四国のほぼ中央、高知県長岡郡大豊町の山中深くに在る・・
太田山大願院豊楽寺(ぶらくじ)。724年、聖武天皇の勅願所として行基が
開いたと伝える。日本三大薬師の一つとも言われます。(他は、愛知県の
鳳来寺、福島県の常福寺)
現在は、真言宗智山派の寺ですが、弘法大師空海の足跡は伝えられず、
遍路の道から隔絶した立地、勿論四国八十八ケ所霊場の内でもありません。
薬師堂(本堂)は、平安時代末期(1151年頃)の建立。四国に現存する最古
の建築と言われます。入母屋造、杮葺き(こけらぶき)、単層、五間四方。
高知県唯一の国宝建築物。
JR土讃線で、大歩危、小歩危を過ぎ、四国の脊梁山脈の下を長大なトンネル
で潜り、高知県へ入った所。山間の大田口の駅から吉野川を渡り、山道の
参道を1k余り。豊楽寺の門前へ。(曲がりくねった狭い車道もありますけれど)
寺に鳥居・・と訝りますが、当時は無論、神仏習合。寺の奥、一段高い所に
若一王子宮があるのです。紫陽花が咲き残る石段を上ると、薬師堂の姿が。
室町時代以降の華麗なお堂とは趣を異にする、素朴そして、・・そう古色蒼然
としたその姿。山上を羽ばたくようなその姿の詳細は次回で・・。
薬師堂を取り巻く狭い境内には、多くの石仏の姿。江戸時代の年号を刻む
奉納仏も。多くのひとに尊敬と親しみを集め続けた証しです。











太田山大願院豊楽寺(ぶらくじ)。724年、聖武天皇の勅願所として行基が
開いたと伝える。日本三大薬師の一つとも言われます。(他は、愛知県の
鳳来寺、福島県の常福寺)
現在は、真言宗智山派の寺ですが、弘法大師空海の足跡は伝えられず、
遍路の道から隔絶した立地、勿論四国八十八ケ所霊場の内でもありません。
薬師堂(本堂)は、平安時代末期(1151年頃)の建立。四国に現存する最古
の建築と言われます。入母屋造、杮葺き(こけらぶき)、単層、五間四方。
高知県唯一の国宝建築物。
JR土讃線で、大歩危、小歩危を過ぎ、四国の脊梁山脈の下を長大なトンネル
で潜り、高知県へ入った所。山間の大田口の駅から吉野川を渡り、山道の
参道を1k余り。豊楽寺の門前へ。(曲がりくねった狭い車道もありますけれど)
寺に鳥居・・と訝りますが、当時は無論、神仏習合。寺の奥、一段高い所に
若一王子宮があるのです。紫陽花が咲き残る石段を上ると、薬師堂の姿が。
室町時代以降の華麗なお堂とは趣を異にする、素朴そして、・・そう古色蒼然
としたその姿。山上を羽ばたくようなその姿の詳細は次回で・・。
薬師堂を取り巻く狭い境内には、多くの石仏の姿。江戸時代の年号を刻む
奉納仏も。多くのひとに尊敬と親しみを集め続けた証しです。











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