おもしろ住まい学

住まいについて面白そうな話を考える

式台の話(1)

2014-01-31 00:02:10 | 日本の住まい

式台をご存じでしょうか。

そう、現在では玄関にある上がり框(かまち)より一段低い「段」の部分のことを指します。

 式台は、もともと武家住宅において身分の高い来客を迎えたり、草履などを履かずに駕籠に乗るための板張りの部分で、いわゆる表の玄関に設けられていました。
この式台付き玄関は、現在の玄関と異なって外部に設けられるため、屋根はあるものの雨の降り込みなどに対しては、無防備だったようです。

 話は武士の話から始まりますが、武士は藩内においても細かく身分が定められていました。
例えば会津藩では上級(上士、士中)、中級(中士、寄合)、下級(下士、足軽)があり、上士、中士は羽織の紐の色によって七階級に、下士は半襟の色によって四階級に分かれていたそうです。
この中で上士の知行取は俸禄も百石以上で、正式な外出の際は供の者を連れていました。また中士の中でも高い俸禄の武士は、供の者を連れていたかもしれません。
この供の者とは、槍持ち、小者(草履取り)が普通ですが、百五十石程度の俸禄になると、これに馬の口取りが加わります。

 武家屋敷では一般の出入りに使用する通用口(内玄関とも呼びます)や勝手口の他に、こうした正式な訪問を迎え入れる、家格を表す表玄関が必要となります。この表玄関に設けられるのが「式台」です。

 式台付き玄関とは、上がり框と板張りの部分とによって構成され、その板張りの前方には水切りのための石畳が設けられており、下足はここで脱ぐことになります。

一般に草履取りなどの供の者が進めるのはここまでで、ここで主人の帰りを待つことになります。更に上等の式台付き玄関になると、供の者の控え所も設けられていました。

 こうした武家屋敷は、もともと公家などの貴族の間で様式化された「寝殿造り」を参考として、鎌倉以降の武家の間で好んで建てられた「書院造り」が始まりです。

 戦国期を経て徳川の平穏な時代に入ると、こうした玄関は形骸化していきますが、藩主クラスが外出する場合、あるいは上級武士やその他の武士が外出する場合など、持ち物、供の者の人数などが、家格によってある程度決まっていたということなので、現在では考えられないような規律の中で生活が営まれていたのかもしれません。

式台の話(2)に続く

             mm

             まさき設計


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