精神と物質

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『前近代』という空疎な言葉

2013年06月09日 22時43分21秒 | コンサバどうですか
産経新聞の政治部の阿比留瑠比さんのブログで面白い記事を見つけた。

民主・海江田代表と日教組と「前近代」について

である。

『前近代』という言葉は、以前読んだ谷沢英永一氏の『悪魔の思想』という本で知ったのだが、実はコミンテルンの32年テーゼで使われた言葉のようである。その指示書にあったのは「日本は『前近代』であり、『半封建』であるから、共産主義という先進的思想の前衛たる共産主義者である左翼は『遅れた日本人』を指導しなさいよ」というのが『32年テーゼ』の内容だったわけだが、時は1932年、まだ戦争前の時代である。この時の『32年テーゼ』の信者が戦後、学閥の権威となり東大学長などになったり、教育界や思想界を牛耳るようになった。日本における反日の歴史の始まりである。
いわゆる『進歩的文化人』と称する左翼を生み出した聖典がこの『32年テーゼ』という世界共産革命の指導文書であった。

海江田氏が自民党の改憲案を『前近代に戻る考え』とか、日教組などが未だにこの言葉を使っているのが面白い。彼らは大学時代、共産主義や社会主義を善なるもの正しいものとして教わり、たぶんそれを未だに疑うことなく信じ込んでいるのであろう。ずいぶん進歩のない人である。
海江田氏の非難にどこかズレているものを感じる人は鋭い、といわざる得ない。

実をいうと、1932年当時、日本はまったく『前近代』的ではなく、先進国であった。科学技術もであるが、文化的、道徳的にもである。政治的にも共産主義や社会主義思想がはびこる以前の日本の政治は比較的高度なものであった。


コミンテルンの32年テーゼとは、日本に負けた恨みを晴らさんがために、日本人の精神の内部から崩壊させる悪意を持ってソ連が日本の左翼に送りつけた指示書であった。だから『前近代』などという非難はもともと中身がない空疎な非難でしかないものだった。

左翼が日本破壊を指向する本能的な軸は、このテーゼに発祥の源があると思われるわけだが、

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