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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神田駅東地区連合 紺屋町南町会

2015-05-10 17:33:03 | 宮入順

【町会の特徴】

神田紺屋町は、慶長年間に徳川家康から軍功として藍染めの権利を与えられた紺屋頭、
土屋五郎右衛門が支配していた江戸古町の一つ。 江戸を代表する藍染めの浴衣と手拭の大半は、紺屋町一帯の染物屋で染められました。

 

「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」と言われていたほどで、紺屋町の名物が江戸の名物でもありました。
幕末、安政年間には歌川広重の名所江戸百景にも、その風情が描かれています。

 

「場違い」という言葉がありますが、これは紺屋町以外の地区で染める浴衣や手拭い染めのことを、江戸の人がそう呼んだことに由来するそうです。

 

【神輿の特徴】

戦後の混乱期に、町会神輿の維持が困難になり暫く神輿を持たない町会でありましたが、19年前に町会有志の発案で 手作り神輿を造ることになり、現町会長の飯田昭次郎さんが紙を素材 にした神輿を完成させました。

 

14年前の平成13年神田祭では、 見事に手作り神輿で初の宮入を果たしました。
そして本年、神輿の作りはさらにバージョンアップし、「紺南睦」の肩に乗って宮入りを目指します。

 


神田駅東地区連合 北乗物町町会

2015-05-10 17:11:11 | 宮入順

【町会の特徴】

北乗物町は、明治2年(1869)に、元乗物町代地、兵庫屋敷代地、神田紺屋町二丁目横町代地が合併して成立しました。

成立時、この地に多くの駕篭職人が入居しました。

町名を付けるにあたり、かつて駕篭などの乗物や馬具を作る職人が集まって今日中したために生まれた地名であると言われています。

 

元乗物町の「元」は日本橋の「新乗物町」に対して名付けられました。

「兵庫屋敷」は兵庫殿という御女中が拝領した屋敷である、と言われています。

 

町会の該当区域は、北乗物町全域となっています。

 

【神輿の特徴】

北乗物町町会は山車にご注目ください。

戦後作られた氏子町会最大のこの山車は、電線の高さを考慮に入れて、昭和29年に作成された、「獅子頭太鼓山車」です。

神田神社の正面に建つ「随神門」をぴたりとくぐり抜け、宮入をします。

純金箔貼りの雄、雌の獅子頭を取外し、「獅子頭神輿」として担ぐこともできます。

台座は総欅作りで、丁寧な彫刻が施してあります。その美しさをご堪能ください。

 

 


中神田十三ヶ町連合 内神田旭町々会

2015-05-10 16:51:39 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代、この辺りは出羽秋田藩藩主佐竹義宣及び能楽師幸若太夫の屋敷地でした。

天和2年(1682)の大火でこの付近一帯が焼失した後、佐竹氏は下谷三味線掘(現台東区)に移転し、跡地は町人地となり永富町二四丁目、新革屋町代地、元乗物町代地の一部となりました。

明治2年(1869)、これらの地域は「旭町」と改名されました。

「旭町」の由来は佐竹氏の家紋「扇に日の丸」に因んでいます。

 

町内にある佐竹稲荷神社は寛永12年(1635)に創られました。

同町の鎮護の神として丑寅の一隅に安置されていましたが、大震災後の区画整理の際に現在地(内神田三丁目10番地)に移されました。

 

昭和41年に住居表示が実施されると、内神田二丁目と三丁目の一部となり、旭町の名前は地図から消えてしまいましたが、昔を語り継ぐように町会の名前として今でも存続しています。

 

町会の該当区域は内神田二丁目89131416番地、内神田三丁目568〜11151624番地となっています。

 

【神輿の特徴】

旭町の旧町である、永富町では天下祭の神田祭では竜神の山車を出していました。その故事にちなんで、内神田旭町々会の神輿は神田明神、竜神山車、花笠の町衆が彫刻されている、非常に珍しいものです。昭和27年、宮本重義作です。

 


中神田十三ヶ町連合 神田司町二丁目町会

2015-05-10 16:24:39 | 宮入順

【町会の特徴】

神田司町二丁目は、「新銀町、雉子町、関口町」等が合併し、昭和10年に設立しました。

 

新銀町は江戸時代に銀細工を扱う者が住んでいたことに由来し、明治5年に設立しました。

 

このうち雉子町には、『江戸名所図会』を親子三代にわたって完成させたことや、『東都歳事記』『武江年表 』などで有名な、斎藤 月岑が住んでいました。斎藤家は代々、雉子町の名主を務めていました。

 

関口町は江戸時代に開かれた町屋で、関口弥太郎という人物が草創名主だったので、それに因んで名付けられました。

 

町会の守護神として、「真徳稲荷神社」が祀られており、五穀豊穣、悪疫鎮護、商売繁盛の神様として現在に伝えられています。

 

昭和22年、神田区と麹町区が合併して千代田区が成立すると、司町二丁目は神田司町二丁目となりました。

 

町会の該当区域は神田司町二丁目全域となっています。


 

 

【神輿の特徴】

神田司町二丁目町会の神輿は昭和27年、宮本重義の手により作られました。大きさは2尺5寸で、二重台座になっています。本塗の屋下総金箔押で彩られています。台輪の四方には四神彫刻が入っています。総勢400名の担ぎ手で、750キロの神輿を担ぎます。平成13年に大補修をしました。丈は低いですが、重厚な神輿となっています。連合の中でも一番の神輿であると自負しています。