ご存知のように、国分寺は奈良時代の天平13年(741)に聖武天皇の命により
全国に建立された官寺ですが、今もその所縁の地の近くに国分寺の名を継ぐ
寺が再興されています。この備中国分寺もそのひとつ。
境内の西の外れに立つ五重塔。それは国分寺の、いや吉備路の至宝と言える
ものでしょう。
文政4年(1821)から二十数年をかけて、江戸末期に建立された塔。
全国で、国宝、重文に指定されている五重塔は22基を数えますが、その中で
最も年代が新しいもの。
初層から最上層に至るまで、ほぼ同じ大きさで、軒の張り出しの小さい形状は
江戸後期の特徴と言われます。室町時代までに開花した鳳が飛び立つような塔
とは異なり、どっしりと、そしてしっかり地面に立った印象を得ます。
周りの柔らかな落葉樹の丘の上に塔を見れば、頼もしく、美しく、時を置いても
飽きさせることがありません。そして、近づけば、また違う印象が・・
一段の高台の上に擬宝珠高欄を付した縁をめぐらせ塔は立ちます。
初層中備の蟇股には十二支の禽獣が刻まれています。各層の二軒繁垂木・・
仰げば、木魂の造る壮大な世界に吸い込まれそうです。










全国に建立された官寺ですが、今もその所縁の地の近くに国分寺の名を継ぐ
寺が再興されています。この備中国分寺もそのひとつ。
境内の西の外れに立つ五重塔。それは国分寺の、いや吉備路の至宝と言える
ものでしょう。
文政4年(1821)から二十数年をかけて、江戸末期に建立された塔。
全国で、国宝、重文に指定されている五重塔は22基を数えますが、その中で
最も年代が新しいもの。
初層から最上層に至るまで、ほぼ同じ大きさで、軒の張り出しの小さい形状は
江戸後期の特徴と言われます。室町時代までに開花した鳳が飛び立つような塔
とは異なり、どっしりと、そしてしっかり地面に立った印象を得ます。
周りの柔らかな落葉樹の丘の上に塔を見れば、頼もしく、美しく、時を置いても
飽きさせることがありません。そして、近づけば、また違う印象が・・
一段の高台の上に擬宝珠高欄を付した縁をめぐらせ塔は立ちます。
初層中備の蟇股には十二支の禽獣が刻まれています。各層の二軒繁垂木・・
仰げば、木魂の造る壮大な世界に吸い込まれそうです。









