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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

内神田旭町町会

2007-05-13 15:23:23 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 江戸時代、この辺りは出羽【でわ】秋田藩藩主佐竹 義宣【さたけ よしのぶ】及び能楽師幸若太夫【こうわかだゆう】の屋敷地でした。天和【てんな】2年(1682)の大火でこの付近一帯が焼失した後、佐竹氏は下谷三味線掘【したやしゃみせんぼり】 (現台東区)に移転し、跡地は町人地となり永富町【ながとみちょう】二~四丁目、新革屋町代地【しんかわやちょうだいち】 、元乗物町代地【もとのりものちょうだいち】の一部となりました。明治2年(1869)、これらの地域は「旭町【あさひちょう】」と改名されました。「旭町」の由来は佐竹氏の家紋「扇に日の丸」に因んでいるといわれています。

 町内にある『佐竹稲荷神社【さたけいなりじんじゃ】』は寛永【かんえい】12年(1635)に創られました。同町の鎮護【ちんご】の神として丑寅【うしとら】の一隅【いちぐう】に安置されていましたが、大震災後の区画整理の際に現在地(内神田三丁目10番地)に移されました。

 昭和41年に住居表示が実施されると、内神田二丁目と三丁目の一部となり、旭町の名前は地図から消えてしまいましたが、昔を語り継ぐように町会の名前として今でも存続しています。

 町会の該当区域は内神田二丁目8・9・13・14・16番地、内神田三丁目5・6・8~11・15・16・24番地となっています。


 旭町【あさひちょう】の旧町である、永富町【ながとみちょう】では天下祭の神田祭では竜神【りゅうじん】の山車【だし】を出していました。その故事にちなんで、旭町神輿には神田明神、竜神山車、花笠【はながさ】の町衆【ちょうしゅう】が彫刻されている、非常に珍しいものです。昭和27年、宮本重義【みやもと しげよし】作です。



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