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 ♪♪♪ H.Tokuda

あしたのジョー

2017-05-27 23:35:47 | エッセイ


 大好きな漫画「あしたのジョー」について書こうと思う。まず最初にクイズから。

【問題】主人公矢吹ジョーとライバル力石徹との初対面シーンが掲載された冊子を見て、原作者は「困ったことになった」と頭を悩ませたという。結局はそのことが原因で、後に予定されていたストーリーを変更せざるを得なくなったのだが、その困った問題とは何か?

【ヒント】力石が〇〇過ぎた。

 お解りだろうか?
 この作品の原作者は高森朝雄。梶原一騎の別名である。当時、少年マガジンには梶原一騎原作による「巨人の星」がすでに連載中であり、同じ雑誌に同一作者の作品が複数掲載されることをためらっらたことから別名を用いたと言われている。
 作画は、ちばてつや。この人はなかなか骨のある漫画家で、作画を引き受ける条件として、「時と場合に応じて、こちらの方で原作に手を加えさせてくれ」と注文をつけた。梶原は原作の改変を嫌うことで有名だったが、担当編集者が恐る恐る梶原にちばの意向を伝えたところ、「手塚治虫とちばてつやは別格だ、いいでしょう」と承諾したという。しかし、いざ連載が始まってみると、予想以上に原作者と作画者との意見の相違が多く、幾多の議論や口論を繰り返すハメとなった。
 ある日、新宿のバーで打ち合わせをしていたとき、梶原は力石を殺したい、ちばは生かしておきたいということで口論になった。やがて口論は白熱し、梶原が「力石は、絶対殺す!」と大声で発言。それを聞きつけたバーの店員が、びっくりして警察に通報したという逸話がある。

 さて、先のクイズの答えは「力石が大き過ぎた」ということ。渡された原稿の一文を自分なりに解釈したちばは、力石の身長をジョーより頭一つ分くらい高く描いてしまった。後に二人はプロボクサーとして闘わねばならないのに、これだけ体格に差があれば、同じ階級で闘うのはおかしい。やむなく梶原は、人間の限界を超える過度の減量を力石に強いることになり、それが原因でやがて力石は死んでしまう。
 力石の死が掲載された後、寺山修司の呼びかけで葬儀が執り行われ、多数の著名人や読者ファンが参列したというのは有名な話だ。

 1970年に発生した日航よど号ハイジャック事件では、ハイジャック犯がこの作品を愛読しており、「われわれは明日のジョーである」との声明を残した。先に述べた力石葬儀の件なども含めて、「あしたのジョー」は単に「連載マンガ」にとどまらない、様々な社会現象を引き起こしてきた。
 いわゆるスポ根マンガでは、主人公=真面目な努力家で家庭は貧乏、ライバル=天才肌で裕福な家庭、という構図がよく用いられる。梶原一騎原作による「巨人の星」なども、まあこのパターンに当てはまるのだが、「あしたのジョー」に関しては主人公のジョーも力石も少年院出身の不良少年であり、その様相はかなり異質だ。「努力すれば報われますよ」といった良い子の論理を押し付けるのでなく、仲間やライバルとの友情を美化するのでもなく、その人間関係はむしろドロドロしたものだ。
 丹下団平は、最初のうちは自分の果たせなかった夢をジョーに託するような感じでトレーナー役に徹するが、ジョーが売れっ子となってからは、それを利用して金儲けに走ろうとする俗物の側面があらわになってくる。ジョーやその仲間であるドヤ街の子供たちは戦争孤児だろうし、ジョーの対戦相手には朝鮮戦争にまつわるトラブルで父親を殺してしまった韓国人ボクサーが登場する。
 もちろんジョーも力石も努力家には違いないが、それは生死を賭けたような凄まじいものであり、そこには「美しいスポーツマンシップ」だの「互いを高め合う好敵手」だのといった教育観はまったく見えてこない。すでにスポーツの枠を超えた壮絶な人間ドラマと考えた方が良さそうだ。

 「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ。」
 このセリフにジョーの人生観が集約されている。

 ホセ・メンドーサとの死闘の末に判定で敗れ、「真っ白に燃え尽きた」ラストシーン。ここでジョーは死んでいるのか、いや、疲れて休んでいるだけなのか、人によって見解が分かれ、読者やマンガ評論家の間で真剣な議論が繰り広げられてきた。
 実はこのラストシーンについても、原作者と作画者との間で意見の相違があったらしい。原作ではホセ・メンドーサとの試合終了後、丹下段平が「お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ」と労いの言葉をかけ、パンチドランカーとなってしまったジョーはその後静かな余生を過ごすというストーリーが用意されていた。ところが、ちばてつやは「ジョーの余生」というのが気に入らず、この「真っ白な灰」の絵で終わりにしてしまった。
 さて、ジョーは死んでいるのか否か、作画者のちばてつやも明らかにしていない。医学的な見解からすると、「もし死んでいればこの体制を維持できるはずがないから、この時点では間違いなく生きている」ということになるらしい。

 僕が「あしたのジョー」から学んだものは、特に何もない。とりわけてボクシングが好きになったわけではないし、真っ赤に燃え上がって真っ白な灰になってしまうような生き方はしようなんて微塵も思わない。それだのに、このラストシーンを見るだけでいつも涙がこぼれそうになってくるのは何故だろう。
 6月に開催される「アニメソング特集ライブ」に備えて、アニメ「あしたのジョー」の主題歌をちょっと練習してみた。寂しげな感じでやりたいのだが、ギターを弾く手に次第に力が入り、最後はガンガンの演奏。本番で弦を切らないか心配だ。(^^;
 


京美人

2017-05-27 01:40:57 | エッセイ


 写真は、バンド仲間ユミちゃんの若き日のお姿。本人の了承を得て掲載した。左は葵祭に参列した時のものらしい。右は日本髪のモデルをしたときのもので、カツラでなく本物の髪を結っているらしい。いかにも「京女」って感じでいいね。

 僕が京都の女性に対して描くイメージは、おっとりしていて、我慢強く芯が強い、控えめなようで自分の考えをしっかり持っている。理論よりも感性を重んじ、楽観的な性格。美意識が高くファッションセンスも良いが、流行り物を嫌う傾向がある。
 外見的には、小柄で丸顔で、目も丸いが、ぱっちり大きいという感じではない。全体に彫りが浅く、どちらかと言えば地味な顔立ち。綺麗というよりは可愛いといった感じ。表情を大きく崩さず、口元に薄っすらと妖しい微笑みを浮かべる。
 僕の祖母もそうした特徴を備えた、典型的な京女だった。母は大阪生まれで、まったく違った感じ。ひょっとすると、京女に関する僕のイメージは、祖母の面影に由来しているのかもしれない。でも、先に書いたようないくつかの特徴は、世間一般で考えられている京女像と大きく違わないと思うのだ。

 もちろん個人差はあるけど、全国各地の土地柄とそこに暮らす人々の特徴には、かなり深い関連性がある。そうしたわけで、土地それぞれに〇〇美人が存在するわけだ。例えば、東北美人のイメージは、すらりと背が高く、色白で目鼻立ちがはっきりしている。これはおそらく、ユーラシア大陸北方系の遺伝子が関係しているのだと思う。
 人の顏というものは、遺伝的な形質だけでなく、話し方や表情の作り方など、成長過程における顔面筋肉の使い方などによっても変わってくる。京女の柔和な顔立ちは、おっとり優雅な古都の環境にマッチする形で作り出されていくのだろう。
 大人になって化粧をするようになると、その仕方に個性の違いが反映されるので、性格と外見とのリンクがますます強いものとなってくる。僕は化粧で作られた顔が好きだ。化粧自体がひとつのアートだと思うし、その中に人それぞれの個性やセンスを見て取ることができる。素顔を知った上で、メイクアップされた造形美を鑑賞する。あるいは、化粧で塗られたよそ行きの顔を見ながら、その人の自然な素顔を想像する。

 真っ白に塗られた舞妓さんや芸妓さんの化粧は、人それぞれが持つ個性をあえて隠すことによって匿名の美を創り出し、「非日常の女」を演出しているように見受けられる。
 僕の祖父は芸妓さんが大好きだったようで、さんざん祇園で遊び、揚句は芸妓さん(僕の祖母)と結婚して、その後もしょっちゅう祇園に通っていたらしい。結局はそれで店をつぶしてしまったのだが、もしも店が続いていて、僕が何代目かの旦那になっていたとしたら、やはり同じような道を歩んでいたのだろうか。
 いやいや、じっちゃんの頃とは時代が違うわなぁ。そんな夢のような生活が許されるわけもない。しかし、今なおこんなことを書いて楽しんでいるというのは、僕も同じような嗜好を持っているということか。
 僕の親父は対照的に、石仏みたいな堅物人間だった。やはり僕はじっちゃんに似ているのかもしれない。隔世遺伝、恐るべし。