ありがとうね』

って私に言った。

そういわれると何だか照れるけど、私のしたことは、ただ、病院にありのままを話しただけ。
今日は入れたのは、連絡しなくても今日入れていたかもしれない。

そう考えると、たまたまだったのかな・・・なんて思いながらも、テレビのない回復室で2週間以上過ごした一般病棟での生活に別れを告げ、テレビもあり、窓からはすぐ外に出られて木々が植えられている、ホテルの一室のような綺麗さがある緩和ケア病棟に移れてホッとしている伯父を見て、

『間に合ってよかった・・・』

って、ホントにそう思った。

話しに聞いているだけだったけど、あのまま苦痛を感じ続けていたら、一昔前の、緩和医療なんて無かった頃の、『癌末期患者の苦しみ』を味わって、穏やかに笑ってはくれなかったと思うから。

これからどれだけ持つかは分からない。

でも、苦痛で我を忘れて怒鳴り散らして辛い思いをするよりは、人間らしく穏やかに最期を迎えることができるかもしれないから、おじさん、緩和ケア病棟に入れてよかったね。

これから最期までの間、少しの痛みは出てきてしまうかもしれない(薬品では取り除けないだるさとか)けど、数日前まで味わっていた、数週間分の痛みよりはずっと軽いと思うから・・・。

穏やかに、時を過ごしてください。


父の一周忌

2008-08-18 16:39:08 | 日々の生活
父が亡くなって、丸一年が経ちました。
あっという間のような、長かったような。

遺された人たちには、『時間』っていうものがあるから、流れる『時間』によって癒されて、いつの間にか普段の生活に戻っていくことができる。
でも、遺していく人たちには、『普段の生活に戻る時間』がないんだよね。

仮に『あの夜』があったとして、そばで見ているとするじゃん?
どういう風に見えているのかな?

ばかやってると、『ばかだなぁ』って笑ってる?
怒ってると、『そんなに怒るなよ』って苦笑いしてる?
泣いてると、『泣くな』って頭撫でてくれてる?
寂しいって言ったら、『そばにいるよ』って抱きしめてくれてる?

生きている人と亡くなった人。
止まらない時間と止まってしまった時間。

『遺して逝くしかないのかもしれない』

と、ホントに辛かった3年前。
あれから3年。
経過観察中とはいえ、体力は年齢的に落ちてくるものだし、体調としては子供抱えていたらそれなりに感染症には罹ってしまうと思うから、それほど『辛い』と思ったことはないよ。

でも、

『残された時間はどれくらいあるの?』

って思うことは少しずつ減ってきてる。

治療を終え、少しずつ自分の生活を取り戻し始めた頃、『父』の時間は止まった。
でも、『私』の時間は動き続けてる。

父がいなくなってから、新しい『何か』は増え続けてる。
たーちゃんにも、できるようになった『何か』はたくさん増えてきた。

いつか胸を張って、

『パパ、私がんばってたでしょ?』

って言えるように、これからもがんばって生きようと思う。

辛い気持ちを

『忘れて』

と言う人たちもいる。

でも、忘れないで大事に取っておくことも大切なことだと思う。
父がいなくなって寂しいけど、それは忘れてしまうべき事ではない。

父が私に残してくれたもの、父が教えてくれたもの、父の声、父の温もり。

それらは、忘れるんじゃなく、大事に大事に心の中に置いておくことで、活きていくんだと思うから。

父は、たーちゃんにもちゃんと教えてくれたよ。

『命』

っていう、一番説明が難しくて、でも、一番大切なものを。

最近では、

『誰でもよかった』

という無差別殺人が増えてるよね。

でも、たーちゃんは、

『死なないで』

と言う。
死んじゃったら、もう二度と会えないことを、目の前で見て、身体の全てで感じたから。
一番大切な、『命』っていう人間の“元”を、5才の彼は大事にしようとしてる。

ホントなら、父はたーちゃんが2才になる前に亡くなっていても仕方なかったんだ。
それくらい、病状はかなり進んでた。

でも、それから在宅医療に切り替えて、

『持って1ヶ月か2ヶ月か』

って言われていた父が、たーちゃんがもうすぐ5才になる、っていう頃までがんばって生きていてくれた。

もし、医師の言うとおり2ヶ月くらいしか持たなかったら、たぶん、たーちゃんの中に『命の大切さ』というのは残らなかったと思うんだ。

だから、たーちゃんの中にある『生きていて欲しいと思う気持ち』というのをくれたのは、父だと思ってる。

そんな父の死から一年。

変わったものもそれなりに。
変わらないものもそれなりに。

もう一度会いたいし、もう一度と言わず、いろんな話をまたしたいと思う。

でも、できない。
だけど、またいつか逢えるときが来ると思うから(私が逝ったらね)、それまでは、今を大事に、仲良くケンカをしつつ、楽しいことも辛いことも悲しいこともうれしいことも、みんな受け止めて、受け入れて、生きていこうと思うよ。

そろそろ、父との『約束』、実現するためにがんばろうかな・・・って思い始めたよ。
かずパパは、応援してくれるかな・・・?


祝・免許取得♪

2008-08-04 19:04:02 | 日々の生活
なかなか受けに行けなかった試験場での試験。
卒検も問題なく合格し、気が付けばストレートで卒業した教習所。

ドキドキしながら試験場まで電車とバスを乗り継いでいったけど、諸手続を済ませて教室へ入ると、100人近くがもう椅子に座ってた。

教習所で卒検が終わった日、その日卒検を受けて合格した人たちを集めて軽く卒業式みたいな事をしてくれたんだけど、その時に所長が

『今は学科試験の合格率は40~50%くらいだから、しっかり勉強していってくださいね』

なんて言ってたんだ。
母やかずパパに聞くと、

『そんなに特別勉強なんかしなくても受かってたけどね』

って言ってたのに、母が取ったときはもう40年くらい前の話、かずパパが取ったのももう10年以上前の話・・・ってなってくると、問題の質も変わっちゃうのかもしれないねぇ・・・。

当時は、イラスト問題なんて無かったって言ってたもん。
今はあるんだな

ドキドキしながらの試験開始だったけど、意外と試験が始まっちゃうと冷静になる私
引っかけ問題とかも、何だかその『引っかけ部分』が光って見えちゃうような感じがするくらい、

『これって引っかけだよね』

なんて思いながら解いてた。

95問あって、90問正しければ合格する学科試験。
時間的には50分くらいなんだけど、解き終わってみたらまだ20分も経過してなくて。
ざっと見直して、ちょっと早めだけど退室したんだ。

朝9時頃から始まった学科試験。
結果が出るのは11時過ぎ。

その間、試験場の売店に売っていた間違い探しの雑誌を買って、地下の食堂で解いていたりもしたんだけど、ふと床を見たら、ゴキ・・の小さいのがチョロチョロ~っと走っていたのを目撃しちゃったものだから、もう落ち着きなんかあったものじゃなく、飲んでいた珈琲をガッと一気に飲み干し、試験を受けた部屋の前にある椅子の所に戻り、間違い探しを買ったときに一緒に買った文春を読んでひたすら1時間、時間を潰したんだ。

週刊文春。
学生の頃は通学するとき電車内で読むようにって、毎週のように買っていたんだけど、卒業してからは全然買わなくなっちゃったんだ。
自分で買ったのなんて、10年ぶり・・・って思ったら、ちょっと懐かしかったりもしたんだけど、載っている記事は、相変わらず芸能関係や政治関係、殺人事件・・・。
10年経っても、世の中の人たちがしていることは変わらないんだねぇ・・・。

11時15分。
教室前で係員が結果発表の時間が来たことを知らせたので、半分自信ありげ、半分自信なさげな感じで自分の席に着席したよ。

教室の前の方にある大きなテレビ画面に、合格した人の番号だけが発表され始めた。
不合格になった人の番号が載るわけじゃないんだけど、席順で合否を載せているから、空白になってる所は落ちた人・・・ということで、だいたいどれくらいの人が合格しているのか分かっちゃった。

合格発表の前に、『無免許運転で検挙されたことのある人』っていうのを調べるために手を挙げさせていたけど、4人くらいいたその人達、落ちてたなぁ・・・。

私の前の席に座ってた男の子、卒業証明書の有効期限が明日まで・・・って人で、係の人に

『今日受かっちゃえば問題ないんだから』

って試験開始前に言われていたんだけど、彼も落ちちゃってた。
落ちたら卒業証明書の期限が切れちゃう・・・っていうことは、どうなるんだろう?
一発試験で試験場で技能検定を受けて、その後学科試験になるのかな?
まさか、30万近いお金払って、また教習所へ行くことになるのかな?

もっと早くに受けちゃってたらよかったのにねぇ・・・なんて、落ちて落胆している背中を見ながら思っちゃった。

一画面分に彼までしか番号が載せられなかったので、私は画面が変わるまで自分の合否が分からず、ドキドキしながら画面が変わるのを待っていたけど、パッと画面が変わったら、その画面の最初の部分に自分の受験番号を発見

ストレートで車の免許取得できました

不合格だった人たちは、合格した人を残して退室したんだけど、残された合格者達の人数をざっと数えて出た今日の合格率は・・・約3割・・・

みんな勉強してこないのかな?
勉強してきても不安だったんだもん。
あとは勢いで受けちゃったけど(いつまでも勉強していても運転できないし・・・ということでね)、合格率30%前後っていうのを目の当たりにしたら、ちょっと色々と考えさせられちゃったよ。


合格した人たちは、次の手続きへ。
写真を撮り終わったら、1時頃免許証交付されるので、それまでまた時間を潰さなきゃならないんだ。
必要書類と途中で買った雑誌くらいしか持っていなかったけど、何か時間つぶしになりそうな物、家から持ってきちゃえばよかった・・・

おなかも空くしさ。
かといって、ゴキ・・の出る食堂でなんて食べたくないし。

なので、売店で暇つぶしに『間違い探し(クロスワードとか無かった)』を買って、ひたすら没頭するも、子供向けみたいに簡単で、すぐ飽きちゃって。

結局、文春を読みながら時間つぶしてました

1時。
合格した人だけ別棟の『免許証発行』っていうところへ行くことになっていたので、少し早めに移動すると、免許更新の人たちもたくさんいて、そんなに広くない室内はいろんな人でごった返してた

しばらく待っていると、番号と名前を呼ばれて、窓口へ行くと、

『おめでとうございます。これから気を付けてね。』

と、一言言いながら、担当のおばちゃまが免許をくれました


今日は1つだけ、『父』を持ってきたんだ。
父が買ってくれたグッチのトート。
バケツタイプでたくさん入るから重宝しているんだけど、ここぞという時にいつも持ち歩いてたかばん。

免許を取ったことを父に一番最初に報告したいから、今日は一人で来たの。
一番最初に鞄に免許を入れ、実家に帰って父にお線香をあげながら、父に

『パパ。免許取れたよ。これで、ママが倒れて病院へ送り迎えって行っても安心だね。がんばるよ。私。』

なんて心の中で話した後、母に報告。

卒検を受けてからすぐ旅行へ行ったりして時間がなかなか取れなくて延び延びになってたけど、思いの外すぐ取れたし、一発合格してたから、母も

『さすが私の娘

なんて言って喜んでたよ

これから初心者マーク。
ヤマハでのお友達が初心者マークをくれたので、それを付けていよいよ自宅の車(・・・もとい、実家の車)でお出かけできるぞ~

トヨタ車に慣れてしまったけど、実家のはホンダ車なので、早く慣れなきゃ・・・。

でも、これでやっとのんびり生活をまた送れるよ。
教習所へ行っていた時は、毎日のように教習所に入り浸ってたから、何となく忙しかったしねぇ・・・。

だけど、『学生』っていう気分がして、それもまたちょっと楽しかったけど

また『学生』したいなぁ・・・。
次、『父との約束』果たすために動き始めようかな?

少しお金かかるし、時間も必要だから、たーちゃんがもう少し手がかからなくなって、私も再発の可能性がグッと低くなった頃、始めようかと思って。

『父との約束』はね。
『司法書士でもいいから法律関係の資格を取ってくれ』
っていうこと。
一番は司法試験合格なんだろうけど、父としてはとにかく、

『法律に強い人間が一人いると心強いから』

という思いがあって、ずっとがんばってきてたけど、脳腫瘍だって分かってから断念した事が心残りだったんだよね。

脳腫瘍発症後、父が私に託した『父の思い』『何かあった時家族を守りたい思い』。

治療後3年が経って、少しずつ、その『思い』に向けて動き出せそうな・・・、『もったいない』とか思わないで『がんばろう』って思えるような・・・、そんな気がしてきたよ。

今回の免許取得っていうのも、その一つ。
治療後すぐ、かずパパも『免許取れば?』って言ってたけど、どうしても『もったいない』って思っちゃって、一歩踏み出せなかったんだけど、こうして無事に通い終えて取得することできたもんね

ちょっぴりのんびりしよう・・・。
そして、たーちゃんとかずパパと一緒に、どこかドライブ行こうね。
その前に、母に同乗してもらって、鍛えてもらわなきゃ


技能教習8日目、『自主経路設計』『縦列駐車』&今日は入籍記念日だった

2008-07-07 21:29:01 | 日々の生活
今日は『自主経路設計』という技能教習を受けてきたよ。
たぶん、かずパパが免許取ったあたり(十数年前)だと、まだ無かった技能じゃないかなぁ?

複数教習だから仕方ないのかもしれないんだけど、教習車に乗り込んだら、まず指導員から地図を渡されるの。
それで、三カ所くらい印がしてあって、それぞれ一人ずつ受け持つエリアが決められるのね。

『じゃ、1番目の人はと書かれている数字の所まで(2番目の人は1番目の人のゴールからと書かれている所まで、3番目の人は2番目の人のゴールからと書かれている所まで)、自分が走りやすいであろうルートで、あまり大回りをしないで走ってください。ゴール地点に着くまで、指導員は一切口出しはしません。・・・まぁ、大幅に道を外れたとかなら言いますけど

って言われて、それぞれ、どこの目印の後に曲がるかとか、一応3人で検討して
、教習が始まったんだ。

1番目の人(60歳近い感じのおばちゃま)が走り始めてすぐ、

『あ、言い忘れたけど、車線変更や進路変更(右左折)ができなかったからと言って、その時点でパニックになって急ブレーキ踏んだりしないようにね。今日、割と広い車通りのある道を走るから、危ないよ~』

と指導員の人が言ってたんだけど、ごく希にあるんだって。
後ろからがんがん走ってきてるのに、車線をまたがって急ブレーキ踏んじゃったり、後方確認をしっかりしないまま割り込んでみたり・・・。

その話を聞いてて、

『教習車を見かけたら気を付けよう・・・

なんて思っちゃったくらい

高速のインター入り口へ向かう片側2車線道路。
交差点の手前では、車両通行帯は3車線になる。

日本での車運転上の基本、『キープレフト』をしっかり守って走っているなぁ・・・なんて感心していた所、いきなり大きな声で、

『あれ!ここでしたっけ、曲がる所!!どうしよう!右車線、どんどん車来る!!』

って言ったかと思ったら、同時にかなりの制動力を感じて、車線の真ん中で急ブレーキに近い感じで止まる、私の乗った教習車・・・

さっきの指導員の話に出てきた、『車線の真ん中で止まる人』、こんなに近くにいたんだっ!!

思わず後ろを振りかえちゃったんだけど、後ろを走っていたダンプカー(右折しようとしていた)の運転手さん、

『警戒はしていたけど、そこで止まるかぁ~~~~!!!

って顔して、後続車に危険の無いような止まり方(断続ブレーキだね)をしてくれて。

その間に、補助ブレーキ『しか』ないことを心底恨んだであろう指導員が

『ブレーキ踏まないで、早く周り確認してアクセル踏んで~~~!!!

と、悲鳴にも似た声で言い、その声を聞いてパニックになっていた1番目のおばちゃまがやっと現状を把握してアクセルを踏んで車が走り出したよ

もう一人教習生が乗ってたんだけど、彼(男の子です)は固まってたっけ・・・
分かるよ、その気持ち・・・。

結局、1番目の叔母ちゃまは予定していたルートから外れて、二車線道路になったあたりで何とか右に曲がることができ、線路沿いの道を目的地に向かって走り始めたんだけど、これまた、指導員が、

『ひ・・・左、気を付けて!!草が生えてるように見えるけど、その向こうはガードレール、そしてその向こうはガケになって南武線が下走ってるから・・・

って、ちょっぴり怯え始めてました
うん、うん。
その気持ちも、よく分かるよ

やっと、目的地の地図上でいうゴール地点に着くことができ。
一同、本気で、

『無事に着いた・・・』

って思ったと思う
その辺の遊園地のジェットコースターより、『死』が近く感じられたもん・・・

不思議だよね。
それでも、このおばちゃま、私と同じ学科数をこなし、同じだけの技能教習を受けてきたハズなんだもん。
こういうものなのかな?
仮免取ったばかりの人って・・・。

2番目、私です。
さっきの絶叫マシンと化した教習車から一転、まずは空気の入れ換えを・・・って感じで、インター付近を通過して、多摩川にかかる大きな橋を渡り、新しくできたバイパスを普通に走り、普通に右に進路変更し、高幡不動のあたりの細い片側一車線の道に停めてある路駐の車を軽くかわし、指導員が

『どこの角曲がればゴールに着くかわかってますか~?』

なんて、憔悴しきった様子で聞いてきてたけど、その言葉と共にウィンカーを出していたりしたから、

『あぁ、大丈夫そうだねぇ・・・』

って言ってたけど・・・、心の中で、

『そう言うあなたは大丈夫?』

なんて、ちょっぴり心配してみたり

1番目のおばちゃまよりルートとしては長かったはずなのに、時間としては半分くらいの時間で着いちゃった感じ。

最後の男の子。
まだハタチになったばかりって感じの雰囲気がする学生さんで、某漫画の『アビゲイル』(知ってる人は知ってるかな?)って感じの見た目の人なのね。
どんな走りをするかとちょっとドキドキしていたんだけど・・・、これまた乱暴な感じ。

アクセルを踏む時は一気に踏み込むし、断続ブレーキに関しては、ギュッギュ~~~って感じで、車的にはガクンガクンって感じ?
3番目の人のゴール地点は教習所校舎前だったんだけど、着いた頃にはしっかり酔ってました・・・

校舎前に着いて、指導員がそれぞれの教習原簿を広げて見ていたんだけど、おばちゃまの教習原簿は、何やら紙がいっぱい貼ってあったり書き込みがいっぱいあったり。
何回もオーバーしているみたい。

男の子のはよく見えなかったけど(興味はおばちゃまの教習原簿のみだったからかも)、おばちゃまの教習原簿に比べて、何も書き込みや張り紙が無く、各技能一度ずつしか受けていない私(オーバーしてない)の教習原簿、ちょっぴりシンプルすぎて淋しい感じがした気がする

まぁ、プライドにかけて、オーバーだけはしたくないんだけど、何も書かれずハンコだけの教習原簿って、何だか『見本』みたいな感じがするねぇ・・・。


とにかく。
『身の危険』を感じざるをえない複数教習はこれでおしまい。
あ、あと一度だけ・・・『卒業検定』の時が複数だっけ。
でも、その頃にはみんな上手になってるだろうから、大丈夫だと思いたい・・・。


1時間空けて、キャンセル待ちをしていたら、『縦列駐車』の技能教習を所内で受けることができたよ。
技能教習の残りも少なくなり、取れるうちにどんどん取っておきたくて、初めてキャンセル待ちっていうのをしてみた。
って言っても、その間ご飯食べてたんだけどね

『縦列駐車』は、教習所内のコースで、道に面して車1台分駐車できるスペースがあり、そこを通り越して、バックで道に沿うように駐車するというもの。
路上で言うと、道路の途中に『P』マークがあって、だいたい8時から20時くらいまでいくら・・・っていうような駐車場あるじゃん。
道路上に白い枠で囲われている所っていうの?

それと同じようなつもりでスペースに停めるんだ。

指導員のアドバイスは、教習所向き。

『あのポール、10本あるうちの残り3本目が見えたらハンドルを戻して・・・』

とか。
路上にはポールなんて無いっての・・・

でも、時間が余り掛けられない技能教習だけで卒検に合格するためには、必要な『コツ』なんだって。
私としては、実際の路上で、前後他人様の車の間に停める・・・っていう、実践的なことがしたかったのになぁ・・・。

これまた、教えられたとおりにやれば簡単に車を入れることができ。
残り30分くらいの間は、縦列駐車をしては所内コースを少し走り、また駐車場所に来たら縦列駐車をし・・・、というのを繰り返して、今日の教習は終わったよ。

サクサク入れることができたこの縦列駐車だけど、実際の路上でできるのかどうかは・・・ナゾです・・・
『慣れ』が必要そうだよ。


そして、今日は入籍記念日。
でも、かずパパはお仕事で、お祝い事なんかできない。
なんでだろう?
8年も経つと、おめでたい事じゃなくなっちゃうのかな・・・?

ダンナさんから『プレゼント』もらった、なんて話を聞くと、ちょっぴり羨ましかったり・・・
うち、欲しい物は買ってくれるけど、いきなりの『サプライズ』っていうのがないから、ちょっぴり物足りなかったりして。

そりゃさ、私が『欲しい』と思う物を買ってもらえる方が、絶対満たされるとは思うよ?
でも、それだけじゃなくて、

『ええぇっ!?こんな物くれるの!!!?』

って思えるような事ってたまには欲しいじゃん。
まだ彼氏・彼女だった頃、デートで行き先を決めるのはいつも私だったけど、それは今でも変わらない。
だけど、そうじゃなくて、たまには引っ張って行ってもらいたい時もある。

そういうの、鈍感パパさんだと、分からないのかもしれないねぇ・・・。

いえ、ただ、贅沢なだけなんだと思います・・・
でも、女の子だもん。
『男らしい』っていうのに惹かれるじゃん、やっぱり。
ちょっぴりだけ、そういうのわかって欲しいなぁ・・・なんてね。

今日は身の危険を感じる2時間と、惰性で受けた縦列駐車の技能教習3時間で、疲れ果てたのでもう寝ます。


技能教習7日目、『危険予測ディスカッション』。

2008-07-05 16:31:21 | 日々の生活
この間の高速教習から、4日ぶりの技能教習。
間に一日、教習所自体のお休みがあったから日は空いてしまったけど、講習所がお休みじゃない間は、学科受けに行っていました
暑くなってきたのに雨は降るから、電車にバスを乗り継いでなので、中だるみしちゃいそうなんだけどねぇ・・・。
でも、がんばってます。

今日は、この間も書いたように、『危険予測ディスカッション』。
今日もロビーで待っていると、指導員の人が呼びに来た。
今日は男。
ちょっとホッとしてみたり・・・
・・・ダメだ、私。
女の指導員と相性合わないや・・・

それはともかく。
今日の教習生は3人いて、女の子ばかり。
うち2人は、元から仲良くて、一緒に学科も技能も受けているような感じで、寄り添うように不安そうに何やら話ながら立って待ってたよ。

ジャンケンで負けた人から順番が決まり、私は2番目に走る。
走るルートとしては、国立方面で、私が担当するルートは、一橋大学のあたりからたまらん坂方面へ走り、国立駅の前を抜けて、桐朋学園の前で停車するというもの。

って、ここまでルート詳しく書いちゃうと、どこの教習所に通ってるかばれちゃいかねないんだけど
まぁ、底は見て見ぬふりしてね、みんな

教習所から出て、指導員の言うままに道を進み、車通りの少ない路地へ駐車して、そこで軽く説明を受けてから、一人目の走行が始まったよ。

人の運転する車に乗るのは初めてじゃないけど、『教習生』が運転する車に乗るのは初めてで、ちょっぴり怖かった・・・
急停止、急発進は当たり前(・・・でいいのか?)、左側に寄りすぎて接触しそうになったり・・・。
信号の読み方もあやふやで、横断歩道の真上に乗って急ブレーキとかね。

でもまぁ、そういうのって、路上でよく目にする『初心者マーク』っぽい走りで、微笑ましいものではあり・・・。

ちょっぴりいい感じに車酔いし始めたあたりで、交代して、次は私の番。

この辺の道はもう何度も走ってる。
・・・って言っても、教習車では初めてだけどね

いつも、かずパパの隣りに乗って走ってる道。
結婚する前は、母の隣りに乗って走ってた道。

そこを自分が運転するなんて、何だかヘンな気分だけど、逆に言うと、そこを自分で運転できるようになったんだもん、ちょっと感動?

国立駅のロータリー、いつ通ってもごった返しているんだけど、今日も私が走る時にはゴシャゴシャしてて。
左折するんだけど、どんどんロータリーを回ってきた車が入って来ちゃうから、こっちも負けずに鼻先をつっこまないと入れてもらえないんだよね。

そんなわけで、少しずつ前へ前へ・・・と鼻先を出しつつ、右から来る車の運転手さんとアイコンタクトを取りつつ(入れてくれないつもりの人は目を見てくれないから)、何台目かを見送った後、おじいちゃん運転手さんと目が合って、入れてくれたのでにこやかにお辞儀をして左折したんだ。

そうしたら、助手席に乗っていた指導員が一言。

『ちゃんと相手の目を見てますね~。』

って。

『え?目を見ないと、相手が何考えているのか分からなくて怖くないですか?』

って言ったら、

『いや、教習生の隣りに乗って長いけど、相手の運転手さんとアイコンタクト取る人って、あんまりいないんですよ。車を見て走ってるって感じの人が多くてね~・・・

だって。
怖い怖い・・・

特に問題なく私の番は終わり。

3人で教習なんだけど、自分が乗らない間は、他の2人の運転を見て、気になった所やいい所とか、色々メモして、次の時間のディスカッションに使う資料にしなきゃいけない、という課題があってね。
それがまた、『運転が上手い人の後ろ』に乗っていても酔う事のある私には、かなり酷なこと・・・

さっきも書いたけど、急発進・急ブレーキは当たり前、っていう教習車の後ろでメモなんかしていたものだから、3人目の人が運転して教習所まで戻る間にも、また酔っちゃいました・・・

教習所の校舎の前で停車した時には、『生還した』って気分だったもん

私、何があってどう間違えても、教習所の指導員だけにはなりたくないです・・・


2時間目。
1時間目に走った時にメモをした物をみんなで発表し合って、それぞれよかった所、悪かった所、自分とは違った所なんかを話し合う・・・というものだったんだけど。

2人の女の子の私への評価。

・ブレーキが穏やか。
・周りをよく見てる。
・走り出しがスムーズ。
・車線変更がてきぱきしてる。
・乗っていて安心。
・余裕を持って走ってる。
・歩行者保護(歩行者との感覚とか横断歩道での対処)がしっかりしてる。
・割り込みが上手。

・・・。
普通に教習受けてきた結果なんだけど、『乗っていて安心』って・・・ある種、本音が出てるとも言えなくもない評価?

総評価は悪くなかったし、またもや、指導員には

『免許取るの初めて・・・だよねぇ・・・?』

なんて言われちゃうし。
何人目だろう?
初めてじゃなかったら教習所なんてお金払ってまで行かないだろうし、何だか、そうたびたび言われちゃうと悪い事しているみたいで、何だかちょっぴり嫌な気分になってくるよ・・・
悪い事しているわけじゃなく、習ったとおりに忠実に走っているだけなんだけどなぁ・・・。

だって、教わったとおりに走っていたら、ちゃんと曲がるだろうし、車線変更する時も急停止したりしないし、視界だって広く保とうとするじゃん?
何だか不思議・・・。

次の技能教習は、いよいよ『自主経路設計』。
これまた3人での複数教習なんだけど、それさえ終われば、もう複数教習もなくなるし、教習生の後ろに乗らなくてすむから怖い思いしなくていいしね。
あと少し。
がんばるぞ~。


路上教習6日目、『シミュレーターでの急ブレーキ講習』。

2008-07-01 16:07:18 | 日々の生活
今日から七月だね。
暑い夏になるのかな、今年も・・・。

今日の技能教習は、シミュレーターを使っての『急ブレーキ』。
私は、この『シミュレーター』を使っての講義ってあまり好きじゃない。
実車とは動きもアクセル踏んだ感じも違うし、ブレーキの利きもハンドルさばきも全然感覚が違うから。
それなのに、こういう大切な『急ブレーキ』という項目をシミュレーター使って行うなんて、ちょっとヘンだよね。

なんて思いながら、廃車手続きをしてロビーで待っていると、第1段階の割と最初の方にお世話になった女の人の指導員に呼ばれた。
何となく雰囲気が『ドラえもん』。
所内コースを走っていたとき、それほど暑くもないのにがんがんエアコンを付けて、

『私、所内一の汗っかきって言われてるんですよ~。』

なんて、臭いすらしなかったものの、何となく隣りに乗るのが嫌~な気分にさせられる人だったんだ

今日は実車ではなく、小さめの教室で、しかもシミュレーションだから、どんなに汗かいても、車ほどの密室ではないからまぁいいんだけどね

妙にノリノリで、ゲハゲハ(という表現が正しく感じるくらい)と笑う20代そこそこっぽい女の子一人と受講。

『第2段階も中盤になりましたが、教習、楽しいですかぁ?』

と言う指導員の問いに、

『はいっ!メッチャ楽しいっす!

と妙にハイテンション。

変わって私はと言うと、いつも『冷静だよね』と指導員に言われるほど、テンションが変わるわけでもなく。
いや、別に暗くしているわけではないんだけど、習い事をしているのにテンション高くする必要って無いじゃん?
真剣に受けたいだけ。

でも、それって同性のカンに障るらしく・・・

今日のシミュレーターでは、わざと人を撥ねさせる所ばかり回ってきてました
物陰から、車の影から、狭い路地から・・・。
色んな所から人が飛び出してきて、ポ~ンと。

実車だと、まず停車している他の車の窓越しにある程度危険予測ってできるでしょ?
十字路になっている交差点を80キロで飛ばすことなんかまずありえないし。

それなのに、設定でそうなってる。

そのくせ、景気よく轢いてあげると、

『あら~。轢いちゃいましたね~。即死かなぁ?』

なんて、わざと笑いを取るようなことを言うから、隣の女の子はゲハゲハ・・・

『見えてませんでしたよね~』

なんて言うけど、いや、そうじゃない。

『見えていたけど、設定で断続ブレーキ利かないようにしてあるし、危険予測をして速度落としたら、『もっとアクセル踏んで指定速度(80キロや100キロ)出してくださ~い』なんてにこやかに言ってたじゃん。』

って、言っちゃおうかなぁ・・・なんて思っちゃったけど、ここはあえてクールに
言ってもこういうタイプには聞き入れてもらえないもんね。

それどころか、

『こういう風に人ばかり轢いちゃって、すごく暗くなっちゃった人いるんですよ~。どうですか?とても嫌な気分ですよね~。』

だって。

これには速攻言い返しちゃった。

『いえ、最初からテンション、変わってませんから』

って。
まぁ、時間的にそんなやりとりしていたらすぐ終わるって分かってたからなんだけどさ、何だか、ゲハゲハ女とこの指導員のおかげで、ホントに必要な急ブレーキの講義、無駄な1時間で終わっちゃった気がするなぁ・・・。

あ、1つだけ、いい経験になったことがあったっけ。

急ブレーキの踏み込む強さっていうのが、%表示で表されるのね。
いつも断続ブレーキを踏んで慣れていたせいか、それともシミュレーターはおもちゃの域を超えられないのか、どんなにガンって踏んでも100%出なかった私に、

『嫌いな人とか憎い人のことを思い浮かべたら100%出る人多いんですよ~。誰かいませんか?お姑さんとか。』

って言われて、その人達のことを想像して思いっきり踏みつけてやったら、一発で出ました、100%・・・

・・・誰を想像したかって?
真っ先に浮かんだのは、今日の指導員とゲハゲハ女・・・

ちょっぴりスッとした
まぁ、他にも嫌いな人はいても、憎いとまで思うわけじゃないからねぇ・・・。
憎む前に距離置くし。

冷静沈着な人間、敵に回すと怖いんだぞ

今日受けた講義は、所詮シミュレーター。
下のロビーに降りてきたら、割と話をするようになった指導員(男)に会ったので、聞いてみた。

『シミュレーターって、実車とは同じ動きしないですよね?』

って。
そしたら、

『それがシミュレーターの悪い所なんだよ~。何?ブレーキ、嫌な思いしちゃった?大丈夫。実車じゃあんな走りしないでしょ

だって。
嫌な思いするだけだった講義は、この時間でおしまいだから、気にしない気にしない。

次は2時間連続教習の、『危険予測ディスカッション』。
これまた複数教習(最大3人)で、1時間目は普通に路上を走って、2時間目に前の時間走ったときの反省なんかをしてみるらしい。
なんだかなぁ・・・。
10年前にはなかった項目らしいよ。
もちろん、かずパパもそんなの受けてないんだって。
でもまぁ、なんとかなるでしょ・・・。
第2段階終了まで、後半分。
がんばるぞ~。


路上教習5日目。

2008-06-28 20:41:43 | 日々の生活
今日も100分教習。
次からはシミュレーター教習や、所内での縦列駐車や方向転換、複数教習(一台の車に3人までの教習生が乗る)の経路設計とかで、こうしてまとめて100分続けて乗れるっていう時間って、最後のみきわめ前の自主経路設計の時しかないんだ。

そんな貴重な100分教習なのに・・・、第1段階で苦手な感じの指導員がいたんだけど、今日はその彼に当たっちゃいました・・・

昔からね、クラスで席順を決めるときのくじ引きも、苦手な人の隣が多かった。
好きな人と隣同士になれたのなんて、一度あるかないかくらいだもん。
・・・あったかなぁ?
やっぱり、無かったかも

そのくせ、妙な所でくじ運が良かったりするから、今日はそのくじ運が災いして、彼に当たっちゃったのかもしれないねぇ・・・

ぶっきらぼうというか、無口というか、指示しか出さないで無駄口は叩かないと言うか・・・、そんな印象を受けた彼だけど、今日は教習に当たったのが2度目という事もあってなのか、自ら望んで夜間教習を受けた私に、

『夜って怖いでしょ~。視界が狭くなるしね。でもまぁ、いつも通りに周りに注意して走ってみようか。』

と、車に乗ってすぐに話しかけてきた。
ちょっと、態度の違いにびっくり・・・
もしかしたら、ただ単に、『人見知り』さんだったのかもしれないねぇ・・・

今日は、最初の50分間は普通に路上を走り、その後次の50分で路上駐車の練習をしたよ。

教習所で『駐停車』について学科でも学んでいたけど、いざ自分が路上駐車をしてみると、周りの車が意外と違反をしているのに気が付くよね。
T字路なんか、駐車禁止場所エリアに止まってる車とか、よく目にするもん。

そういえば、初心運転者期間に起こす違反の大半が、この『路上駐車』だって言ってたっけ
気を付けなきゃ・・・。

後半50分。
路上駐車の練習になった頃には、ヘッドライトを付けても周りの視界が悪くなるくらい真っ暗になっちゃった。
特に、路上駐車の練習をしていた所が、線路沿いの人通りもまばら(車通りは皆無)で、街灯なんかほとんど無い道路だったからかもしれないけど、うっそうとした公園に面した道路での駐停車の練習は、ちょっぴり怖かった・・・

指導員は50過ぎのおじちゃんだから、人的被害はないだろうけど、ルームミラーから見える後ろのシートに何やらかが乗っていそうな気がしちゃって、それがちょっと怖くてねぇ・・・

あの道、練習以外では走ることはないと思うけど、絶対もう行かない・・・

止まっていい場所・止まっちゃダメな場所。
実際必要な技術だろうけど、学科で詰め込んだ『~メートル』っていうのは、いつか忘れちゃいそうだよ
あーいうのって、感覚じゃんね?

今日の教習も、指導員に左フックを入れることなく無事に終了しました
もう少しで第2段階も後半になるから、もしかしたら7月中には教習所卒業できるかもしれないねぇ・・・。