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神田祭.ch公式ブログ

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東日本橋三丁目橘町会

2007-05-13 18:19:00 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 東日本橋三丁目橘町会【ひがしにほんばし3ちょうめ たちばなかい】は古くは橘町【たちばなちょう】とよばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。江戸の初期には西本願寺【にしほんがんじ】の別院【べついん】やその末寺【まつじ】があったところでした。この西本願寺別院【にしほんがんじ べついん】は元和【げんな】7年(1621)3月准如上人【じゅんにょしょうにん】が創建【そうけん】したもので、江戸海岸御坊【えどかいがん ごぼう】、とよばれたといいます。明暦【めいれき】の大火【たいか】で、お堂【どう】の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興したのです。

 その跡地は松平越前守【まつだいら えちぜんのかみ】の邸地【ていち】となり、天和【てんな】3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。西本願寺のあった頃、門前に立花【たちばな】を売る店が多かったので、町の名を橘町【たちばなちょう】とつけたのだそうです。

 当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆【だんなしゅう】が町会を支えています。

 町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。


 当町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。紺に染め抜いた青伴天【あおはんてん】の青年部とグレーの伴天【はんてん】の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。



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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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橘町会の方々の大事な儀式つきの宮入お疲れ様でし... (みち藤)
2007-05-13 18:33:47
橘町会の方々の大事な儀式つきの宮入お疲れ様でした。皆様の元気な掛け声とマッチするやさしくもあり厳かな禰宜様の声も今日は後残すとろわずか。最後まで見なけりゃ。
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