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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神田中央連合 神保町一丁目町会

2013-05-12 13:58:57 | 平成25年 神田祭 神輿宮入

神田中央連合 神保町一丁目町会の宮入です。

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江戸時代、この界隈には武家屋敷が立ち並んでいました。

明治5年(1872)に表神保町 、裏神保町などの町が誕生し、大正11年(1922)には通神保町と改称した後、表神保町、表猿楽町等とともに、昭和9年(1934)に神保町一丁目となりました。
さらに昭和23年(1948)、神田区と麹町区が合併して千代田区ができると、現在の神田神保町一丁目になりました。

町名の由来は、元禄年間(1688~1704)のころ、旗本の神保 長治が広大な屋敷をかまえ、そこを通っていた小路が「神保小路 」と呼ばれるようになったためと言われています。

神保町一丁目町会は、靖国通りの南側にあり、町の東西に古書店街で有名な「神田すずらん通り」が走っています。
この通りの名前は街路灯がスズラン式に変わったことから名付けられました。

街路灯が変わった理由は、明治20年頃、この辺りの道は「おばけ横町」や「怪物横町」と呼ばれたくらいに、人通りのない恐い道であり、暗く恐い道を少しでも明るくしようとしたものであったと言われています。
現在ではそのスズラン灯も無くなってしまいましたが、その名前だけは今も変わらずに残り、広く愛されています。

神保町は神田すずらん通りに代表されるように、『本の街』とも言われています。
大型新刊書店や大小無数の古書店がひしめいて、独特の雰囲気を醸し出しています。

町会の該当区域は、神保町一丁目1~41番地までの奇数番地、101・103・105番地となっています。

【神輿の特徴】

平成15年江戸開府400年を記念し、浅草、宮本卯之助商店より新調しました。
台座2尺3寸、重量330キロ、担ぎ手200名で宮入します。
神田中央連合の宮入参拝の帰途、午後2時頃より駿河台下交差点にて神田中央連合が集結し、神輿振りが行われます。


神田中央連合 神田猿楽町町会

2013-05-12 13:49:13 | 平成25年 神田祭 神輿宮入

神田中央連合 神田猿楽町町会の宮入です。

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猿楽町は古来、芸術文化に関係の深い町です。

今でいう「能楽」は、江戸時代には「猿楽」として、武士達に親しまれていました。
「猿楽」は芸術性を高め、江戸幕府の儀式の際に用いる音楽・舞踊に指定されました。

猿楽師の一人で、徳川家康と縁が深かった観世座家元、観世太夫や、一座の人々の屋敷が現在の神田神保町一~二丁目から西神田一~二丁目のあたりにあったことから、この一帯に「猿楽町」という町名が生まれたと言われています。

他にも、文学では、夏目 漱石が青春時代にこの地の近くに住み、町内の錦華小学校(現お茶の水小学校)に在籍していました。
芥川 龍之介も恩師の下宿がこの町内にあったため、たびたび訪れていたといわれています。

音楽においては、現在の東京音楽大学のもとである、東洋音楽学校が明治40年、猿楽町に設立され、日本の音楽文化近代化に多大な影響をもたらしました。
また、猿楽町は経済同友会代表幹事、北城 恪太郎氏、脚本家、大石 静さんが生まれ育った町でもあります。

猿楽町と駿河台の間に、男坂・女坂と呼ばれる2つの階段があります。
いずれも大正13年(1924)につくられた坂で、男坂は七十三段、女坂は八十二段を数えます。
どちらの坂も一気に上ると息が切れるほどの急傾斜ですが、女坂の途中には踊り場があり中休みできるのに対して、男坂のほうは踊り場がなく、より厳しい上りになっています。
そのため、七十三段の坂は「男」、少しゆるやかで長い坂は「女」と呼ばれるようになったとのことです。

町会の該当区域は、猿楽町一・二丁目全域となっています。 

【神輿の特徴】

当町会の神輿は、名工といわれた後藤直光氏によって、昭和8年に作られた由緒あるものです。
台輪寸法2尺の繊細で豪華な彫刻は、今では見受けることのできない見事なものとなっています。

この神輿は町会員や他の地域から馳せ参じる家族・親族、神輿好き、神輿同好会メンバー等、約300名によって担がれます。


神田中央連合 錦連合(錦二神輿・錦三神輿)

2013-05-12 13:42:48 | 平成25年 神田祭 神輿宮入

神田中央連合 錦連合(錦二神輿・錦三神輿)の宮入です。

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錦連合は「錦町二丁目町会、錦町三丁目町会 、錦町三丁目第一町会 、小川町三丁目南部町会」の4つの町会の連合となっています。

「錦町」の名前の由来は、かつて、「一色」という旗本屋敷が二軒あったことから、あわせて「二色 」または「二色小路」と呼ぶようになり、明治に入り「錦町 」と改められました。

これらの町会は、明治以降、教育機関が立ち並ぶ文教の町として発展を続けました。

かつては学習院大学、一橋大学の前身である高等商業学校がありました。また、「英吉利法律学校(現中央大学)」もこの地で開学しました。明治10年(1877)には、東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」が創立されました。

電機学校(現東京電機大学)は、昭和に入りこの町内に移ってきました。その他、「東京外国語大学 」や「学習院」、「共立女子大学」など多くの優秀な学校がひしめきあっています。

町会の該当地域は、錦町二丁目、錦町三丁目全域、小川町二丁目1・3・5番地となっています。

【神輿の特徴】

錦連合は毎回、900~1000人前後の担ぎ手が参加する、大変大きな連合神輿です。
宮入の熱気もさる事ながら、午後2時頃から予定されています。
神田中央連合の駿河台下交差点での神輿振りも必見です。


Internet TV 神田祭.CH

2013-05-12 13:07:40 | インポート

本日、朝8:30より放送中の「Internet TV 神田祭.CH」では、神輿宮入の様子を完全生中継!!
臨場感あふれる、宮入をお楽しみください。

後ほど、ゲストに稲川淳二さん、椎名慶治さん、Mr.ドルフィンさんをお迎えいたします。

楽しみに待っていてください!

ナビゲーター、ゲストへの応援メッセージ、コメントは
kandamatsuri@soleil.ocn.ne.jp
までお願いいたします。

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