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庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

時計草の実

2007-12-04 11:23:33 | 自然
今年の夏は激しくバテている間に過ぎていった。きわめて短かった(ような気がする)秋も瞬く間に去って、もう12月だ。今日は冷たい北西風が吹いている。

オゾン層だ、異常気象だ、温暖化だ・・・と案じだせばキリがないほど、現代文明の病は広く、根は深いところにあるのだろうが、それでもこうやって暑さが過ぎ、涼しさが過ぎ、寒さがやってくる。まだまだ豊かな四季の巡りを感じることができる場所に生きていることはあり難いことだと思う。

昨日の朝は久しぶりに雨が降った。冷たい初冬の雨。乾期にほとんど雨が降らないインドでは、雨が降ると「天気が良い」という。J・ラスキンは“Sunshine is delicious, rain is refreshing, wind braces us up, snow is exhilarating; there is really no such thing as bad weather, only different kinds of good weather. ”
日光は香(かぐ)わしく、雨は清新、風は元気の元、雪は爽快・・・悪い天気などというものはない、ただ異なった種類の良い天気があるだけだ・・・と言う。私も全く同感だが・・・しかし、それにしてもこの夏の暑さには閉口した;;




半年続いた時計草の花たちもようやく影を潜めて、今は橙色の小さな実を付けている。実といっても中はスカスカで、つまむとプスッとへこむ。このヘタの部分を、生後3ヶ月を迎えようとしているビーグル犬(パーム)が喜んで食べるものだから、どんなにうまいものか、私も鼻をこすり付けて匂いを嗅いでみた。



ヘタは懐かしい枯れ草の匂い。実を割ると微かに甘い上品な香りがした。匂いを言葉で伝えるのは難しい。臭覚は、これだけ豊かでたぶん生命の本源に直結しているであろう感覚であるにもかかわらず、色や音に比べて形容する語彙が極端に少ないような気がする。

全ての生命体、つまり、あらゆる動植物が共有する、あまりに自明で本源的で多様な感覚なので、先人たちは、これを人間にしか通じない言語で説明しよういうことにあまり魅力を感じなかったのかもしれない。

匂いの判断がいかに生得的で正確なものであるかは、どんな動物でも子どもを育ててみるとすぐに分かる。私は自分の息子が小さかった頃、食事の前に飲食物の匂いをかいで自ら身体に本当に適したものであるかどうかを必ず確かめてから口にしている姿に感動したことがたびたびある。「やはりそうだ!子どもは自分に必要なことはもともと知っているのだ!」・・・学生時代にルソーの教育論をかじっていたからかもしれない。

ただ、今でも、人間は元々なんでも知っているが、生まれ出た社会の偏ったものの見方の中で生きているうちに、本来の自分の中にあった豊かな直感や太古からの経験を忘れてしまうのではないか・・・という想いに変わりはない。つまり、にわかには信じがたいことかもしれないけれども、「本来、自分の中に全てはある」「知る」とは「思い出す」ことである・・・という考え方である。

人は皆、いやひょっとしたら全ての生命が、あらゆる可能性を持っている。あらゆる可能性の原因をその内奥に持っている。それがある時ある場所の何かに触れて、結果として表に出てくる。思い出す。時計草の微妙な匂いの世界に触れて、こんなことを想った。