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卓球世界チャンピオンになった原動力⭐️⭐️⭐️

2019年05月02日 21時01分24秒 | 学院長からのひとこと
こんにちは♪東京都東大和市の学習塾、個別指導光ヶ丘教室の佐藤民子です♪

今回は、学院長先生が担当します。

2019年5月2日

【卓球世界チャンピオンになった原動力】

先日ブダペストで世界卓球選手権が終わりましたが、日本は金メダルゼロに終わりました

しかし、「卓球日本」という時代を知っている私としては、残念な思いがしてなりません

実は私は、高校時代に卓球部でした。

当時日本は、卓球が強く、世界卓球選手権では、男子では、長谷川信彦選手、伊藤繁雄選手、河野満選手、小野誠治選手の年代わりで4人の世界チャンピオンが出ていました

少し前たまたま、1969年のミュンヘン大会卓球男子元世界チャンピオンの伊藤繁雄氏の講演会を聞く機会がありました。

もともと左利きだったのに遊びの卓球でたまたま右手でやったら調子が良くて、そのまま右手でやったそうです。

最初から左手でやっていたら、世界チャンピオンの回数がもっと多かったのではないでしょうか

世界チャンピオンになるには筆舌に尽くしがたいことがいろいろあったかとは思いますが、苦しい時はいつもお母さんを思い出していたそうです

家が貧しかったので、大学には行けそうもなく、そのまま一度高校を出た後地元企業に就職したそうです

しかし、県の卓球大会などに出たら無敵の強さを発揮し、どうしてももっと卓球を続けたくなったそうです。

当時卓球日本と言われている中でも、専修大学が卓球では無敵の強さを誇っていました。

伊藤選手はそこに行きたかったそうです

しかし、経済的な理由でみんな反対する中で、家が貧しいのにお母さんだけが許してくれたそうです

専修大学に進学した伊藤選手は、母の期待だけは裏切るわけにはいかないと懸命に頑張ったそうです

しかし、みんな強豪ぞろいの専修大学でなかなかそんなに簡単に強くはなりませんでした

そんな中、伊藤選手の心に火がつくような事件がおきました🔥

伊藤選手が出られなかった1967年のバーミンガム大会で、日本の長谷川信彦選手が優勝し、準優勝したのはいつも自分の練習相手だった河野満選手でした💦

「おれは、何をやってるんだ」

と、その日から、さらに死にものぐるいの練習を始めたそうです。

学内を歩く時も、素振りをしながら歩き、講義の時は足腰を鍛えるため椅子に座らず、壁を背にしてエアー椅子にして座ったふりをしていたそうです😌

そして、1969年のミュンヘン大会で決勝では地元ドイツの選手が相手で、完全アウェイの中、勝って世界チャンピオンとなりました

お母さんもさぞ喜んだことでしょう



▲卓球世界チャンピオン伊藤繁雄さんから頂いた色紙






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