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神奈川絵美の「えみごのみ」

光 満ちるとき



先週、横浜そごうへ美術展を観に行った後……



京都の老舗展という催事で、桜の帯揚げに出合った。
ペールブルーの地に、触れれば溶けてしまいそうな
優しいベージュピンクの絞り。
ゑり正さんのお品だ。


この、春色の一本を眺めていたら、
先日NHKで観たルノワールの特集番組を思い出した。



有名なムーラン・ド・ラ・ギャレット。(部分)
生涯、光に満ちた優しい風景や、わずかに上気だった白い頬の幸せそうな人物を
描き続けた彼だが、
実生活では普仏戦争やパリ・コミューンでの大虐殺といった
試練を乗り越えなければならなかった。

晩年、彼はこう言っていたという。
 「世の中にはすでに不愉快な物事がたくさんある。
     だから、新たに不愉快なものをつくる必要はないのです。」


今になぞらえ、震災=“不愉快”とは決して思わないが、
やりどころのない中途半端な負の気持ちを
節目という名目のもとにまき散らすのはやめよう、と
この言葉を見たときに思った。

創作活動の傍ら、ルノワールは内戦で孤児となった子供たちのための
施設づくりに奔走したそうだ。
私はそれまで彼を
「印象派のムーブメントにうまく乗った苦労知らずの流行画家」というような目で
見ていたところがあったが、
そうではなかったのだ。
痛みをわかった上で、敢えて幸せを描き続け人々に希望を与え続けた、
その姿勢に深く感銘を受けた。

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この記事は敢えて「音楽よもやま話」に分類している。
その理由は、今月10日にNHKで放送されたドキュメンタリー
「3月11日のマーラー」にも、ルノワールの番組と同じように
考えさせられたから。

震災当日、都内でも殆どのコンサートが中止される中
「一人でも聴きにきてくださるお客様がいらっしゃるなら」と
演奏会を決行した新日本フィル。
タクトを振るのは、新鋭のダニエル・ハーディング。イギリス人。
この日は彼の新日本フィルでの初指揮だった。

団員は演奏前に被災地の凄まじい状況をTVで見ており、
親類が東北に、というメンバーもいた。
電車が止まり、10㎞を歩いて会場に向かった人も。

しかもこの日のプログラムは、マーラーの交響曲第5番。
葬送行進曲から始まる重い曲だ。

「こんな状況で演奏していいのか」
   「東北の親戚は無事だろうか」
      「しかしやると決めた以上、最高の演奏をしなくては」
団員それぞれの、一人の人間としての悲しみや不安、痛みが
いざ演奏が始まるとプロとして奏でる音に乗り移り、
その夜は身震いするほどの、かつてない素晴らしい演奏になったという。


演奏側は95人。
そして観客は、たったの105人だった。


「しばらくの間、震災当日にコンサートへ行ったことは
誰にも言えなかった」  …後ろめたくて… と、観客の一人。
しかし、後日ハーディング氏からの次のようなコメントを見て、救われたという。

 「あの日あの音楽を聴いたことは、
    被災された方の痛みを深く知る助けになるでしょう」



マーラーの交響曲第5番は
葬送行進曲から穏やかなアダージェットを経て、最終楽章は希望に満ちた曲調になる。
その場にいなかった私でも、
 その日、この曲が演奏されたことには確かな意味があったことを
  番組を通して、感じ取ることができた。
   そしてそれは私自身を楽にするうえでも、大きな意味をもたらした。


第四楽章のアダージェットは、ハープと弦楽器が奏でる別名「愛の楽章」。
もともとは、マーラーが恋人に求婚するために創ったそうです。
この演奏はベルリンフィル、指揮はカラヤン。

コメント一覧

神奈川絵美
すいれんさんへ
こんにちは

>辛い思いをすればする程、本当の事は
私もまったく同感です。
少し前に「ものすごくうるさくて ありえないほど近い」という映画を観まして、
9.11で父を亡くした少年が、父の最後の電話を(そうとわかっていたのに、精神状態がナーバスになっていて)とれなかったことを
ずっと誰にもしゃべれなかった、というシーンが印象的だったのを思い出しました。
(映画そのものは、あまり…でしたが…)

ルノワールについても今回、半生を描いた番組を通して、勉強になりました
すいれん
http://www.tomoko-358.com
絵美さま
芸術の持つ素晴らしさですね、共感も、また人を勇気づけるのも・・・。辛い思いをすればする程、本当の事は人に言えなくなってくるものです。辛い想いは内に秘めて、一見明るく見えるけどルノワールのあの光と影は「深い」ですね~。
神奈川絵美
りらさんへ
こんにちは
本当に、単なる偶然という言葉では片づけられない、何か、を感じますよね…。
まあ、どんな曲であっても、あの日に演奏するというのはたいへんな葛藤があったと思います。

余談なんですが、ハーディング氏の話によれば、
105人の観客は「ばらばらに座っていた」-つまり、きちんと自身が買った指定席に座っていたそうで、少なからず驚いたそう。
「みんな、もっと前に集まってきてもいいですよ! と言いたかった。でも、ばらばらに座ってくれたことで、あたかもホール全体が“満たされて”いるようにも感じた」んですって。
りら
なんというタイミング
あの日に、この曲を演奏することになっていたというのが、なんとも・・・
目に見えぬものの采配のようにも思えますねぇ。
「この大変な時に!」という価値観もあるでしょうが、私は「大変な時だからこそ」もあっていいのでは?と思います。
ゆっくりyoutubeのリンクを聞きました。
神奈川絵美
オンブルパルフェさんへ
こんにちは。
そうだったのですね。不測の事態が起こったときって、アドレナリンも出るし、感覚が研ぎ澄まされるような実感がありますよね。
ルノワールはどこか憂いがあるからこそ、明るさや優しさが際立つ…のかもしれませんね。
オンブルパルフェ
柔らかい光
http://ameblo.jp/herend-tarte/
帯揚げの絞りも、ルノワールも柔らかな光を感じます。絵に憂いがあるのは、どこか心情のあらわれでしょうか。
オケの話もすごいです。あの当時、実は私も一度に色々がおきて、馬鹿力ではないけど、信じられないほどの行動していた。(淡々としていたけど凄みがあったと言われました)人間いつもはお休みしている感性?があるのかもです。すみません。とりとめなくて。
神奈川絵美
Tomokoさんへ
こんにちは Tomokoさんも観ていらっしゃったのですね。
長くなるので書けませんでしたが、ある団員さんが第一楽章の葬送行進曲について
「誰もがお葬式には行きたくない。足を引きずるようにして向かうその重い気持ちを、この日は自然に表現できた」というようなコメントをしたことがとても印象深かったです。演奏中は心の底から込み上げるものがあったのでは…。

ルノワール、フィルムが残っているのですか!私が見た番組では、晩年のことはほとんど触れられてなくて…。 
オルセーが改装されて、ムーラン~が見違えるように明るく活き活きと見えるようになったのには驚きました。
Tomoko
「3月11日のマーラー」私もテレビで拝見していました。アダージェットのくだりを見ていて鳥肌がたつようでした。きっと崇高な何かが降りてきたに違いないですね。
ルノワールは素晴らしいです。晩年あのようなカラダになっても絵筆をとり続け(モノクロームのフィルムが残っているのですよ)、すべての女性を大きな愛で愛するように描いていた印象があります。
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