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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

中神田十三ヶ町連合 須田町北部町会

2015-05-10 16:12:04 | 宮入順

【町会の特徴】

須田町北部町会は昭和8年に設立しました。

 

この辺りには、かつて、甲武鉄道(現中央線)の始発駅である、万世橋駅(現交通博物館)があり、東京で一番交通の便利な場所でした。

須田町交差点の雑踏ぶりは「親知らず子知らず」と称されるほどで、大正初年(1912)に、交通巡査が日本で初めて立ったのもこの須田町交差点であったと言われています。

 

また、須田町北部町会には出世稲荷神社という、誰もがあやかりたい名前を持つ神社があります。

創立の頃より、町内の鎮守神であったと言われています。

現在の社殿は昭和3年に完成したもので、毎年915日に祭祀を行っています。

 

町会の該当区域は須田町一丁目139〜25番地までの奇数番地と、淡路町一丁目24番地、淡路町二丁目2〜12までの偶数番地となっています。

 

 

【神輿の特徴】

須田町北部町会の神輿は、昭和16年に製作されました。

伝統を重ねてきた神輿同様、我々担ぎ手も強い気持ちで担ぎ続けます。

 


中神田十三ヶ町連合 淡路町二丁目町会

2015-05-10 16:07:01 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代、この界隈は、武家屋敷が立ち並ぶ地域でした。

永井信濃守の屋敷が松平伊豆守の屋敷となり、のちに若狭小浜藩酒井家の上屋敷となりました。

 

明治5年(1872)、ここに神田淡路町二丁目という名前が正式に付けられました。

町名の由来とされる淡路坂は、鈴木淡路守の屋敷があったためと言われています。

 

明治初期、現在の淡路公園の場所に、明治後期の日本を代表する知識人を輩出した共立学校(後の開成学園)が創設されました。ここでは正岡子規や南方熊楠などが学びました。

また町内には一時期、たけくらべなどで知られる女流作家で、歌人でもあった樋口一葉も住んでいました。

 

淡路町は文化の町となり、その新進の気風は町並みにも表れていました。

大正末期から昭和初期にかけては、昌平橋近くに活動常設館(映画館)の名門である神田シネマパレスがあり、多くの人で賑わっていました。

 

町会の該当区域は淡路町二丁目1〜29番地までの奇数番地となっています。

 

【神輿の特徴】

淡路町二丁目町会の神輿は、昭和52年の宮本重義の手によるものです。神田明神氏子町会のどこにも負けないような担ぎをします。

 


中神田十三ヶ町連合  淡路町一丁目町会

2015-05-10 15:50:35 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代の初め、この地には「西福寺」「西念寺」という、将軍家と関係が深い寺院が、観音坂を下りきったあたりに位置していました。

西福寺は慶長3年(1598)、徳川家康が故郷の三河から呼び寄せた寺です。

 

神田淡路町一丁目と名付けられたのは明治5年(1872年)になってからです。

この名前は、鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂」に由来しています。

当町会は、昔からのしきたりを尊重し大切に守る町会です。

町会の該当区域は淡路町一丁目の奇数番地となります。

 

【神輿の特徴】

淡路町一丁目町会の神輿は、昭和40年に、宮本重義により作られました。小型の神輿ではありますが、担ぎ手衆の迫力と技に御注目下さい。

 

 


中神田十三ヶ町連合  内神田鎌倉町会

2015-05-10 15:40:40 | 宮入順

【町会の特徴】

天正18年(1590)に徳川家康は江戸城へ入り、「鎌倉町」の付近は江戸城の築城工事の際、資材の荷揚げ場となっていました。多くの材木石材が相模の国(現在の神奈川県)から運び込まれ、鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていました。そのため荷揚場が「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられたと言われています。

 

鎌倉町は400年以上の歴史がある江戸最古の町の一つです。

 

町内にある御宿稲荷神社は、小さいながらも江戸が都市化する以前から祀られている数少ない神社の一つです。

 

家康公がはじめて江戸に来たときに、一夜を明かした家の庭に祠があり、後に幕府より家康の足跡を記念して社地を寄進されたため、世に御宿稲荷神社の大神と祀られるようになりました。

 

町会の該当区域は内神田一丁目一番5〜91214号、5〜8番及び内神田二丁目1〜7、内神田三丁目1〜4となっています。

 

【神輿の特徴】

内神田鎌倉町会の神輿は朱色の飾網が美しい、25寸の大神輿です。昭和38年に宮本重義により作られました。

担ぎ手の緑色の半纏と神輿の鮮やかな対比をお楽しみ下さい。

綺麗な担ぎ方が当町会の自慢です。

 


中神田十三ヶ町連合 須田町一丁目南部町会

2015-05-10 15:20:43 | 宮入順

【町会の特徴】

江戸時代の須田町は、現在の神田須田町一丁目とほぼ同じ範囲でした。

江戸期の町内には、菓子屋や薬屋、塩や油を扱う問屋、神具や仏具を売る店など、さまざまな商品を扱う店があったと言われています。

現在の町内にも、東京都選定の歴史的建造物に指定されるような老舗の商店が数多く営業しています。

 

かつて、須田町交差点の一角で、銀座線の入口近くには「立花亭」という寄席がありました。

この寄席は震災では焼けましたが、戦災はまぬがれて、昭和29年に幕をおろすまで、書物にもよく取り上げられるほどの東京でも有数の寄席の一つでした。

 

町会の該当区域は須田町一丁目57番地及び16~34番地までの偶数番地となっています。

 

【神輿の特徴】

須田町一丁目南部町会の神輿の大きさは他の町会と比べると小ぶりですが、彫刻の手の凝りようではどこにも負けないと思います。当町内には、老人病院があり、病院前で神輿を練るときは入院患者のご老人の方々をはじめ、病院スタッフにも大変喜ばれています。