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多町二丁目【たちょう2ちょうめ】は神田青物市場【かんだ あおものいちば】、別名神田田町市場【かんだ たちょういちば】として有名です。
明暦【めいれき】の大火【たいか】(1657)の前には、青物問屋【あおものとんや】の数は80軒以上にも増えたといわれています。大火後に連雀町【れんじゃくちょう】、佐柄木町【さえきちょう】の問屋は多町【たちょう】に合併し、神田多町市場【かんだ たちょういちば】と呼ばれるようになりました。
多町一、二丁目の起立時の町の形は昭和8年の住居表示変更まで約330年続きました。以前は、「田んぼ」の「田」の「田町」でした。いつ頃「多い」の「多」の「多町」へ変わったのかは定かではないのですが、多町市場に住む人や出入りする人が多くなり、また流通する品物や物資が多くなった事など、町の繁栄とともに「多町」と呼ばれるようになった、といわれています。
町内には歴史のある神社と稲荷が祀【まつ】られています。松尾神社【まつおじんじゃ】は江戸時代初期の頃から、この地にあり、多町市場の発展とともにその歴史を刻んできた、といわれています。もう一つの一八稲荷【いっぱちいなり】は徳川三代将軍家光が眼病を患ったときに、乳母の春日局【かすがのつぼね】が湧き水を汲みに来たと伝えられています。
町会の該当区域は多町二丁目全域になります。
当町会の現在の神輿は、昭和54年に新しく作り直されました。旧神輿は大正9年に製作したものでした。現在は、東京国立博物館に展示されています。大きさは2尺8寸になり、胴が締り、大きな作りとなっています。