
東日本橋三丁目橘町会【ひがしにほんばし3ちょうめ たちばなかい】は古くは橘町【たちばなちょう】とよばれた地域で、昭和46年の住居表示実施で現町名になりました。江戸の初期には西本願寺【にしほんがんじ】の別院【べついん】やその末寺【まつじ】があったところでした。この西本願寺別院【にしほんがんじ べついん】は元和【げんな】7年(1621)3月准如上人【じゅんにょしょうにん】が創建【そうけん】したもので、江戸海岸御坊【えどかいがん ごぼう】、とよばれたといいます。明暦【めいれき】の大火【たいか】で、お堂【どう】の建物は延焼し跡形もなくなり、築地に移転復興したのです。
その跡地は松平越前守【まつだいら えちぜんのかみ】の邸地【ていち】となり、天和【てんな】3年(1683)の邸地移転に伴って、町地になりました。西本願寺のあった頃、門前に立花【たちばな】を売る店が多かったので、町の名を橘町【たちばなちょう】とつけたのだそうです。
当町会は繊維関係の問屋が多く、今でも着物が似合う粋な旦那衆【だんなしゅう】が町会を支えています。
町会の該当区域は、東日本橋三丁目全域となっています。
当町会の神輿は、昭和42年に新たに町会有志にて寄贈されたものです。紺に染め抜いた青伴天【あおはんてん】の青年部とグレーの伴天【はんてん】の一般担ぎ衆、総勢150名により宮入を行います。