でも、「コーデの“春化”」は止まらない。
松煙染の市松に、絹咲(裂)織の八寸で。
ピンクの梅の半衿をつけてみた。
ポップな帯揚げは、志ま亀のもの。
羽織を着ると、こんな感じ。
羽織紐、今回はスモーキィなローズクォーツで。
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六本木に用事があったので、
空き時間に東京ミッドタウンを訪れた。
サントリー美術館で開催中の
「歌舞伎 江戸の芝居小屋」展。
絵で振り返る歌舞伎座の歴史、ということで、
どんなものかなーとあまり大きな期待はせずに入ったが、
イヤホンガイドの助けもあって、なかなか興味深い展示だった。
<江戸時代以前>
歌舞伎はもともと、出雲の阿国という女性の芸人が始めた踊りが最初で
桃山時代には能舞台や神社の境内で披露されていたそう。
それが話題を呼び、より人がたくさん集まりやすい
四条河原へ進出。
画像、とっても見難いのですが、左上の踊りの輪の中心にいるのが
三味線弾き。
三味線はとても貴重で、阿国の時代には使われた記録が残っていないそう。
<そして江戸時代に入り……>
1624年、中村座(当時は猿若座)が江戸へ進出!
日本橋と京橋の間の中橋を拠点にした。
江戸では中村座のほか、市村座、守田座の三座が歌舞伎人気を牽引し……
浮世絵ではこーんな「繁盛図」がたくさん描かれるように。
ところが
派手な娯楽はいかん、倹約せねば、ということで、
幕府が三座を強制的に、当時は辺境だった浅草へ移転。
(吉原と同じように、場所を限定して監視しやすくするという狙いがあったそう)
これが却ってこの地を、歌舞伎の街として栄えさせる結果になった。
<そして明治になると……>
新富座(元守田座)が火事で焼失。
タイミングが良かった、とは言わないが、
時代は急速に欧米化していたため、
明治11年に建て直された新劇場は……
ちょっとこの絵ではわかりにくいのですが
近代の劇場スタイルになっており
(というか、人が西洋スタイルっぽいですよね)、
ガス灯がついて夜も上演できるようになった。
その後、明治22年に木挽町に建てられたのが
第一期の歌舞伎座。
シャンデリアも付いた洋館なのに、中では履物を脱ぐスタイルだったそう。
……と、こんな風に、
もとは境内や河原だったのが、立派な劇場になるまでの約300年を
1時間程度で俯瞰し、
人が集まると茶屋もできるし、
役者絵(ブロマイドのようなもの)も売れるし、
建物の変化だけでなく、文化全体が成熟していくさまが読み取れて
面白かった。
でもやっぱり、明治に入ってからの変化の幅は、
それまでと比べようもないほと大きいなあ、と……。
インフラの進歩は、人々のライフスタイルをがらっと変えますよね。
本企画では、当時の人気浮世絵師による、役者絵や演目に関係する作品も展示。
私はあまり時間がなくて、国芳や芳年などメジャーどころを
さーっと観るにとどまりましたが、
イヤホンガイドが歌舞伎解説でおなじみの塚田圭一氏で、
声も内容も良かったです。
(今のところ、サントリー美術館のイヤホンガイドに外れナシ)
会期は3月31日(日)まで。
歴史好きな人は特に、楽しめるのではないかなと思います。
※公式サイト(サントリー美術館HP内)はコチラ。
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