この人はだいじょうぶだよ

 15年位前のことです。 
私は、市内の、海が見える団地に住んでいました。自分の子どもはそのころ2歳。団地は環境も良く、若い家族が小さい子どもと共に何世帯も暮らしていました。
敷地は日本海に流れ込む信濃川の分水の河口近くでもあり、駐車場やちょっとした砂場、見上げるような大きな木の横を通ると、県道の下をくぐる地下道がありました。10メートルほどの地下道を通ると向こうは小さな空き地。昼間の団地の敷地は車もほとんどなく、子どもたちの格好の遊び場でした。

 他のお母さんたちは、下の子どもがねんねの赤ちゃんだったりして忙しく、一人っ子の息子と一緒に動ける私は、他の3,4人の3歳児のグループにくっついて歩く係を、自然に受け持っていました。

 毎日、これでもかというように子どもと遊びました。川の土手に少しだけ穴を掘って、おしりだけ入れたり、草むらを探検したり。東京のマンションから引っ越してきた私にとっては、公園の中に住んでいるようなものでした。
 
 息子より一つ年上のリョウヘイくんとマナミちゃん、そして息子のリョウは、その日、いつものように地下道で遊んでいました。アリの行列を見つけてワイワイとさわいでいたのです。
 「よし、砂糖をかけよう」と私が部屋から砂糖を持ってきました。砂糖に群がるアリを、4人でしゃがんで取り囲んでじーっと見ました。
 そのときです。マナミちゃんが、我慢できないように、汚れたコンクリートの上の砂糖に指を押し付けて、その指をなめたのです。
ここでハッと分別ある大人に戻った私は、あっ、と言ったのですが、まあいいか、とニヤリと笑ってすませました。そして、やがて飽きて、「次、何して遊ぶ」と私を含めた4人は、ちょっと考えたのです。
「ぶらんこ、する?」と私が言ったので、子ども3人は駆け出しました。地下道から地上に上がる3段くらいの階段を駆け上がりながら、その時、一番先頭のリョウヘイ君は叫びました。
「この人はだいじょうぶだよ!」
そして、驚く私をチラリとふりかえって見て、ちょっと恥ずかしそうに、こう、言い直しました。
「リョウちゃんのママはだいじょうぶだよ」

その時の驚きを、私はずっと忘れることが出来ませんでした。3歳児が「このひと」と言い、とっさに「リョウちゃんのママ」と言いなおしたこと。私が3歳児に「このひと」と言われたこと。

今、私は、「この人はだいじょうぶだよ」と、3歳児に言ってもらえるでしょうか。あの声と砂糖つきの指をなめたマナミちゃんの陶然とした顔は、時々フラッシュバックするときがあります。子どもがもともと持っている文化と文字にして書くとき、たしかに、それはりょうへい君とまなみちゃんの姿に重なるのです。
園の先生であれば、こんな体験はしょっちゅうするのでしょうね。

『あなはほるものおっこちるとこ』のセンダックの絵本を見たとき、数センチ掘ってまなみちゃんと交代にお尻を入れたその土手の穴を思い出しました。大人とは違う、宇宙人のような甲高い音とリズムに満たされたザワザワした時間。

そうそう、穴を掘った日の夜、夫に話したら「穴だあ?ネズミの穴だってそこから決壊するんだ」と叱られてしまいました。ちょっとした くぼみなんだけどな。
 2週間くらいして、そこに立て札が立てられました。確か、みんなの土手をたいせつに、とか何とか書いてあったかな。お役所の管理能力と素早い対応に、乾杯。


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