バカに厳しいバカばかり

自戒の念も込めてそういうタイトルにしました。

高橋由伸選手「結婚」に際しての思い出

2006年01月31日 19時54分31秒 | ニュースで二言三言
由伸が日テレ小野寺麻衣アナと入籍 (日刊スポーツ) - goo ニュース

 巨人高橋由伸外野手(30)が29日午前、日本テレビの小野寺麻衣アナウンサー(30)と入籍した。高橋由は、すでに長嶋終身名誉監督と原監督に結婚の報告をしており「キャンプ前にケジメをつけておきたかった。野球は野球、結婚は結婚って考えていますが、私生活では1人じゃなくなる。これからは2人でお互いの人生を楽しくしていけるように頑張りたいと思います」と語った。人生を共にするパートナーを得て、2006年のヨシノブの闘いが始まる。

 いつになく精悍(せいかん)な、引き締まった顔つきだった。高橋由はキャンプインを3日後に控えたこの日の午前中、麻衣さんと共に区役所に向かい、婚姻届を提出した。「今日、入籍しました。キャンプ前にケジメをつけておきたかった」。日本プロ野球界“最後の大物独身選手”が、人生を共に歩むパートナーを得た瞬間だった。

 ともに慶大出身の同い年。だが、帰国子女の小野寺アナウンサーは学年が下で、最初の出会いは高橋由がプロ入りしてからだった。6年前、知人の紹介で食事を共にし、4年前から本格的な交際がスタート。「性格が全く逆。自分にない面をたくさん持っているし、一緒にいて楽しかった」という高橋由が最初に食事に誘った。その後は意気投合。「プロ野球選手というと派手なイメージがあったんですが、とても普通の感じがして、好感が持てました」という小野寺アナとの距離は、どんどん縮まっていった。

 高橋由は昨年12月9日に右足首の骨きょく除去手術を受け、このオフはリハビリ生活が続いた。それでもシーズン中から2、3キロしか増えていない体重90キロをキープしているのも、小野寺アナのおかげだ。「空気を吸っても太る」と言われる体質だけに、例年のオフは95キロ以上まで増えてしまうが、麻衣さんの手料理で肥大化はストップ。外食が多い“偏食王”の節制にもつながった。入院中の介護はもちろん、松葉づえ生活を支えた小野寺アナの協力で、順調なリハビリ以上の効果がもたらされている。

 リハビリ生活の中での入籍だが、私生活と野球生活を区別する高橋由は言う。「ケガをしているとか、そんなのは2人の間で関係ないでしょ。昨年の12月になって、キャンプ前に入籍しようと決めました。結婚したから野球を頑張るというのは好きじゃない。今までだってグラウンドでは頑張ってるんですから。でも、プライベートは1人じゃなくなるし、2人で力を合わせて楽しい人生にしていきたいですね」。クールに語るが、私生活がしっかりすれば、野球生活に大きなプラスになるのは間違いない。「偏食が多いし、由伸は早く結婚した方がいい」と言い続けてきた原監督の念願もかなった。

 「絶対に優勝したい。開幕には間に合わせて、ケガをしない強い体でシーズンを乗り切りたい」と言い切る高橋由。二人三脚で臨む、新たな歩みが始まった。

2006年 1月30日 (月) 09:48



※「いつになく精悍な、引き締まった顔つき」。確かに入団当初、当時の長嶋監督が盛んに提唱していた「ウルフ」という愛称が不発だったのも、年追うごとの実績伸び悩みもさることながら、2割くらいは「ていうかアイツ顔太っているし」という世間の目が、足を引っ張ったことは想像に難くない。「狼」と「太」って対立概念だし。あと真偽は知らないが、顔太ってるのに、なんか眉毛細くする毛抜きと小鼻の毛穴パックを入団前から欠かさないという、なんか微妙に「ナル」な噂が「ウルフ」のイメージと程遠かったことも、ほんの僅かだが影響したかもしれない。

全然どうでも良いが、この「ウルフ」の愛称がまだ生きていた頃、当時巨人の中軸は3番松井・4番清原・5番高橋で、その頃の清原といえば「番長」と崇められたこの数年では考えられないほどのバッシングの渦中にあり、加えて暴力団関係者との賭けゴルフ疑惑も浮上するなど、四面楚歌の状態であった。で、元気ない清原を見かねた元木が「キヨさんにも何かいい愛称を考えましょう」と励まし「3番がゴジラ松井で、5番がウルフ高橋だから、えーとえーと」と考えた末「そうだ、ゴルフ清原は!?」と発案して清原にボコられるという、まあ、それは当時のスポニチの4コママンガ(作・コジロー)だったわけだが。とにかく、その程度の使われ方でいつしか収束した「ウルフ」という呼称である。

「ウルフ」の話はその程度にして、私はこの高橋選手に対するイメージが申し訳ないがもの凄く悪い。入団に際し膨大な額の裏金疑惑が報じられたからではない。毎打席簡単に空振りで2ストライク取られ、自分から勝負を苦しくしては必要以上に打率と出塁率を下げているからでもない。あとしつこいが顔パンパンだからでもない。大した根拠とも言えない戯言だが、私が唯一至近距離で見た高橋選手の態度が、どうにもこうにもアレだったからである。

いや、1回2回遠巻きに見ただけで、人物の何が解るといえばその通りなのだが。99年春。開幕直前ニュースでも良く報じられる、業界関係者等を全日空ホテルとかに集めて催される巨人軍激励会。渡辺会長や監督が順にスピーチするやつ。私なぞ広告代理店の知人からチケット貰って行っただけであり、位置づけとしては「なんかウザイ一般人混じってねえか」のまさにウザイ一般人だったわけだが。

そんな業界人と素人が混然とする中、当然撮影とかサインとか握手とかの求めが、切れ目なく発生する会場内。とりあえず、私が近くで見ていた限りの数分間の高橋選手(当時入団2年目)と言えば。「ファンが私的に持込んだ色紙へのサインは『あ、ダメ』と一蹴(会場で配布したらしいカードにのみ可)」「遠巻きに写真撮るファンに『ねえちょっと、フラッシュすんなよ』と一喝(申し出た上での2ショットのみ可。笑顔なし)」「サインや撮影後の握手は『あ、そういうのないから』と却下」でした。

一応補足的にいうと、サインとか写真って勝手に売られたらとか、結構微妙な問題もあるせいか、特に色紙は、確かにそういうルールを開会時に客へ呼びかけていたのかも知れない。私は聞いていなかったが。ただ、だとしても。居並ぶ選手の中でも、彼、特に目立っていたから。2年目にして。ちなみに、ちょっと違う次元で目立っていたのが清原選手で、ずっと怖い顔&早足でノシノシ歩き回っていて、余りに取り付く島がなさすぎ、誰もサインとか求めなかったため「目に付く邪険さ」は逆になかったという。これは別格。

総じて野手の方が厳しく、投手の方が温和だったが。私の記憶する限り、

○長嶋監督(当時)=噂にたがわず、終始笑顔でファンサービス。でもサービスする側からすぐ知り合いに捕まるので、サインもらうチャンス乏しい。
○原コーチ(当時)=笑顔はないが、無愛想というより折り目正しい感じ。相手の名前の漢字や書き添えて欲しいメッセージを確認しながらサインしていた。
○斉藤雅選手、槙原選手=原コーチとほぼ同様の対応。
○松井選手=原コーチとほぼ同様だが、より淡々とした対応。
○高橋選手、清原選手=上述。


で唯一、本当に特筆すべきが桑田選手。パーティ中はもとより、全関係者が引き上げた後、最後の一人分まで居残ってサインと撮影に応じていた。一人一人と笑顔で会話も交わしながら。手持ちの筆ペン使って。また達筆なのがいかにも「らしい」。「習字の技術と投球ってすごく近いんだよね」とか普通に言いそうじゃない桑田選手。ちなみに私がいただいたサインは、結局原コーチ(当時)と桑田選手だけ。色紙2枚しかなかったからだが。でも大切にしています。

まあ、それがお2人の結婚に際しての感想。感想というより中傷に近いが。まあ、よく解らないよこしまな感じの人間も一杯近づいてくるだろうし、だから若くしてああなっちゃうのかな。小野寺アナとの交際発覚直後の日テレ・氏家会長からして、当時確か「(小野寺アナ)でかした」みたいなコメントしていたものな。どういう意味だ、部下の私的交際に「でかした」って。これで披露宴中継いただきという事か。当時誰も失言扱いしなかったのが不思議。


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1 コメント

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初めまして (フィー)
2006-02-01 22:12:50
トラックバックありがとうございます。

フィーという者です。

今後ともよろしくお願い致します。
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