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神田祭.ch公式ブログ

神田祭公式ブログです。当日の神田祭の実況や神田祭の裏側、インターネットchの「神田祭.ch」の模様をお伝えいたします。

神田祭ウォーク

2009-05-09 15:06:00 | 平成21年 神田祭
「神田祭ウォーク」とは、

神田祭で賑わう江戸小町、神田日本橋にコースが設定されています。

参加される皆さまのペースでお楽しみいただけるんですよ。

祭の賑やかな雰囲気を肌で感じながら、神田明神界隈のお散歩をお楽しみいただけます。

皆さん、お気をつけていってらっしゃいませ~!!


なお、完歩先着者限定で記念品のプレゼントも用意されてるみたいですよ。


附け祭とは

2009-05-09 14:56:59 | 平成21年 神田祭
附け祭について説明します。

附け祭とは、曳き物と呼ばれた巨大なはりぼての人形や様々な流行の衣装を身にまとい、流行の音楽を奏でながら行列に参加した踊り子などのことを言います。

毎回違う出し物が出されたため多くの見物人を楽しませました。

江戸時代、神田祭で最も人気があり賑やかな行列だったと言われています。

「附け祭」の代表的なものには「大江山凱陣」や「大鯰と要石」などがあり、非常にバラエティーに富んでいました。

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(江戸時代の大江山凱陣、大鯰と要石)








明治座前

2009-05-09 14:49:54 | 平成21年 神田祭
行列は明治座前に到着しました。

こちらでは三田芳裕氏子総代の献饌が執り行われました。

この近くには甘酒横丁があります。

甘酒横丁の名前の由来は、明治の始め頃に通りの角に「尾張屋」という甘酒屋さんがあり、たいそう繁盛していたことからこの名前がいたと言われています。

その尾張屋さんも店を閉め、いったんは消えかけた名前でしたが、1980年代に町の人たちによって復活しました。



両国旧御仮屋出発

2009-05-09 14:48:30 | 平成21年 神田祭
行列は両国旧御仮屋を出発し、午後の部が始まりました。

これより清洲橋通りに出て、明治座方面へと向かいます。


それでは、ここでは二の宮神輿の紹介をします。

二の宮神輿はえびす様で親しまれている、少彦名命(すくなひこなのみこと)のお乗物です。

明治7年に茨城県大洗磯前神社より神霊を迎えて奉祀されました。
商売繁盛、医薬健康、開運招福の神様として崇敬されています。

黄色の平安装束(へいあんしょうぞく)をまとった神部が付き添っています。




両国旧御仮屋到着

2009-05-09 13:34:03 | 平成21年 神田祭
神幸祭の行列は両国旧御仮屋に到着し、昼御饌の儀が斎行されました。

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また、併せて渡辺秀次氏子総代の献饌が行われました。

ここで午前の部は終了です。

昼食休憩をはさみ、発輦は午後2時20分の予定です。


この両国旧御仮屋は、日本橋・両国広小路(当時・日本橋区両国米沢町)に作られた御仮屋のあった場所です。
かつては豪華な御仮屋が拵えられ、職人たちの技術の粋を集約した立派なものでした。

ちなみに「御仮屋」(おかりや)とは神輿が一時とどまる場所のことで、御旅所(おたびしょ)や行宮(あんぐう)などとも言います。

神輿が渡御した際に立ち寄り神事を行ういわゆる中継地を意味し、祭の時に臨時に建てられる建造物です。

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(明治45年の両国御仮屋)