
神幸祭の行列は大手町一丁目の将門塚前に到着しました。
現在、奉幣の儀が執り行われています。
行列はこの地で最初の休憩となります。
将門塚は平将門公の御首(みしるし)をお祀りする墳墓であり、また同時に神田明神創建の地でもあります。
天慶の乱後、将門公の所縁者たちにより、この地に納められ墳墓が築かれました。その後、嘉元年間(1302~5)、将門塚周辺において天変地異が起こり村民たちを悩ませました。
徳治2年(1307)になり、時宗の僧・真教上人により将門公の霊が鎮魂され、蓮阿弥陀仏の諡号が付されました。
その後、村民たちの請いにより定住し時宗寺院・芝崎道場日輪寺を開基。この寺院は後に浅草に移りました。さらに延慶2年(1309)、将門公を神田明神に合祀いたしました。
時代はくだり元和2年(1616)に、徳川家康公が江戸幕府を開き江戸城を拡張することになり、そのため神田明神は江戸城の表鬼門守護にあたる現在の地に遷座しました。
将門塚はそのまま残され諸大名の屋敷の一角を占め、丁重にお祀りされました。江戸時代より神田祭の時には必ず鳳輦・神輿が渡御して神事が行われ、現在もその古儀は続けられております。
また毎年9月の彼岸の日に将門塚例祭を執り行います。
昭和46年3月、東京都指定文化財(都旧跡)に指定されました。