スズメの日記は前に一度書いたことがある。我が家の屋根の端の瓦の下に、質素な巣をつくり毎年2回せっせとヒナを何匹か育てて、いつの間にかどこかに行ってしまう。
この屋根で育ったスズメたちは、巣立ちごとに数が増えて行き、その結果徐々にその家族数は大きくなり、生まれ育った我が家の屋根が安全で懐かしいのなら、広い屋根のあちこちに巣別れして大家族を形成しても不思議ではなのに、いつまでたってもこの巣一箇所に限られている。スズメの寿命は2~3年だろうということなので、増加数も自然に調整されているのかもしれない。
それが事務所の窓の正面から良く見えるので、暇があったら覘いているのだが、最近どうやらまた巣作りを始めたらしい。事務所のベランダにはスズメに限らず、何か野鳥の可愛いのが飛んでこないかとエサ皿を2個備えて、ご飯の残りやパンや、たまには市販の「小鳥のえさ」などを入れてあるが、今のところスズメたちの独擅場だ。
ところが、これだけ身近なところにいても、彼らの警戒心はそうとうに大きい。エサ皿に来たところをカーテンの陰に隠れて、そっと窓を開け写真を撮ろうとすると、たちまち飛び立ってしまう。これは寂しい。
スズメと人間との付き合いはきわめて古く太古にまで遡るはずで、人がいなくなった土地にはスズメもいなくなるくらいだから、もっと気を許してくれて、たまにはチュチュと肩や頭にでも止ってくれると、こんなにうれしいことも少ない。「森の生活」のH・D・ソローはコンコードの森近くの農園を耕していた時、ツバメが一羽飛んできて肩に止った。彼は狂喜してこれに優る肩章はないと書いている。
たぶん、いつの時代か日本人が食糧難に苦しんでいた頃、彼らを大量に殺戮したことがあるのだろう。今でもスズメの焼き鳥というのがあるしな・・・。やはり、一度失った信頼関係を取り戻すには多くの時間と忍耐が要るということだ。
鳥で思い出すのは、フロリダのシーワールドのテラスで朝食を取っていたら、実にたくさんの野鳥がテーブルのすぐ傍まで飛んできて、古い友達のように楽しく接することができたということだ。人になついているいうよりも、全く別種の生物として自然に信頼しあっているという空気に満ちていた。
日本にもああいう環境がもっともっと増えると、この世界は確実に多様で美しいものになるのだが・・・。

この屋根で育ったスズメたちは、巣立ちごとに数が増えて行き、その結果徐々にその家族数は大きくなり、生まれ育った我が家の屋根が安全で懐かしいのなら、広い屋根のあちこちに巣別れして大家族を形成しても不思議ではなのに、いつまでたってもこの巣一箇所に限られている。スズメの寿命は2~3年だろうということなので、増加数も自然に調整されているのかもしれない。
それが事務所の窓の正面から良く見えるので、暇があったら覘いているのだが、最近どうやらまた巣作りを始めたらしい。事務所のベランダにはスズメに限らず、何か野鳥の可愛いのが飛んでこないかとエサ皿を2個備えて、ご飯の残りやパンや、たまには市販の「小鳥のえさ」などを入れてあるが、今のところスズメたちの独擅場だ。
ところが、これだけ身近なところにいても、彼らの警戒心はそうとうに大きい。エサ皿に来たところをカーテンの陰に隠れて、そっと窓を開け写真を撮ろうとすると、たちまち飛び立ってしまう。これは寂しい。
スズメと人間との付き合いはきわめて古く太古にまで遡るはずで、人がいなくなった土地にはスズメもいなくなるくらいだから、もっと気を許してくれて、たまにはチュチュと肩や頭にでも止ってくれると、こんなにうれしいことも少ない。「森の生活」のH・D・ソローはコンコードの森近くの農園を耕していた時、ツバメが一羽飛んできて肩に止った。彼は狂喜してこれに優る肩章はないと書いている。
たぶん、いつの時代か日本人が食糧難に苦しんでいた頃、彼らを大量に殺戮したことがあるのだろう。今でもスズメの焼き鳥というのがあるしな・・・。やはり、一度失った信頼関係を取り戻すには多くの時間と忍耐が要るということだ。
鳥で思い出すのは、フロリダのシーワールドのテラスで朝食を取っていたら、実にたくさんの野鳥がテーブルのすぐ傍まで飛んできて、古い友達のように楽しく接することができたということだ。人になついているいうよりも、全く別種の生物として自然に信頼しあっているという空気に満ちていた。
日本にもああいう環境がもっともっと増えると、この世界は確実に多様で美しいものになるのだが・・・。
