最近、道徳について勉強しています。
「道徳」って何でしょう?
何が「善」で何が「悪」なんでしょう?
社会背景や所属、性別や宗教によって、
個々人で異なる道徳観を持っているでしょうね。
時代によっても違います。
例えば戦国時代の合戦では、
より多くの敵を殺すことは「善」でした。
現在では「悪」とされ、罪に問われます。
しかし、現在でも仮に自分の身を守るために人を殺した場合、
一概に「人殺し=悪」と言い切れないケースもあるでしょう。
「殺人は悪」という現代の共通認識に立った上で、
その状況に応じた判断が求められるわけです。
さらに言えば、
「個々人の徳」とは本当に「個々人が導き出した徳」でしょうか?
マスコミやマジョリティ、上からの命令によって、
個々人の徳なんて揺らいでしまうものです。
例えば米軍が少女暴行した事件がありました。
この問題には、
米軍人と日本人の道徳性の違いが関係しています。
米軍人にとっての絶対的な徳は「規律・命令を遵守すること」です。
そして軍人にとっては「人殺し」が仕事であり命令なわけです。
人を殺してもそれは軍の業務としてのことであり、個人に責任はありません。
より上手くたくさん人を殺せれば褒められ、勲章をもらえます。
人を殺しても罪ではなく、善とされます。
軍人にとっては「人殺し」は規律を遵守した結果なわけです。
じゃなきゃ、軍人さんは気が狂ってしまいます。
そんな道徳をもった軍人が沖縄の街中を日本人に混じって歩くわけです。
そこんところを日本人はもっと自覚して行動したほうがいいのです。
今のところ、軍が撤去される予定はなく、
隣人として付き合っていかねばならないのですから。
もちろん、軍人さんだって仕事を離れれば殺人は悪と考えますが、
一部にはそう考えらない軍人もいるのです。
かわいそうなことです。
このように人間の徳なんて脆いもんなんです。
では話は戻って、
どうしたら、個々人の徳を自ら導き出すことが出来るのでしょうか。
結論から言うと、「視点を変えて考える」です。
自分の欲求や理性による利己的な徳から、
社会性を取り入れた徳、
異なる立場における徳というように段階的に考えて行くと、
現代社会の共通基盤である徳へと導かれるのではないでしょうか。
私達が陥りやすい「権威やマジョリティの徳=自らの徳」と、
思い込んでしまうこと。
これは非常な危険な回路です。
少女暴行事件は海を隔てた沖縄で起こったことですが、
自分に直接的には関係ないといっていいことでしょうか。
「米軍駐留を拒まない」という判断をしているのは、
私達国民一人一人なのです。
そのような判断をしている政治を認め、
米軍をなくそうという意見を多数派にしていこうとしない、
このような消極的な関わりが、今回の事件を引き起こしているのです。
これからの日本の道徳は、
国民一人一人が自ら考え、他者とすり合わせていく過程にかかっているでしょう。
「道徳」って何でしょう?
何が「善」で何が「悪」なんでしょう?
社会背景や所属、性別や宗教によって、
個々人で異なる道徳観を持っているでしょうね。
時代によっても違います。
例えば戦国時代の合戦では、
より多くの敵を殺すことは「善」でした。
現在では「悪」とされ、罪に問われます。
しかし、現在でも仮に自分の身を守るために人を殺した場合、
一概に「人殺し=悪」と言い切れないケースもあるでしょう。
「殺人は悪」という現代の共通認識に立った上で、
その状況に応じた判断が求められるわけです。
さらに言えば、
「個々人の徳」とは本当に「個々人が導き出した徳」でしょうか?
マスコミやマジョリティ、上からの命令によって、
個々人の徳なんて揺らいでしまうものです。
例えば米軍が少女暴行した事件がありました。
この問題には、
米軍人と日本人の道徳性の違いが関係しています。
米軍人にとっての絶対的な徳は「規律・命令を遵守すること」です。
そして軍人にとっては「人殺し」が仕事であり命令なわけです。
人を殺してもそれは軍の業務としてのことであり、個人に責任はありません。
より上手くたくさん人を殺せれば褒められ、勲章をもらえます。
人を殺しても罪ではなく、善とされます。
軍人にとっては「人殺し」は規律を遵守した結果なわけです。
じゃなきゃ、軍人さんは気が狂ってしまいます。
そんな道徳をもった軍人が沖縄の街中を日本人に混じって歩くわけです。
そこんところを日本人はもっと自覚して行動したほうがいいのです。
今のところ、軍が撤去される予定はなく、
隣人として付き合っていかねばならないのですから。
もちろん、軍人さんだって仕事を離れれば殺人は悪と考えますが、
一部にはそう考えらない軍人もいるのです。
かわいそうなことです。
このように人間の徳なんて脆いもんなんです。
では話は戻って、
どうしたら、個々人の徳を自ら導き出すことが出来るのでしょうか。
結論から言うと、「視点を変えて考える」です。
自分の欲求や理性による利己的な徳から、
社会性を取り入れた徳、
異なる立場における徳というように段階的に考えて行くと、
現代社会の共通基盤である徳へと導かれるのではないでしょうか。
私達が陥りやすい「権威やマジョリティの徳=自らの徳」と、
思い込んでしまうこと。
これは非常な危険な回路です。
少女暴行事件は海を隔てた沖縄で起こったことですが、
自分に直接的には関係ないといっていいことでしょうか。
「米軍駐留を拒まない」という判断をしているのは、
私達国民一人一人なのです。
そのような判断をしている政治を認め、
米軍をなくそうという意見を多数派にしていこうとしない、
このような消極的な関わりが、今回の事件を引き起こしているのです。
これからの日本の道徳は、
国民一人一人が自ら考え、他者とすり合わせていく過程にかかっているでしょう。